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『怪人警報、怪人警報です。新宿区✕✕✕✕三番地に怪人が発生。速やかに近隣の方は地下シェルターに避難をしてください。繰り返します――』


 あちこちの発信源から少しずつずれて鳴っているせいで、音に酔いそうになる。

 僕らは皆、席についたままで特に取り乱すことはなかった。


「出たか。数日間はなかったというのに」


 毒公がグラスの側面をなぞりながら、やれやれと首を横に振った。

 サイレンが響いたとき、一般人はパニックになる。それは、このサイレンが『付近で怪人が出現したこと』を意味するからだ。が、四英傑や亜怪対の人間は慣れてしまっていた。


「心配なさらなくても、他のヒーローが対処にあたりますわ」


 毒婦が中世貴族のような口調で言い、皆頷いた。

 強力な怪人であればあるほど出現頻度は低い。ここに集う者達に出動要請が来るような怪人は二ヶ月に一体現れるかどうかだ。ホテルのある新宿には国際英雄機関もあるから、派遣は迅速に行われるだろう。

 道上と乾のスマートフォンがほぼ同時に鳴った。彼らが慌てて耳に当てた。徐々に表情が強張っていく。


「怪人の推定危険ランクはAだそうです。現在の日本ランク一位から十二位までが討伐可能です。新宿には今はあなた方しかいない。至急、どなたか出動していただきたい」


 皆が顔を見合わせた。第一線を退いた有毒夫妻はランク外だ。スマイル、氷妃、骨刃警視の三人の中から出動することになるのだろう。


「私が行こう。国民もそれを待ち望んでいるはずだからね」肩を回しながらスマイルが頷いた。

「勿論。緊急車両で現地までお送りします。まさか、ヒーロースーツがすぐに役立つとは思いませんでしたよ」


 スマイルと道上は鳳凰の間から駆け出ていった。

 胸が高鳴った。復帰宣言をしたスマイルが一年ぶりに戦う。ヒーローオタクにとって、これほどまでに興奮するシチュエーションはない。

 興奮しているのは僕だけではなかった。見れば、他の面々の瞳孔がさっきよりも大きく開いていた。骨刃警視は再び椅子に腰掛けて、興味なさげにアイスティーを飲んでいたけれど。

 毒公が鳳凰の間に出たかと思うとホテルスタッフの女性を連れて戻ってきた。彼女は待機部屋の壁にあるスイッチを押し、戻っていった。

 天井に吊られた長い筒からスクリーンが下がり始めた。


「これでスマイルの勇姿を見るとしよう」


 毒公が言う。他の英傑達も肯定を示した。

 プロジェクターが映像を映し出した。

 国際英雄機関によって、全世界に向けて配信されている『HEROTube』だ。世界各地、日本では人口に比例して各地域に幾多ものHEROTube撮影用ドローン――通称、Tubee〈チュービー〉がマンションの屋上や電柱に設置されている。今、投影されている映像も、Tubeeが撮影している光景をリアルタイムで配信しているものだ。

 Tubeeは地上三十メートルを下回らないようプログラミングされているため、常に上空からの映像だ。ズーム性能が高いから、米粒を見るようなことにはならないけれど、マイク性能はさほどではないため戦闘中の会話などは聞き取れない。

 画角に対象が映らない場合は熱感知センサーを頼りにアングルを変えるようになっている。建物が邪魔で戦闘シーンが見られないようなことは滅多にない。

 これだけの充実した機能があるというのに、ドラマや映画を配信しているサブスクリプションサービスの倍近い月額料金をユーザーに課しているのだから当然という声すらある。

 画面右端で、視聴者のコメントがリアルタイムで更新されていく。

 熱狂。徐々に英語や中国語等のコメントも増えてくる。

 スマートフォンの映像をプロジェクターに飛ばし、映し出していた。

 まだ怪人が暴れている様子しか映し出されていない。人の気配はなく、既に避難が完了しているらしい。

 怪人は四メートル近い人型の異形だった。元の顔が判別できないほど膨れ上がった頭部からぴゅっと体液を飛ばし、周囲を炎上させている。ビルとビルの間に陣取り、少しも移動をしない。

 映像が突如切り替わった。ブラックボディーの大型車両を追っている。機関所有の緊急車両だ。怪人に察知されないようにパトライトがついていない。ビルの陰に停車すると、ブルーの全身スーツとレッドのマントを身に着けたスマイルが降りてきた。ビル風にマントが靡いた。

 いよいよ、圧倒的な英雄の復活劇が始まる。

 軽い準備運動のあと、彼は緩く走り出した。ランニングのようなペースだ。工場の足場が組まれているビルの裏側を抜けて怪人に近づき、ビルの間から怪人の前に躍り出た。

 彼が拳を振り上げ、怪人をひと殴りしたとき、怪人の脳天から液体が噴出して。

 両者が――炎上した。

 オレンジ色の巨大な炎が二者を包み込んだ。時折爆ぜながら揺れるそれは魅惑的でさえあった。カメラ越しに熱波が伝わるような気さえした。炎の中で何が起きているのか僕らにはわからなかった。画面上のコメントも困惑したものばかりだ。

 増水した川の激流のように文字が動いた。スマイルの復帰戦というだけあって、視聴者数もそれに比例するコメント数も途轍もない。


「あえて視聴者を不安にさせてからこそ勝利が際立つ。そんなところかしら?」

「良く見たまえ。徐々に鎮火していく」


 毒公の指摘に皆の視線が再びスクリーンに向いた。

 時間をかけながら、炎が弱くなっていく。燃やせるものがもう何もなくなったのだろう。スマイルの燃焼能力は凄まじいが、彼の火耐性も凄まじい。この世の全てが燃やし尽くされようとも、彼だけは立ったままに違いない。

 炎のヴェールが取り払われる。

 現れたのは、大小二つの、黒い塊だった。

 毒公が両腕をだらんと垂らしながらスクリーンに近づくのにつられ、僕達も席を立ち、スクリーンを間近で注視した。

 中継はここで打ち切られた。

 背中の筋が痙攣している。


「おい、嘘だと言ってくれ。どっちの黒も人の形をしてる。大きい方が怪人で、小さい方が……」

「縁起でもないことを仰らないで! 彼は世界最強なのよ、こんなことって」


 毒婦が歌舞伎の女形のようにしおらしく崩れ落ちた。毒公は画面を凝視したまま妻の肩を摩っている。

 氷妃は吐き気を催したように口を手で抑えていた。

 僕は何が起こったのかわからず、立ち尽くしていた。ただ酷い頭痛がした。劇的過ぎて全てが現実味のないレプリカのように見えた。


「スマイルがやられるなんて……」


 一人、席に座ったままの乾が頭を抱え、呪うように涙を流した。

 そうか、予言通りスマイルは死んだのだ。

 寂しさなのか怒りなのか判別できない感情が渦巻いていた。


「ミツロウ、行くよ」

「どこに、ですか?」

 呆けたまま訊くと、頬を骨刃警視が思い切り摘んできた。

「現場に決まってるでしょ」

「……骨刃警視は、辛く、ないんですか?」

「私は怒ってんの。何もできなかった自分自身に。あの人がたかがAランクの怪人にやられるわけがない。つまり、さっきの出来事には何かが仕組まれていた」


 僕は自分の情けなさに膝をつきそうだった。彼女は僕と同じものを見ていたというのに、違和感を鋭敏に察知し、自分の職務を全うしようとしている。それなのに、僕はただ狼狽えていた。


「すみませんでした。もう、大丈夫です。運転は任せてください」

「頼んだ」


 彼女は背を向けて颯爽と出口へ歩き出した。

 パーティー参加者を鳳凰の間に移動させてから、彼女のあとを追った。相棒を名乗るなら、離れてはいけない。記憶喪失になったとしても、本能的に覚えておくべき信条だ。

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