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 現場は群馬県にある洋館。養蚕業で一財を築いた大正の資産家が建てた館を現在はホテルとして利用しているという。通称、晩蚕館ばんさんかん

 その一室で男が殺されているのが発見された。部屋には鍵がかかっており、被害者はその密室の中で後頭部を殴られていたにもかかわらず、凶器も部屋の中にあった。

 というのが、通報者の概要だ。

 門扉近くのボタンを押してブザーを鳴らすのと同時に、湿り気のある風が近くの林の青臭さを伴ってぶつかってきた。

 苔むしている館の外壁の煉瓦の上に蔦が巻きついている。真昼の太陽に蔦が灼かれ、館ごと炎上してしまいそうだ。

 ホテルの従業員らしいフォーマルな格好に身を包んだ男女が背丈の倍近くはあろうかという巨大な玄関扉から現れた。

 門を抜け、旭日章に亜怪対を示す『A』の字が重なったバッジがついた警察手帳を掲げながら、彼らに声をかけた。

 眉間の皺が目立つ男が慇懃に腰を折り、


「お待ちしておりました。私が支配人の八崎やざきで、隣は副支配人の佐藤さとうです」

「通報者はお二人の中に?」

「いいえ、違います。宿泊客の方が通報してくださいました。エントランス近くにいらっしゃいますので、お呼びしますね」


 支配人が連れてきたのは淡いピンクのセットアップを着た小柄な女性。僕らと同年代だが、一瞥しただけではもっと幼く見える顔立ち。女性的なくびれた体型とギャップがある。

 通報者である彼女の姿を目にしたとき、僕と骨刃警視は恐らく同じ感情を持った。

 ――また現場にいるのか。


「ご無沙汰してます、姫崎ひめさきです」


 畏まった話し方とは不釣り合いな甘い声で名乗った。

 彼女は姫崎桃香とうかという英雄新聞社の新人記者で、現場に度々現れるため、既に面識があった。

 骨刃警視はため息をついた。


「まったく、どこにでも現れますね」

「実は、弊社宛てに透過能力を証明してみせる、と匿名でメールがあり、私が代表して宿泊していたんです。そしたら、こんなことに……」

「そんなモノが届いたら我々に通報すべきだと思いますが、殺人を行うとは書いてなかったなら致し方ありません。密室殺人犯はどこに? 自白したんだから大人しくしてるでしょう?」

「犯人は元々宿泊していた部屋に。暴れることもなく、亜怪対への通報を頼んだのも彼です。あっ、念のため、死体発見時の様子をドアの外から撮影したので、データをお渡ししておきます」


 彼、ということは犯人は男か。

 八崎の案内に従い、洋館の中に足を踏み入れた。上を見れば、豪華なシャンデリアが吊られていて、下を見れば汚れ一つないワインレッドの絨毯が万遍なく敷かれていた。こんな場所で、人を殺すなよ。

 東西に部屋が連なっている二階建ての洋館は、ワンフロアごとに四部屋ずつ部屋があった。そのうち、一階の東側の部屋でエントランスから見て一番手前にある部屋とその隣は従業員達のスペースに当てられているから、宿泊できるのは計六部屋だ。

 今日は全ての部屋に一人ずつ宿泊客が入っているそうだ。

 犯人の宿泊する部屋と死体が発見された部屋はどちらも洋館の一階。西側の最奥から一つ手前の部屋に殺人犯が泊まり、最奥に被害者が泊まっている。つまりは隣同士だったのだ。


「こちらの二号室のお部屋に加害者の石塚いしづか様がいらっしゃいます。以前もお泊りいただいたことがあり、今回も三日御宿泊いただいておりますが、とても人を殺めるようには……」

「人殺しの神父を逮捕したこともありますし、人間なんて皆、本性を取り繕って生きています。あなたが責任を感じることはありませんよ」


 淡々と事実だけを骨刃警視は告げたが、取り繕った言葉よりもよっぽど説得力があった。

 骨刃警視はノックなしで外開きの扉を開けた。

 ビジネスホテルのシングルルームよりも狭い部屋、被疑者はステッキに手を置いたままシングルベッドに腰掛けていた。

 男は立ち上がり、ステッキパフォーマンスを披露しながらお辞儀をした。格好をつけているつもりだろうが、男が脛にステッキの先端をぶつけたのを見逃さなかった。気にしていない素振りだが、あれは相当痛い。


「警察です。あなたが自称、密室殺人犯ですか?」

 訊くと、男はにやにやと、

「自称ではなく、私が壁を通り抜けてあの男を殴り殺したのですよ。ああ、私は石塚太郎たろうと申します。偽名じゃあ、ありません」

「なら、目の前で透過できるところを見せてください」

「それは無理ですよ。能力の発動は条件が揃ってはじめてできるのです」


 溜息をつき、骨刃警視をちらりと見た。彼女の表情も曇っていた。

 石塚は偽者。過去の透過能力者になりすました者達も同じように何かと理由をつけて能力の発動を拒んだ。穴だらけの新法の運用上はそれが許される。

 血液検査キットを鞄から取り出し、亜人判定を行った。亜人の血液は特定の酸性寄りのpH値を示すことを利用した簡易的なキットだ。正確かつ安価なため重宝された。石塚は、確かに亜人だった。

 念のため石塚に無意味な手錠をかけて、密室殺人が起きた隣の一号室に向かい、八崎から預かった鍵で解錠してドアを開けた。

 部屋で死んでいたのは上下スウェットを着た恰幅の良い禿頭の男性。額に近い右側頭部の裂傷から血が流出して、同色でわかりづらいが真紅の絨毯に染み込んでいた。頭蓋骨まで陥没しているだろう。

 凶器はフローリングの床に転がっている重そうな置き時計。文字盤のガラス部分がひび割れてべったりと血がついている。針が動いていない。衝撃で壊れてしまったらしい。

 デスク上に置いてあったリュックの中身を確認すると、布川ふかわとおると記載のある免許証が出てきた。リュックのそばには銅製の鍵とパソコン。

 薄いゴム手袋をはめた骨刃警視が手際良く検死を終え、死亡推定時刻を告げる。


「今日の午前一時から午前四時ってとこ。解剖をしたらもう少し狭まるだろうけど」

「その時間、このあたりは酷い雷雨だったようです。悲鳴や物音がしたとしても、それに掻き消されてしまったと思われます」


 部屋の広さは石塚の部屋より少し広い十畳ほどで、ユニットバスがドアから見て左にあった。家具はベッド、デスク、椅子のみ。布川はドアの正面の壁にぴたりとつけられたデスクのそばにある椅子の横に石塚は倒れていた。

 椅子は他の部屋と同じく地面に固定されているタイプで、使用するときは背もたれを持って後ろに倒すとちょうど身体を入れられるスペースが空く。


「デスクの上にはパソコンがありますし、夜中までパソコンを操作しているときに後ろから殴られ、そのまま倒れた」

「何のために夜中までパソコンを開いていたのか。はい、私の言うパスワードを打ち込んでいって」

「社会人なんですからパソコンは使えるようになりましょうよ」

「絶対、嫌」


 僕の配属前はどうやってホワイトカラーの業務を乗り越えてきたのかが謎である。

 渋々スリープモードになっていたパソコンを起動すると、耳元で囁かれた通りにいくつかコードを打ち込み、被害者の生年月日でロックを解除できた。すると、ワープロソフトが起動しており、縦書き文書の編集画面が表示されていた。


「被害者は、作家?」

「本当だ。物語が書いてありますね。しかも、凄いページ数ですよ。でも、おかしいですね……被害者の名前を検索しても何も出てきませんよ」

「作家じゃなくて、作家志望だった?」

「パソコンのカレンダー機能に登録されたスケジュールに、本日締め切りの新人賞がありますね。締め切り間近になっても作品が完成せず、徹夜で執筆作業を行っていたところを、撲殺された」

「スウェット姿だとルーズな人に見えるけど、部屋は整理されていて几帳面な人だったように思える。そんな人が締め切りギリギリで作品を完成させようとするかな?」

「確かに、リュックやキャリーバッグの中もポーチを分けるなどして整理されていました。僕、ワープロソフトの作業履歴を調べてみますよ。警視と違って、デジタル強いですから」


 むっとした顔をした骨刃警視を放置してパソコンを調べると、小説のデータが一部、前日に削除されていたとわかった。


「誤って削除したんでしょうか?」


 何も反応がないので、骨刃警視を見ると、彼女は引き倒された椅子の真横に一メートルほど離れた壁に設置された金属製の箱を見ていた。箱のすぐ下には木製の板が設置されていた。高さは警視の胸のあたりだ。


「何ですか、それは?」

「さあ。縦横はともに二十センチで、奥行きは十センチもない。蓋が正方形部分にあるけど、溶接されていて開けることはできない。これは……壁に埋め込まれているのか。壁に接している部分だけ、一ミリ以下の擦れたような跡がある。そして、箱の下にある板は何が置かれていたのか」

「埃の溜まっていない部分の大きさからするに、凶器の置き時計が箱にぴたりと接するように置かれていたんじゃないでしょうか? 犯人はそれを手に取り、一発殴りつけた。この箱の用途は八崎さんに訊いておきます」


 ひとまずこれらの問題は後回しにして、密室について現時点で考えられるトリックが実行可能かどうか検証しなければならない。

 まず、鍵がかかっていなかった可能性。八崎が姫崎から事態を伝えられ、スペアキーを用いて解錠したのだが、動画を確認する限り、八崎は怪しい行動をしていない。ドアの鍵は確実にかかっていた。

 また、八崎によるとスペアキーは他の部屋のスペアキーとともに鍵束にされ、普段は鍵のかけられる引き出しに保管しているため、石塚がスペアキーを盗んで密室を作るのは不可能。仮に布川の持つ鍵の型を取得することができたとしても、三日間石塚はホテルを出ていないから鍵屋に複製を依頼することもできない。そして、ピッキングの痕跡もない。

 ならば、ドアを開けるまで何者かが潜んでいた可能性は。部屋に隠れられる場所はベッド下ぐらいだけれど、動画にはそんな人物は映っていない。

 ドアはドア枠にほとんど隙間なく接していて、廊下側から仕掛けをするのも難しい。そもそも、ドアとデスクは数メートル距離があるのにドアを起点としたトリックは不向きだ。ピッキングの痕跡も見られなかった。

 窓から抜け出すのも嵌め殺しになっているせいで不可能。

 ――まさか、本当に透過能力なのか?

 いや、と頭を振る。それなら、石塚が僕らの前で能力の発現を拒否した理由が説明できない。


「また、悪い癖。亜怪対の捜査対象が何なのか、それを考慮しなきゃ問題は乗り越えられない。私がいつも言ってる捜査の心得、覚えてる?」


 配属された当初から口を酸っぱくして言われている心得だ。いつも骨刃警視は節が太くなったりしていない綺麗な指を立てながら、言う。


 その一、能力の偽証を疑い、あらゆる要素から亜人能力を考察する。

 その二、証拠から導かれる事実を常識よりも信用する。


「そう。広い視野を持って考えないと」

「でも、なかなか難しいんですよ。発想の飛躍が僕は不得意なようです。謎解き本はすらすら解けるようになったんですが」

「そういうことじゃないっての」


 骨刃警視は僕の尻を軽く蹴った。

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