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推理を披露するシーンは関係者を集めて行うのが様式美である。姫崎と支配人、副支配人を二号室に呼び集め、骨刃警視の推理を石塚に突きつけようとしたが、中断せざるをえなかった。
密室トリック自体はいたって単純だった。
布川が置き時計に頭を砕かれたのは確かだが、砕かれ方が問題だった。彼は飛んできた置き時計で頭を砕かれたのだ。
今回の密室は完璧な密室だった。が、密室の外から密室内に現象を起こすことができた。そのために必要だったのが、あの金属製の筒、もとい箱だ。
一号室の椅子は固定されていた。椅子と筒を結ぶ線は壁と垂直になる位置関係だった。筒の前にはぴたりと置き時計が置いてあった。
大きな力で二号室から筒を叩いたとき、置き時計にエネルギーが伝わり、置き時計は凄まじい勢いで台から放物線を描きながら落下し、布川の頭部を破壊した。傷の位置が額寄りだったのは、音のした方向に振り返る途中だったからだろう。
しかし、この犯行を成立させるにはリハーサルが必要となることに加えて、一つの重要な条件がある。
この物理トリックを成功させるには相当な衝撃を筒に加える必要がある。
あの筒は壁に強力に嵌め込まれていて、埃の痕跡からしても、筒が一号室側に大幅に動いていないとわかる。言うなら、すこぶる効率性の悪いニュートンの揺りかご。三キロ近い物体を水平距離で一メートル以上飛ばすにはマシンやハンマーを使う必要があるが、石塚の部屋や館の周囲にそんなものは見つかっていない。ならば、石塚はどのようにこの馬鹿げた物理トリックを成立させたのか。
その答えこそ、推理披露を止めた原因と繋がっている。思い返せば、石塚はステッキが脛に当たったが、少しも痛がらなかった。
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石塚太郎は激昂し、狼人化能力者のように吠え続けていた。
彼はずたずたになったスーツの一片を腰からぶら下げていた。スーツが破けたのは今の彼が英国紳士風の身なりとはほど遠い、三メートル近い黒々とした巨体になったからだ。
「うっさいなぁ。静かにしてくれない?」
骨刃警視は全く気圧されていない。
「あいつは小さな子供を襲い、汚したというのに証拠がなく逮捕もされなかった。そんな悪人を殺して何が悪い」
「警察が逮捕できなかった犯人をどうしてあんたが知ってんのよ?」
「酔ったあいつが自分で吐露したのだ。あいつとは以前働いていた町工場の同僚同士だった。油断したんだろう。私は善人ではないが、そういう類いの悪行は許せなかった。私は、殺す機会をずっと待っていた。そして、願いに応えるようにアイデアが降ってきた……。貴様らはなぜ平静でいられる? そこの者どもは震えて縮みあがっているではないか?」
巨木の枝のように節くれだった石塚の指が示す方を見ると、姫崎や支配人らはいつの間にか部屋の外にいた。冷凍室にいるかのように身を縮め慄えている。姫崎でさえ、間近で亜人犯罪者を見るのは初めてだろう。
「だって……ねぇ?」
「まぁ……はい」
亜人をこんな間近で見るのが初めてなら、彼女達のように恐れ慄いていただろう。しかし、僕らは亜怪対なのだから、見慣れている。それに――。
「まあ、いい。私はこれにて失礼」
石塚はハットを取るようなジェスチャーのあと、ドアとは反対の壁を勢い良く殴って大きな穴を開け、それを押し広げるようにして洋館の裏にある赤と黄の薔薇園に出た。
逃げられはしないのに、建造物損壊罪まで重ねてしまった。網走の亜人刑務所での刑期がさらに伸びる。
瞬間、真横を疾風が通り抜けた。僕の動体視力では捉えられなくとも、その正体はわかっている。
一人のスーツ姿の女性が純白の仮面をつけ、節の連なる真白な大太刀――雪白刀を石塚に向けていた。
彼女を知らぬ者は日本に、いや世界にいない。
機関が厳正に査定した亜人の戦闘力ランキングによれば、彼女は日本二位、世界でも四位。素顔も身元を明かさない彼女を日本ではこう呼ぶ。
――髑髏剣姫。
後ろで誰かが呟くのが耳に入った。
「邪魔をするというのか。私の硬質化した肉体に太刀打ちできるわけがないだろう」
石塚は力士のように腰を沈めて両拳を地につけ、身体を前傾した瞬間、爆発的な速さで剣姫に突進した。線の細い彼女と、動く金属塊のような石塚とでは、衝突したとき彼女の内臓は無事では済まない、という不安が過ぎる。しかし、彼女は、彼女だ。
石塚の突進をひらりと躱し、剣姫は振り返った。それだけのように見えた。
が、石塚は絶叫し、手をつくこともないまま顔から地に倒れた。
「大袈裟。腱を切っただけなんだし、人殺しがみっともなく喚かないで」
そう言いながら、切断した腱のあたりを彼女は足首を捻りながら踏んづけた。悪人には容赦がなかった。
「骨刃警視、車から大型手錠持ってきますね」
呼びかけると髑髏剣姫こと骨刃狭霧はこくりと頷いた。
部屋を出るとき、三人に目にしたことを口外しないように要請すると、彼らは何度も首を縦に振った。
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クラウンのトランクからアタッシュケースを取り出し、巨大化した石塚の手首にかけられそうな手錠を見繕っていたとき、背後から話しかけられた。
「へぇ、こんなに種類があるんですね」
チワワのように大きな目を目一杯見開いた姫崎が立っている。
「手錠には心理的な効果がありますから、役に立たないことも多々ありますが各種取り揃えてます。それで、何の用です? 髑髏剣姫を除けば、あとは好きに記事にしていただいて構いません。僕も英雄新聞のファンの一人ですしね」
「はい、書かせてもらいますよ。でも、違うんです。お願いがありまして」
「また特ダネくれって話ですか? 特定の記者を特別扱いできないんですよ。あと、毎日のように電話かけてくるのやめてくださいね。事件関係者かと思って――」
「あー、はいはい。失礼しました」
苦情をぶつけると、姫崎は苦笑してそそくさと館の方へ踵を返した。
幼い顔立ちだが、獰猛な肉食動物のような記者としてのタフネスを姫崎は持っていた。
「手錠がいつまで経っても届かないから、こいつ引き摺ってきた」
突然の声に僕は手錠を取り落とし、そのまま一キロを超える金属が爪先を襲った。激痛で、喉が潰れたような声が出る。振り返ると、骨刃警視の足元には気を失った全裸の石塚がいた。奇跡的に股間を隠していたスーツの切れ端はどこかに行ってしまったようだ。
「まだ……まだやれる」
意識を取り戻した砂埃まみれの石塚が咳き込みながら力なく呟いた。骨刃警視の攻撃を受けてすぐに目を覚ますとは、亜人は丈夫だ。
「やれるんだ」
譫言のように繰り返すと石塚はまた意識を失った。
「あ、死んだ」
「縁起でもないこと言わないでください。死ねば能力が消滅しますから、形態を維持できないです。というか、被疑者が死んだら処分を受けますよ」
「それにしても……この人、車に入りますかね?」
「この状態じゃ無理だな。意識が戻ったら、無理矢理にでも元の姿に戻させるか」
帰宅が遠ざかりそうだ、と二人して項垂れた。
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