第44話

 状況をまとめると、どうやら私は交通事故に遭ったようだ。そして救急車でこの病院に運ばれている。意識が2日間くらいなかったので、このまま起きないんじゃないかと母は心配していた。

 事故のあとすぐに病院に運ばれ、頭には大きなダメージを受けていないことがわかった。そのことがわかった時も、母も姉も喜んで泣いてしまった。

 そして。


「今日は、これまでの検査の結果をお知らせして、今後どうして行くか考えましょう」

 先生に呼ばれて、父と母がベッドの脇で緊張していた。

 初めは、私は同席しない予定だったが、私も聞きたいと強く言ってこの場で話を聞かせてもらっている。

 だって自分のことだもの。なんとなく予想はついているし、それならハッキリと言ってもらった方がいい。切り替えも付くし。

 小学校6年生ながら、この時は冷静だった。今でも覚えている。

「これまでの検査で、頭と上半身には大きな異常はありません。なので、知的にも、上肢の運動にも問題無くやって行けるでしょう」

 私は少しほっとしたが、父と母は、表情を変えない。問題はそのあとなんだと思っているからだろう。

「ただ残念なことに、脊髄のダメージが大きく、下肢の動きがありません。いわゆる脊髄損傷というやつです。このままの状態がずっと続くことが予想されます」

 せきずいそんしょう?あんまり聞いたことないな。

 私が疑問を持っている顔つきをしたためか、先生がわかりやすく言い換えてくれた。

「脳から足につながっている、命令を伝える電線が切れちゃったんだ。この電線は、なかなか代わりがないものなので、今は切れたままでいるしかないんだ」

 父と母を見ると、私を見つめて涙を堪えているようだった。私が泣いていないのを不思議な様子で見ていた。

 この時は、泣きたいなんて思わなかった。だって、何が起きているのか、これから何が起きるのか、わからないんだもの。

 実際にどれだけ大変なことかわかったのは、リハビリを始めるようになってからだ。

 足には全く力が入らないので、リハビリは足に装具をつけて歩く練習をする。でもこの装具がとても重くて、中学に上がった私でもなかなか上手く使いこなせない。こんなものをつけなければ歩けないのなら、私には一生無理だ。

 現実を少しずつ知ると、絶望も増える。

 でも、途中で電動車椅子を使うようになってからは、行動範囲が広がった。

 リハビリというと、できなくなったことを元に戻すというイメージがあったが、実際にやってみると、今できることを広げていく、という感じだった。

 周囲の友達からは、早く歩けるようになったらいいねと励ましを受けるが、歩けるようになることだけがリハビリではない。そもそも、私の身体ではもう歩くことは難しいだろう。

 優しいから人が傷つかない、わけではない。


 ある日、リハビリの担当の先生から、今日はプールで運動療法をします、と言われた。プールで何をするんですかと尋ねると、一緒に泳ぐわよと返事が返ってきた。

 言われた時は、こんな身体で泳げるわけないじゃない、と反発した。今まで優しかった先生なのに、なんでこんなひどいことを言うんだろう、と思った。

 でも先生は、水中は浮力があるから大丈夫、と言って、病院に隣接しているスポーツクラブに一緒に付いて来てくれた。付いてきた、と言うよりは私が引っ張られて連れて行かれたのだけれども。

 ここは、病院と提携して、入院中でもスポーツトレーニングができる施設らしい。

 そこで、体験コースでプールに入った時、私は怖さを忘れて水面に浮かんでいた。

 今まで、事故に遭ってからの自分が、自分じゃないみたいに思えた。

 人って、こんなに水に浮くんだっけ?

 事故に遭う前も、泳げなかったわけではないけれど、こんなに身体を軽く感じたことはなかった。

 天井を見つめながら、まだこの世界でできることがあるかも、と思うことができた。

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