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六月二十九日。
時刻が十二時五十五分になったことを、ようやく手首に馴染んできた腕時計を見て確認した。時計盤は父から受け継いだロレックスだったが、メタルのベルトが合わなくて革ベルトに変えた。
会場に目をやり、不審物や人がないか再度確かめる。
会見のために何時間も残業して準備に準備を重ねた。会見の開催される帝都ホテルの鳳凰の間に不審者が侵入するにはどのようなルートがあるか。逃走経路をどう潰すか。漏れがないよう、細心の注意を払った。
残業中に気が向いて、姫崎に復帰会見の後日談なら英雄新聞社単独で話してもいい、と電話で伝えようとしたが、向こうの電源がオフになっているらしかった。今朝も電話が繋がらなかったから、もうなかったことにしよう。
少し雑念が入り過ぎか。しかし、この様子なら。
鳳凰の間に二つある扉のうち、報道陣等が出入りする会場後方の扉では手荷物検査を行ったが、危険物を持った者はいなかった。血液検査も併せて行ったが、亜人はいなかった。
百人近くいる報道陣は間隔を空けて着席し、亜怪対と応援で入った警視庁警護課が監視していた。防犯カメラや威嚇的なまでに配置された警察官を前にして不審な動きを見せる者はいない。そもそも、事前に報道各社を通して申請のあった素性の明るい者しか通していないのだから当たり前だ。
手元の出席者名簿を見ると、英雄新聞社からは姫崎ではない記者が派遣されていた。
「それではこれより――」
司会の男性――数年前にテレビ局を辞めたアナウンサーだ――がスタンドマイクでアナウンスを行い、会見が始まった。
鳳凰図側の待機部屋に繋がっている扉からヒーロースーツに身を包んだスマイルが現れると、報道陣からフラッシュとシャッター音が無数に浴びせられた。波のように強弱を繰り返すせいで、なかなか目が慣れなかった。
眼球の奥に痛みを感じながら警護を続けたが、怪しい動きはなかった。拍子抜けだ。何も起きないのは喜ぶべきことだが、小悪党くらいは逮捕したい気もする。
会見終了後に報道陣を退場させて一息ついたとき、骨刃警視が訊いてきた。
「庁舎戻る? あとは、仲間内のティーパーティーだけだし」
「そうですね」
今から戻れば、後回しにしていた書類仕事を片付けても定時で帰れるだろう。頷きながら、そんなことを考えていた。
「骨刃ちゃんと……尾竹君だったかな?」
太陽が胸元に光るスマイルが僕らを手招きした。
「君達さえ良ければティーパーティーに参加していかないか? 体裁は護衛にして、アフタヌーンティーを楽しめばいい。ついでに、話しておきたいこともあるしね」
骨刃警視に素早くアイコンタクトをとり、頷き合った。
「仲が良いね。羨ましい職場環境だ」
スマイルが喉仏を小刻みに上下させて笑う。実に気恥ずかしい。隣を見ると、骨刃警視がなぜか自慢げな顔をしていた。
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ティーパーティーは待機部屋としていた場所に楕円形の大きなテーブルを用意して行われるとのことだった。待機部屋といっても、頭上にシャンデリアがある鳳凰の間ほどではないが広い部屋だった。
次々とティーカップが並べられ、スコーン等が運ばれる。カップの数は八あった。四英傑と僕ら二人、残りは道上と乾の分だろうか。
セッティングにまだ時間を要するとのことで、僕らが鳳凰の間に戻ったとき、後方の扉が勢い良く開け放たれた。
「まだ揃ってないの? こんなに着づらいヒーロースーツを着てきてあげたのに」
腰まである艶髪が目を引く身長百七十センチ台後半はある女性が入ってきた。白い肌にはシミ一つなく、顔料そのものをまぶしたみたいだった。白さを引き立てるような漆黒のドレスは、フランスのメゾンと米国軍需企業が共同製作したものだった。
やれやれと言いたげに首を振り、嘆息をする彼女は
氷妃はスマイルとの挨拶を済ますと、骨刃警視も合わせて親しげに話し始めた。道上と乾は部屋の隅で口元を隠して真剣に何かを話していた。
余ったな。
遠巻きに彼らを見つめ、心細い時間を過ごしていた。
不意に肩を叩かれて振り返ると、そこに五十代ほどの男女が立っていた。男性は広い肩幅から垂直に線を下ろしたような体型で、女性は痩せぎすだけれど色香があった。二人は毒薔薇をモチーフにした揃いのスーツを着ている。
「パーティーだというのにどうして寂しそうにしているんだい?」
「そうよ。話し相手がいないのなら、私達とお話しません?」
「あなた方は――」僕は襟を正した。「お会いできて光栄です。『英雄の心得』はもちろん購入させていただきました」
目の前で柔和な顔をしている男女は
四英傑が揃った。
日本にいる亜人のレジェンド達がスマイルを祝うために集合する。理解はしていたが、現実に目にすると名状しがたい感動が押し寄せてきた。
実家の箪笥の上には、彼らのフィギュアが今も飾ってある。ヒーロースーツが変わるたびにフィギュアも買い直した。新たなヒーローが誕生しても、原点は原点。フィクションが虚構の壁を破って、現実世界に現れたような感覚になった。
空に浮かぶような心地で、有毒夫妻と他愛もない話をしていると、スマイルが声を上げた。
「これで全員だ。それでは皆、自由に席に座って」
彼に従い、僕らは一斉に席についた。円卓の出入り口から一番遠い席にはスマイルが座り、そこから時計回りに毒公、毒婦、僕、骨刃警視、氷妃、乾、道上という席順だった。均等に間隔をあけているから、スマイルの両隣が毒公と道上になっている。
ホテルの女性従業員が透き通ったガラス製のティーポットからティーカップへ紅茶を注いでいく。白い湯気とともに癒やしの香りが鼻に触れた。
カップもガラス製――縁の辺りにそれぞれ異なる十二星座のマークがある――のため、美しい紅い液体が同量注がれていくのが確認できた。全員のカップが紅茶で満たされたのを見たスマイルが、パーティーに先立ち、挨拶を始める。
「夜にでも、と思ったんだが、歳のせいかすぐに眠くなってしまうんだ。忙しない日中に集まってくれて、感謝しているよ。今日は警察庁の亜怪対から護衛に来ている骨刃ちゃんと尾竹君も急遽参加してくれた。気軽に楽しんでほしい。英国貴族のように紅茶を楽しむつもりは毛頭ないからね」
参加者は彼のジョークにくすり笑った。和やかな雰囲気に乗るように、彼はパーティーの開始を告げた。
「忘れてた、砂糖もある。道上君の近くにあるから回していってくれ」
道上は頷き、自らの紅茶にスプーンで砂糖を入れ、乾に回した。そのまま、乾から砂糖を回していき、砂糖を使ったのは道上、乾、スマイル、毒公だった。
最初に乾がスコーンに手を伸ばした。
「良いのか?」
「え?」
「お前がいいなら止めないが」
道上が乾にマナーを指摘したようにも思えたが、違和感があった。
僕はひとまず紅茶で、口を潤した。アフタヌーンティーの作法など知らない。思いつく限りで上品な作法を心がけた。周りを見ても、自由に飲み、スコーンを食べているようだったから、気にしても仕方ない。
「尾竹君、だったよね? あなたが狭霧ちゃんのバディ?」
骨刃警視越しに氷妃がはんなりとした関西弁訛りの標準語で突然僕に訊いた。近くで聞くと、年齢よりも幼い声に感じた。
「はじめまして、尾竹ミツロウと言います。骨刃警視とは配属されてから、ずっとコンビを組ませていただいていて」
「じゃあ、バディね。この子の仕事ぶりはどう? 人付き合いが苦手、というか雑だし、立派に社会人やれてるのか心配で」
骨刃警視を見ると、恥ずかしさと、変なことを言ったらただじゃおかない、という意思が透けて見えた。
僕は骨刃警視の活躍ぶりを張扇を叩きつける講談師のように語り、氷妃の心配を打ち消すことに成功した。これで骨刃警視の反感を買うこともない。少し突っ込んだことを訊いてみようと思い、
「お二人はどういう関係なんですか? ただの知り合い、という風ではないですよね?」
「少しばかり付き合いが長いだけ。ね、狭霧ちゃん」
「まあ、そうですね」
思えば、身長こそ違えど二人の外見は良く似ている。知り合いというよりももっと深い結びつきがあるのではないだろうか。
もう少し、その点を掘り下げてみたかったが、藪蛇な気がして心で止めておいた。
段々と、憧れのヒーロー達と対面しているという状況にも慣れてきたとき、乾が所要で少しの間抜けると言って、席を立った。僕はトイレを我慢していたので、便乗してトイレに向かった。
用を足し、鳳凰の間に戻ると、テーブルにはアイスティーが用意されていた。ボウルに入った氷をいくつでも使っていいらしい。
「キンキンに冷えていないと気が済まないんだ」
と、スマイルが風流な音を立てながら、氷を縦長のコップに入れていった。先ほどと同じく十二星座のマークがプリントされていた。
氷妃は氷に手をつけず、自らの手を低温にすることでコップを急速に冷やした。
「あなたも、氷を使わなくたって冷やせるじゃない? 氷は皆に残しておいてよ」
「雪の言う通りだけど、味が微妙に変わる気がするんだよ」
「まあ、私もウイスキーを飲むときはボール型の氷を使うけど」
スマイルが苦笑して反論すると、氷妃は肩をすくめた。
二人の間にある親しげな空気は、二人とスマイルの亡くなった妻が大学の同期であることが理由だ。サークルも一緒で、ヒーローになる前からの付き合いだというのはタブロイド紙のみならず公式の情報でも遠回しに認めていた。
それはともかく、スマイルと氷妃を除いた参加者は氷が必要なため、各々自分にとっての適量の氷をボウルから取った。家庭用冷蔵庫で作るものとは違い、カルキの白い部分がほとんどなかった。
スマイルは他の四英傑とも良好な関係を築いている。それは復帰祝いを兼ねたティーパーティーに皆が集ったことからもわかる。
ヒーロー業界を作り上げたのはパイオニアである彼らなのだから、戦友であり盟友なのだろう。
すると、数秒間部屋が暗くなった。予言を受けたことで窓からの狙撃を防ぐために全てのカーテンを締め切っていたから手元すら見えない。
「何だ、停電か?」毒公の声。
明かりがつき、入口近くの乾が、すみません、と頭を下げる。
「運動不足なんじゃないか? よろけて怪我でもしたら洒落にならない歳だから、気をつけてくださいよ」
恥ずかしそうに顔を伏せながら、乾は席に戻った。僕の父も六十歳近くになって、躓いたりする場面が増えたことを思い出した。
参加者が時計を気にし始めたとき、スマイルが立ち上がって挨拶を始めた。
「もう紅茶にも飽きてきたし、お開きにしようか。今日は本当に――」
不安を煽り散らかすようなサイレンがけたたましく鳴り響いた。
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