第20話
そうは言っても、このままにしておくことはできない。学校に行って、先輩方に説明もしなければならない。
登校する前の夜に、思い切って葵に電話をした。
「うん、そう」
葵は、相槌を打って私の話を聞いてくれた。そして最後にアドバイスをしてくれた。
「何が答えなのかは、誰にもわからない。でも、一つだけ言えるとすれば、きちんとみんなと話をしなきゃいけない、ということかな」
「やっぱりそうよね。ありがとう、葵。明日登校することを先輩方に連絡する。放課後に話を聞いてもらうことにする」
「うん、それがいい」
放課後、葵が教室に来て、今日は中央町の方に買い物に行くけど、一緒に行かないかと聞いてきた。
本当に葵らしい。ライブハウスまで付いていくという意味なのだろう。
もちろん先輩方と話をするのは怖いけど、それは断って一人で来た。もう誰にも迷惑はかけられない。
一人でライブハウスに入ると、先輩方は既に練習の準備をしていた。
「1週間も練習を休んでしまってごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」
「紬―、元気になってよかったよ!」
「紬、お帰り。さあまた頑張ろうね!」
やっぱりみんな優しい。いっぱい迷惑かけたのに。
そしてまた、いっぱい迷惑をかけなければいけないのに。
「あのー、皆さんにお伝えすることがあります」
先輩方もこの雰囲気に気付いていない訳はないだろう。笑ってはいるが、心からの笑顔ではない。
一瞬息を呑み、覚悟を決めて私は話し始めた。
「まだ左手の動きが戻っていなくて、今の状況では前のような演奏ができていません。いつできるようになるかもわかりません」
「グルーヴもあと1ヶ月に迫っています。私のせいで先輩方の目標を壊すわけにはいきません。ここで、キーボードの交代を考えてもらえないでしょうか」
誰も何も言わない。
「この時期に勝手なことを言っているのはわかっています。でもこれが一番いいことだと思っています」
「一番皆さんに迷惑をかけないで済むことだと思っています・・。お願いします」
深く、長い間頭を下げた。
誰も何も言わない。みんな息さえしていないのではないかと思うくらい、スタジオの中で音がしない。何か言ってもらったほうがよっぽど気が楽になる。
沈黙に耐えきれず、私からまた話してしまう。
「私が言うことではないかと思いますが、福岡に転校した前のメンバーの先輩を、この大会だけ手伝ってもらう、ということはできないでしょうか」
「移動にお金がかかるので、その分の交通費は私が払います。新しいキーボードを買うのにお小遣いを貯めたお金があるので、それを使ってください」
「演奏以外のところで、荷物を運んだり、チケットの販売をしたり、練習場の確保をしたり、私がやります」
まだ誰も何も言わない。
私の目から、涙が今にも零れそうになっていた。
「そんなことで今までもらった恩を返せるわけではないですが、私にできることはやります」
沈黙を破ったのは、眩さんだった。
「紬」
眩さんに名前を呼ばれただけで、私の堤防は決壊してしまった。
「だって、ピアノ、弾けなくなっちゃんだもん!」
泣きながら、子どものような言い訳をしている。わかってはいるが止まらない。
「みんなと一緒にバンドやりたいよ。でもできなくなったんだもん!」
「いくらがんばっても、手が、動いて、くれないんだもん!」
「紬」
眩さんが私の身体を引き寄せ、抱きしめてくれた。
私は涙を止められず、独り言のように話をしていた。
「私なんか、他に何の役にも立たない!荷物なんか運べないし」
もう、ピアノのことだけでなく、今までできなかったことを全てここで言い訳にしようとしていた。
「いつ動くようになるかわからないし、このままずっと動かないかもしれないし」
「こんな私なんか、待っていてもしょうがないんだから、早く別の人を入れてください!」
もう前には進めない。やっと見つけた居場所がなくなった。
涙で顔がクシャクシャになっている。
少しの沈黙の後、眩さんが私を抱きしめながら呟いた。
「紬、もういい。わかったから」
わかった?何を?どこまで?
せっかく作った人との関係や時間を、病気でこんなに簡単に壊されてしまうことに怯えている気持ちをいつも抱えて生きていることを、わかってくれたの?
本当に?
「紬ちゃん、今日は来てくれてありがとう。こんなことを言うのはとても勇気が必要だったでしょう。紬ちゃんは強い子だね。でも、この先のことはみんなで考えましょう」
あゆみさんが優しく見つめてくれている。
私も、みんなの前で本音を言えて泣けたせいか、少し落ち着いてきた。
もう、これ以上先輩方に迷惑をかけるわけにはいかない。
普段の私に戻るんだ。
「すみません、取り乱してしまって」
「今日はこの辺で終わりにして帰りましょう。そして、これからどうするかみんなで考えてみましょう」
あゆみさんがそう言って、みんな練習の後片付けを始めた。
「大丈夫?一人で帰れる?」
「大丈夫です。話せて少しだけ気が楽になりました」
「そう、じゃあ気をつけてね。また明日」
みんなが私のことを快く送り出してくれた。
私はそのままライブハウスを出た。でもこの先、どこへ行ったらいいんだろう。
もうどこにも行くところなんかない。
そう思いつめていたら、ビルの前に葵がいた。
「あ・・」
「偶然ね。ちょうど私も買い物が終わったところなの」
何も言えず私は動きを止めてしまった。やっぱり、葵はこういう子だ。
「ちょっと、ゲームセンターに行きたいのだけれど」
「うん」
「付き合ってくれるかしら」
「うん」
「プリクラも撮るわよ」
「・・」
「嫌なの?」
「葵―!」
もう一度、私は泣き出してしまった。
「我慢しないで、今だけならいいわよ」
私は葵にもたれかかって、思いっきり自分の弱さを吐き出した。
葵は、私を抱き寄せたまま、もう暗くなり始めた、ずっと遠くの空を見ていた。何を考えているのかは、わからない。
「さ、そろそろ行きましょ。私、欲しいぬいぐるみがあるのよ。今日は絶対に取ってやるわ」
葵は、遊んでいる間、一切私の左手のことには触れなかった。
それが、少しだけ心地よかった。
翌日からは学校を休んだ。今は行く気になれない。来週また病院に行かなければならないので、両親からもそれまでは身体を休めた方がいいと言われた。
その間、栞がメッセージをくれた。私をとても心配してくれていることがよくわかる内容だった。葵も毎日、例の調子で短いメッセージを送ってくれる。二人の性格がよくわかるメッセージだ。
でもバンドの先輩方からの連絡はない。やっぱり諦められちゃったかな。それとも誰か探し始めて忙しくなったかな。
もう来年はない。当てにならない私の回復を待たないで、違う人で出場するという選択をして、誰か見つけて欲しい。心からそう願っている。
私は、それでいい。また元の一人の生活に戻ればいいだけだから。
顔を洗い終えて鏡を見ると、もう一人の私が映っていた。
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