第40話

 きっかけは、入学式の後に、同じクラスの子が水泳部に入ると言っていたのが聞こえてきたことだった。

「えー、浜名さんは水泳部に入るんだ?」

「うん、中学でもやってたから。今日これから見学に行こうと思って」

 その子の周りには何人かの女子が集まっていた。入学初日からこれだけ人を惹きつける力があるなんて、何か魅力があるんだろう。

「へー、すごいね!何か大会とか出てたの?」

 同級生が質問しているが、嫌味もなくサラッと答えている。

「うん、全国は行けなかったけど、県大会は出たよ」

 私の泳ぎでは、そんな結果は残せない。

 でも。

「あの!」

 気がつくと、周りに居る同級生を押しのけて、私はその子の前に行って声をかけていた。

「うん?どうしたの?」

 その子は笑顔で私に問いかけてくれた。

「えーっと、確か吉川葵さん?だよね?何か?」

「あ、いや、その・・」

「さっき自己紹介があったけど、私の名前覚えてる?」

「あー、えーと。浜名さん、です・・」

「そう、浜名美海です。で、吉川さんはなんの用かしら?」

「あの、水泳部に入るって聞いたから・・」

「おー、そうなんだよ!吉川さんも、水泳部一緒に入る?」

 浜名さんは、ほんの少し、私の車椅子を見ていたが、躊躇なく一緒に入ろうと言った。

「いや、でも、そんな」

「泳ぐの好きなんだ?だったら、いろいろ関係ないんじゃない?好きなら、それで」

 昔、入院中に水泳をやらされた時期があった。最初は怖かったけれど、理学療法士の先生に手を引かれ水に入ると、身体が軽く感じられた。いつもの、重い体を引きずるような感覚ではなく、私が私であることを感じられるような新鮮な感覚だった。

 また、あの感覚を感じられるようになりたいな。


 そこに、静かなモーター音が聞こえて、もう一台車椅子が現れた。同じクラスの藤森さんだ。

「吉川さん、これからインクルージョン部の説明会があると、隣のクラスの子が言ってきたけど、どうします?」

「あ、はい。それは行きます」

 浜名さんはその様子を見て、その場を離れようとしていた。

「あ、待って!この集まりが終わったら、また話が聞きたい」

 私は浜名さんに咄嗟に声をかけた。

「うん?いいけど、私は放課後、水泳部の見学に行くよ」

「わかった、何時になるかわからないけれど、必ず行くから!」

「はいはい、当てにしないで待ってるよ」

 後ろ姿の浜名さんは、笑っているようにも見えた。彼女がいた場所に残っていた空気が、暖かくなって、水面に光が反射しているようにゆらゆら感じられた。


「吉川さんは、水泳部に入るんですか?」

 一緒にインクルージョン部の部室に向かう途中、藤森さんに質問された。

「いやいや、まだ決めたわけじゃなくて、だいたいこんな身体だし」

「あら、泳ぐことが好きなら、身体なんて関係ないと思いますよ」

 藤森さんは、浜名さんと同じことを言った。私のように自信のないような表情は一切見せない。何か達観したマスターのようだ。

「藤森さんは、何かしたいことあるの?」

 そう問いかけると、彼女は私を見つめて答えた。

「インクルージョン部は私たちにとって大事な場所だから参加します。それ以外にも、なんかやりたいなって思うけど、なかなか見つけられなくて。」

「そうなんだ。私は中学でも水泳やってたから。もっぱら大会には出ないで、自分の好きなように泳いでいただけだけど」

「水泳部なんて、いいですね!」

「まだ、わかんないけどね」

 私は、みんながどこか不自由な人の集まりだけで、何か形を残しても意味がないと思っている。そんな温室育ちにもなりたくない。それでは、大人たちが前に作ってくれた世界と何も変わらない。

「やりたいことが見つからないなら、まずはやれることから始めたら?」

 藤森さんに言ってるようで、自分自身に向けて言った言葉だった。


 この学校では、普通教室の授業は制服に着替えなさいと指導されている。その場にあった服装を心がけてねと入学時に説明された。

 もちろん、相談すれば体操服でも授業を受けられるようにしてくれただろう。なんせ私は着替えに時間がかかる。両足が動かないと、ズボンやスカートの脱ぎ着が大変なのだ。足を伸ばせる広い場所もいる。

 最初にその話を先生に伝えたら、水泳の後の時間は遅れても構わないと配慮してくれた。でも、やっぱり遅れて教室に入るのは嫌だし、クラスのみんなもわかってくれるけど、できるだけ一緒に行動したい。

 そう言うと、先生は体育の時間を午前の最後に組み替えてくれた。体育の後がお昼休みなら多少遅くなっても取り戻せるかな、と言ってくれた時は、素直にうれしかった。

 でも、私のためにそんなことまで変えてしまうのはどうかと思います、と言うと、あなただけじゃなく、他の生徒もその方が楽じゃない?と笑ってくれた。

 これで気持ちが楽になった。

 友人たちも、ごく普通に接してくれる。必要な時には手を貸してくれるし、私が一人でできそうなことについては、最初は一切口を挟まない。色々やって困った感じが出てきたら、何か手伝う?と声をかけてくれる。

 最初から、自分はみんなとは別で助けるべき存在、というような態度で手を差し伸べてくれない。それは心地よい。

 ここは、そんな学校だ。


 インクルージョン部の部室に着くと、車椅子に乗る子のアドバイザーである東山小雪先生が私たちを待っていた。今年の入学生が揃ったところで、学校生活に関するオリエンテーションがあった。

 そこでは、昨年雑誌に取り上げられた二柚先輩たちが快く迎えてくれた。私もこの4人にはとても憧れてこの学校に入学したから、この部で何か活動をしていきたいと思っている。

 でも、水泳もやってみたい。あの水と戯れる時間は、私にとって、何物にも変え難い。

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