第36話

 もう13:00を過ぎた。

 水上くんの出発の日は、家から出ないつもりだった。もう終わったこと、と強く自分に言い聞かせていた。まだ見ていない映画の録画を観ていたが、全く頭には入ってこなかった。

 そこに、葵からメッセージが来た。

 メッセージには、「駅前から空港バス 1400」とだけ書いてあった。


 あんなに反対してたのに、葵ったら。

 会えば未練を残してしまうって、わかっているのに。

 友達として見送りに行けばいいんじゃないの?

 ううん、ダメだ、あの顔を見たらそう思えなくなる。だって、私の好みの顔だもの。

 でも、見送りに行って、どうするの?何を伝えるの?

 私はあなたのことが好きでした、じゃあさよなら、って?

 それじゃ、相手も困るわよ。それにきっと、村上さんや他の子も来てるだろうし。


 13:30になった。

 突然私は家を飛び出して駅に向かった。電動車椅子が出せる最大スピードで走った。

 もう一度、あの顔が見たい。

 それ以外の理由は、あとでなんとでも付けられる。

 もう時間がない。どうしてもっと早く決断しなかったんだろう。いつものことながら、自分の行動力のなさに呆れる。でも、間に合って欲しい。時計をチラッと見る。デジタル表示が13:59に変わった。

 もうすぐ駅前の交差点に差し掛かるが、信号が赤だ。早く色が変われと祈るように信号を見つめていると、目の前を空港行きバスが通り過ぎて行った。その窓の一つに、あの顔が映っていた。

 ゆっくりと、バスは交差点を通過していった。


 駅に着いて、葵に電話をした。

「会えたの?」

「いや、間に合わなかった」

「行ったんだ」

「うん」

「もう少し駅前にいて。今行くから」

「うん、ありがとう。そうするわ」

 近くにいたのだろうか、15分もかからずに、葵は待ち合わせ場所に来た。

「残念だったわね。いや、よかったのかな」

「どうだろう」

「とりあえず、お疲れ様」

「はい、ありがとうございます」

「終盤の展開はなかなか予想できず、面白かったけど」

「何の予想よ」

 葵と話すと気持ちが楽になる。こんな友達がいてくれて、本当に感謝している。

「全部やり切ったんだから、もう未練ないでしょ?」

 本当に全部やり切ったんだろうか。私は何も努力していない気がする。

「あのね、葵。本当に私、自分の持っているものを全部出して向かっていったんだろうか。それなら、今もっと清々しい気持ちになるんじゃないかな?」

 話しながら、涙がボロボロこぼれ落ちてきた。

「今日だって、葵が調べて教えてくれたから見送りに行こうと思ったし、それにさえ間に合ってないし・・。私、何にも努力してない」

「まあ、努力したからって思い通りになるわけじゃないけどね。大切なのは後悔しないってことじゃないかな。結果を予測して努力することも大切だけど、努力して生まれた結果も大切にするっていうか・・」

 こうなりたいという希望も曖昧で、どうすればいいという行動も中途半端だった。それに結果がついてくるはずがない。

「あんまり先ばっかり読んでも、面白くないんじゃない?」

 付き合ったらこんな面倒が起こるとか、こんな風に思われるとか、私は先回りして不安を避けることばかり考えていた。だから、前に進めなかった。

 でもそんなこと、付き合ってから考えればよかったんだ。何かあったら、二人で考えていけばよかったのに、やっぱり難しいねと言われることが怖かった。

「今日は泣いてもいいからさ、明日からは笑って行こうよ。栞がメソメソしてると、私も寂しいもの」

 もらい泣きなのか、あの葵が泣いていた。

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