第43話

 見学旅行の日がやって来た。

 いつものように、母の心配そうな素振りから朝が始まった。

「準備はいいの?忘れ物はない?体調は大丈夫?学校まで送ろうか・・」

「はいはい、いつも通り大丈夫だから。お母さんは心配しすぎ」

「でも・・」

「私だっていつまでも子どもじゃないのよ。もう高校生なんだからね」

「そうだけど・・。あの時だって・・」


 あの時とは、私がこんな身体になった日のこと。

 その日は、小学校6年生で遠足の日だった。

 それまでの私は、運動も勉強も頑張って、誰からも認められる子だった。

 友達も多く、先生からも信頼され、クラスの学級委員長もやっていた。自分でも、そういう自分が好きだった。

 

 家を出て学校までの道のりは、もう6年間も通い慣れた道だった。

 空き地の場所も、そこはネコの溜まり場だったことも、2丁目の佐藤さんの家の角を曲って見上げた時の空の景色も、すべて思い出せる。

 空を見上げると、飛行機が雲を作りながら空を横切っているのが見える。

 あー、いいな。あんな風に空を飛べたら。

「あ、風船忘れちゃった」

 遠足のレクリエーションで使う風船を、部屋の机の上に置いて来てしまった。委員長の私が持っていく係になっていた。

 飛行機雲を見て、空を見上げていたらそのことを思い出した。

「あー。もう!こんな時になんで忘れるのよ!」

 そう思って、家まで取りに戻ろうとくるりと振り向いた時、前から見慣れない車が来たのが見えた。

 次の瞬間、私はその車にはねられていた。

 そこから先の記憶はない。

 気がついたら、ベッドの上だった。でも、見慣れない場所だった。

 どこだろう、ここ?私だけ遠足の場所に早く着いて、疲れて寝ちゃったのかな。

 耳が聞こえるようになったのでよく聞いてみると、スーハーという呼吸の音が聞こえた。よくテレビで見る、ダースベイダーみたいだ。この間も、お姉ちゃんと家でスターウォーズの映画を観たから、なぜか覚えている。

 周囲を見渡すと、私の腕や鼻や、身体のあちこちにいろんな管が付けられていた。これも、映画で観た気がする。

 あれ?私、今何してるの?

 ああ、そうだ。早く学校に行かなきゃ、遠足に行けなくなるよ。

 起きようと思って手を動かした途端、枕元の機械がピコピコ鳴り出した。

 誰かの走る足音が聞こえて、ドアが開いた。

「葵!」

 お母さんが叫びながら、部屋に入って来た。一緒に、白い服を着た知らないお姉さんも慌てた様子でやって来た。

 あ、これ、私、病院だ。

 言葉になっていない単語をつぶやいて、今の状況を少しずつ理解してきた。

「葵、お母さんがわかる?」

 そりゃ自分のお母さんくらい見分けられますよ。だって大好きなお母さんだもの。小言は多いけれど。

「お母さん、私・・」

 自分ではハッキリと言葉にしたつもりだったが、ほとんど母には聞こえていなかった。

「何?なんて言ったの?葵、お母さんよ。わかる?」

 声が出なくなったんだろうか。こちらは話しているつもりなのに、相手に伝わっていない。なんか変な気分だ。

「お母さん、一旦落ち着きましょう。今、先生が来ますから」

 看護師さんがお母さんを落ち着かせ、母は部屋のソファに倒れ込むように座った。

「葵・・」

 母が泣いている。それを見て、私も悲しくなった。

 私が悲しいんじゃない、泣いている母を見たから悲しくなったんだ。

 そして私も声をあげて泣いた。

「葵、声が出るのね!」

 思ったほど大きい声で泣いていたらしい。

「うん・・、お母さん・・」

 今度は母に届いたようだ。

「葵・・うう・・」

 母の方が大きな声で泣いている。でも、ちょっとうれしそうな声だ。それはなんとなく感じた。

 泣いているのに、少しうれしそうな感じ。嫌な感じじゃないのに、なんか変。


 

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