第3夜 この子は本気だ
人というのは、良くも悪くも他人に対して薄情になれる生き物なのだろう。何事もなかったかのように店内は賑わっていた。
私たち三人を除いて。
「あ……」
「あ~らら~」
吉田君が凍りつくのは分かるけど、少女がニヤニヤしながら彼を見ているのは何なのか。もしかして、吉田君は騙されてるとか?
いや、そんな都合の良い話があるわけがない。少女漫画じゃないんだから。
「あ、えっと……これは……」
「ほらほら、なーに固まってんの」
少女がバシッと彼の背中を叩く。なんだろう、この違和感。
「まぁ、あれだ。お姉さん、こっちおいでよ」
「はっ?」
少女が寄ってきて、唐突に私の腕を掴んだ。突然のことに、私は為す術もなく彼らのテーブルへと引っ張られていく。
結局、彼らと同席することになった。
(気まずい……)
いや、むしろチャンスだ。
ここで徹底的に問い詰めてやる。
戦にでも出るような……そんな奇妙な高鳴りを胸に、吉田君をじっと見据えた。
「それで、これはどういうこと?」
口から出た声は、驚くほど冷めていた。
さっきまで湧きあがる怒りで気が狂いそうだったのに、いざ問い詰める立場になった瞬間、不思議なほどに心が落ち着いた。
怒りのあまり呆れているのか、それとも自分で思っている以上に私が冷たい人間だからか……分からないし、もうどうでもいい。
恋なんて、もうこりごりだ。
「えっと、その……」
「やましいことがないなら、はっきり言えるはずだよね?」
「全然ないよ! ないけど……」
「やましいも何も、僕、男だしねー」
隣の少女の何気ない一言で、目が点になった。
「ほら、僕ですよ。前に部活で会った山岸です」
「え」
やまぎし。
僕、部活、やまぎし……山岸?
「――えっ? あの、山岸君!?」
「お久しぶりです、佐藤さん」
山岸君といえば、吉田君の部活仲間だ。
演劇部に顔を出した時に会ったきりだったけど、顔が恐ろしく整っていて、肌も透き通るように白かったので印象に残ってる。
「実は僕、昔から女装趣味があるんですよ。そんな趣味を持ってたもんだから、よっちゃんに目ぇ付けられちゃって」
「ちょ、バカ!」
………………
…………
……あぁ、なんだぁ。
思わず、安堵の息が漏れた。
それを悪い意味にでも取ったのか、彼が目を見張ってなおさら顔を青くした。
「いや! 佐藤さん、これはその――」
「まぁ僕もどこまでこの恰好で通用するか興味あったし、利害の一致ってことで、よっちゃんの頼み事に付き合ってやってたんです」
付き合ってやったと言いつつ、山岸君はめちゃめちゃ楽しそうだ。何故か横で、吉田君がいっそう顔を青くしているけど。
(ていうか、リアル男の娘じゃん!)
そういえば、細身と声の高さを生かして、演劇部では女の子役をやることも少なくないと言っていた。すごい。言われないと全然分かんな――
(あれ?)
山岸君って、こんなおちゃらけた感じのキャラだったっけ?
(……まぁ、そんなのどうでもいいか)
「女装は好きでも男を好きになる趣味はないんで、安心して下さい。まぁ、無駄に緊張してたよっちゃんは見ものでしたけど」
「お前な……」
「じゃあ、僕そろそろ帰るね」
「あ、おい山ちゃん!」
「頑張ってね~」
山岸君はひらりとスカートを翻しながら立ち去っていった。本当に、遠目からだと女の子にしか見えない。
ようやく、二人きりになった。
店内は賑わっているはずなのに、何も入ってこない。心臓の音がうるさくて、身体の内側から壊れてしまいそうだ。
沈黙に耐えられず、私は無理やり口を開いた。
「えっと、なんか……ごめんね?」
「あ、いや、佐藤さんは全然……」
彼がまた口をつぐむ。何やら事情があったとはいえ、現場を見られたショックをまだ引きずっているのだろうか。
「吉田君、私、もう怒ってないよ?」
「えっ? もうってことは……」
「ついさっきまでは怒ってたけどね」
「すみませんでした!!」
「いやいや、もう大丈夫だから」
あえて軽く言うことで、さっきまでの見苦しい自分を誤魔化す。
こうでもしないと自分を保てなかった。彼を疑った挙句、尾行にまで及んだ自分が恥ずかしくて、死にそうだから。
「でも、なんであんなことを?」
「それは……」
「あ、言いにくいなら別に」
「いや、言う。友達に女装させて興奮する変態野郎だなんて思われたくないから」
「心配するところそこ!?」
「え?」
「あ、いや、なんでもない」
きょとんとした吉田君を前に、私は地中深くに沈みたい気分になった。間違っても浮気を疑ったなんて言えない、絶対に。
「ほら、明日、佐藤さんの誕生日じゃん。だから、その……」
ごくりと、唾を飲み込む。
「いつもと違うデートをと思って、予行練習を」
「ぷはっ!」
「えっ!?」
「あ、ごめん。ちょっと可愛くてつい」
「可愛い!?」
「そっかぁ……」
この子は本気だ。
一生懸命、私のことを考えてくれている。私を喜ばせようと、私が普段行き来しない場所を選んで、友達に協力してもらうほどに。
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