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「それでは、午前二時頃、大きな音が被害者の部屋の方から聞こえたんですか?」

「聞こえたと思うんですが、あのときは雷も酷かったし、私も眠かったので断言はできません」


 申し訳なさそうに話してくれたのは、石塚の隣の部屋に宿泊する神田という妙齢の女性だった。隣室に殺人犯がいるのは恐ろしくて仕方ないと、今は一緒に旅行に来た友人の部屋に身を寄せている。


「構いません。どんな音でしたか?」

「何かがぶつかったようなガーンという鈍く響く音でした。そういえば、昨日も似たような音を聞いた気が……夜ではなくて昼ごろに。お昼ごはんを食べに街まで出て、帰ってきて部屋に入ろうとしたときに。部屋に入ったら、その音は止んだので気に止めなかったんです。あっ、そういえば……何でもないです。本当にどうでもいいことなので」

「いえ、お願いします。関係なさそうなことでも、事件解決の糸口になることは珍しくありませんから」

「そうですか……がっかりしないでくださいね。その音がしたあと、隣の部屋の扉が開閉する音がして、そのあとすぐに開閉する音がまた聞こえて。二回目の開閉音がなぜか小さかったんですよね。隣室への音漏れを気にするなら、一回目も控えめに開閉するよなって」

「短時間で二回の出入りがあった、ということですか。もしかすると、一回目と二回目で開閉した人物が違うのかもしれませんね」


 僕の思いつきを言うと、神田は感心したように小さく頷きを繰り返した。僕の自尊心が擽られたが、お前は調子に乗ると痛い目を見るタイプだ、と自分に言い聞かせた。

 神田からの情報を仕入れ尽くすと、他の宿泊客にも話を訊きに行った。すると、宿泊者の一人に、石塚と布川が短い言葉を交わすところを見たと証言する者がいた。

 しかも、八崎によれば宿泊を開始した日は同じ三日前で、二人とも部屋番号を指定して予約をした。石塚は部屋に籠りがちで、布川は夜にならないと館に戻ってこないという対照的な行動傾向だった。

 支配人としては、見晴らしが良いのは二階だから一階の部屋を指定するのは違和感があった、と彼は話した。

 石塚にとって、密室を構成するにはあの部屋でなくてはならなかったのだ。それは恐らく、二号室だけでなく一号室も、だ。

 そして、一号室と二号室だけ、他の部屋と異なっているのは、例の金属製の箱。

 八崎が言うには、元々は食事等を二号室から一号室へ扉を開けずに提供するためのものだった、という。洋館を建てた資産家が引きこもりがちで、わざわざ注文して作らせた。ホテル開業にあたり、撤去しようとしたが壁にぴたりと嵌っていて壁をくり抜くしかないとわかり、蓋を溶接することで予算を抑えたという経緯があった。

 これをどのように密室に利用したのか。

 蓋は完全に溶接され、箱――というよりも筒を取り外すこともできない。第一、取り外すことができても、布川を殴り殺すことはできない。

 頭を捻ってみるも、道筋が全く見えない。目を閉じれば、全ての手がかりが走馬灯のように脳内を廻り、眩く輝くアンサーに辿り着くようないかした体験をしてみたいが、こうして目を閉じて瞑想していても眠りにつく予感しかしなかった。

 一号室に戻ると、骨刃警視が部屋唯一の椅子に腰掛けていた。振り向いて僕を見ると、また机の方に向き直った。


「お疲れですか?」

「私はこのくらいじゃ疲れない。知ってるでしょ?」

「心配されないのも寂しくはないですか? さあ、それはさておき、手がかりになるかはわかりませんが仕入れてきた情報をお伝えしますので、いつものように解決してもらって、早く東京に帰りましょう」

「ミツロウが解決する選択肢はないわけ?」


 眉を顰めた彼女の批判的な視線をへらへらと受け流しつつ、手早く情報を伝えきった。僕はやはり助手としてのロールの方が適している。

 労いの言葉をかけられないので、横に回って顔を覗くと、孔雀の羽のような睫毛を垂らして瞼を閉じていた。

 静謐な空気を纏いながら目を瞑るとき、彼女はいつも正解に辿り着く。僕の憧れる体験を彼女はいつも独り占めする。

 数秒の静寂のあと、大きな双眸が開かれた。


「警視、わかったん――」

「いつもいつも顔が近い」

 骨刃警視は僕の顔をぐいと押し退けてから立ち上がると、

「さぁ、さっさと帰るよ」

「やっぱりわかったんですね?」

「うん。多分、ここに……」彼女は部屋の隅から絨毯を引き剥がした。「ビンゴ」


 絨毯に隠されていたのは椅子と壁のフローリングに三日月型の三つの傷跡だった。三つの傷跡は一本の直線で繋ぐことができる位置にあった。

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