第34話

 教室に戻ると、水上くんたちが席を立つところだった。

「あ、葉月さん!」

 水上くんが私に駆け寄ってきた。また鼓動が速くなる。

「丞―、早く行くよ!」

「あー、ごめん、先に行っててくれ」

 村上さんがずっとこっちを見ていたけど、それには構わず、小さな声で私に話しかけてきた。

「よかった、姿が見えなくなったから探してたんだ」

「ごめんなさい、ちょっと休憩してたの」

「そうなんだ。それで、このあともし時間空いたら、少し一緒に校内を回らない?」


 え、何を言っているの?


 村上さんも一緒なんでしょ。それは嫌よ。

 でも。

「最後にさ、二人で」

 最後―。

 最後だって、わかってるんだ。

「二人で?」

「うん」

「どうしたの?」

「いや、特に理由はないんだけど、何かまずいかな?」

 あなたの彼女には、まずいんじゃないかな。

「でも、気にする人、いるでしょ」

「えー、いないと思うけどな。いても僕は気にしないよ」

 それは女子として、どうなの?と思うところだけれど。

「さっきの人たちに断らなくて、いいの?」

「あー、そうだね。メールしておくよ」

 彼女、出口で待ってたわよ。

 でも、これが最後の思い出になるなら、この機会を無駄にしないように大事にするね。それくらいの勇気、出していいよね?

 それで、おしまいにするから。

「紬の、ステージを観たいな」

 少し前に、先輩のバンドに誘われてメンバーになったと言っていた。紬は右手が使いにくいから、ステージに立つなんてかなり練習したんだろうな。

 私も、もっと努力すれば幸せになれるのかな。

 何を努力すればいいの?

「え、体育館でやるやつ?誰か出てるの?」

「部の同期がキーボードをやってるの。それなら観に行きたい」

 観客も多いから、目立たないだろうし。

「うん、じゃあそれに行こう。時間は・・あ、そろそろ行った方がいい時間かも」

「わかりました。私はこのまま行きます」

 彼が私の顔をじっと見ている。

「葉月さん、なんか人が変わったみたい」

「え、それはどういうことですか」

「いや、なんとなくだけど、僕の知っている葉月さんじゃないような・・。うーん、何と言ったらいいか・・」

「変なことを言いますね。さあ、行きましょう」

 きっと、さっき私と私が入れ替わったんだ。


 なるべく目立たないように二人で体育館に入った。人が多くて押されてしまい、水上くんと腕がぶつかってしまう。

 彼がよろけそうになったので、思い切って、彼の手をつかんで支えた。

 一瞬、彼の手は戸惑った動きをしたが、そのまま私の手を握り返してくれた。

 暖かい手。

 二人とも、まっすぐステージを観て、お互いの顔は見ていない。

 ふと見上げると、近くに、葵がいた。葵は、私を見て少し怒ったような表情をしていた。こんな私を怒ってくれるんだ、葵。

 人が少ない場所にうまく移動できたので手を離し、私は何事もなかったように笑顔を繕った。

 ありがとう。好きです。

心の中でそう呟いた。


 演奏が始まった。紬がキーボードを弾いている。すごい、これは本人の努力の賜物だ。

 自分のことなら努力のしようもある。でも人の気持ちは、自分が努力してもどうにもならない。

「すごいね、このバンド!」

「はい、すごいです。私も初めて聞きました」

「キーボードの子が友達なの?どこか具合が悪いところがあるの?」

「よく見ると、右手があまり動いていないです」

「え?あ、言われてみれば本当だ!全然気がつかなかった」

「それくらい努力しているということです」

「うん!すごいよ!普通にすごいよ!」

 私は、いくら努力しても、何も得られない。

 だから、いいんだ。


 ステージが終わった。私の夢はここまで。この後は今までどおりに戻るから。

「一緒に見てくれてありがとうございました。私、これから紬のところに行ってきますから、ここで」

「あー、僕も行こうかな・・」

「いいえ、他の用事もあるので、私一人で行きます」

「え、そう・・。わかった」

「すみません、ありがとうございました」

「うん、じゃあ次は委員の打ち上げでね」

「はい」

 ごめんなさい。そして、さようなら。


 控室に行くと、紬がヘトヘトになって後片付けをしていた。

「紬、よかったよ!お疲れ様」

 紬の横には、葵がいた。明らかに葵は私を見て怒っていた。そういう優しさの表現だった。

 控室では葵とは直接言葉を交わさなかった。いま話しても、全てをうまく説明する自信がなかったから。

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