第9話

 駅前のワックは、帰宅時間が近づいているせいか、少し混んでいた。車椅子が3台入る場所があるからと先輩方はスイスイと進んでいく。もう何回もこの店には来ているらしい。

 奥にいると、店員さんが注文をとりに来てくれた。店員さんは、二柚先輩たちと知り合いのようだった。

「眩は見た目あの通りだけど、人が悪いわけではないし、あゆみたちもみんな面倒見がいいから、紬ちゃんのいいところを引き出してくれると思うよ」

「はい、そう思っていただけるのなら本当にうれしいです。でも・・」

「紬ちゃんが不安に思っていることを挙げてみようか。二柚と私では頼りないかもしれないけれど、私たちならではの解決方法を一緒に考えましょう」

「はい、ありがとうございます」


「今日の演奏を聴いて、率直にどう思ったの?あのバンドに興味は持てた?」

「はい、素晴らしい演奏でした。吉野先輩のボーカルをどう活かすかという音作りになっていると思います。先輩の声も好きですし、曲も私にはいい感じの曲でした。ですから、好みが合わないということはありません」

「なるほどね、バンドとしては問題ないということね。あゆみたちも喜ぶわ」

「ということは、紬ちゃん自身の問題ね」

「はい、そうなります」

「片手だとやっぱり難しい?」

「うーん、もちろんそのことはあります。さっき吉野先輩は、足りない音は別の楽器で埋めればいい、と言いましたが、そのような曲に編曲し直すとなると、かなり皆さんの負担になります。それなら別のしっかりした人を入れればいいのではと思います」

「それはそうなんでしょうね。けれど、それでは紬ちゃんに声をかけた話がそもそも始まらないわ」

 七津先輩も少し心配顔になっている。

「そもそも、ですけど、なんで私なんでしょうか?」

「そうねえ、前の子が抜けて何人かから入りたいという希望は来てたみたい。でも全部O Kを出さなかったと聞いたわ。音楽の方向性が合わなかったみたいだって」

「そうなんですか」

「それで、いろんな人の演奏を聞いてから決めたいって言ってたのよ」

「それなのに、あの場で突然桜子が紬ちゃんに入ってください、と言った時は驚いたわ」

 七津先輩も驚いていたようだった。

「うん私もびっくりした。無理に勧誘するのはやめてねとあれだけ事前にお願いしていたのに、即決だもの」

「はあ」

「だから、紬ちゃんの演奏を聴いて、それで選ばれたってことじゃない?ここは今度直接聞くしかないね」

「はい、それは聞きたいと思いました」

「あとは、どんな不安があるの?」

「キーボードの操作に慣れていないので、慣れるまでに時間がかかってしまうのは心配です」

「そうかー、文化祭にバンドで出るって言ってたから、あんまり時間もないもんね」

「えー、文化祭に出るんですか?それなら尚更無理ですよ・・」

 あと2ヶ月と少ししかないよ。

「さっきの曲なら、演奏中に音もいろいろ変えるだろうから、キーと同時にエフェクターのスイッチ類も操作する必要があると思います。右手の指は細かく動かせないので、なかなか難しいかと・・」

「キーボードのことは私たちにもわからないから、あとでみんなでどう工夫するか考えるしかないわね。」

「キーボードのオーダーメイドってないのかな?車椅子もできるでしょ?」

「それも聞いてみないとわからないわね。でも、もしあっても2ヶ月で作ってもらうのは無理でしょう」

「それもそうだね」


 もう一つ、大事なことがある。この二人ならわかってくれるだろうか。


「もう一つあるんですが」

「うん、いいよ。何かな?」

 楽器は、調和する道具だ。だから足し算ではない。ただ楽器の数を増やせば音が豊かになるというものではない。楽器が奏でる音を一つ一つ絡ませ、時には音が別れて、物語を作っていく。どちらかというと、かけ算だ。

「私は今まで一人でピアノを弾いてきました。なので、何人かで一緒に合奏というものをしたことがありません」

「それは私自身の今までの生活と関係すると思います。身体のことを考えて、深く人間関係を作って来なかった、作らなくて済んだ生活をしてきたのだと思います」

「だから、さっきの演奏を聴いて、音楽は人の関係そのものだと思いました。あのバンドの皆さんはそれぞれ深くメンバーのことを考え、それをどう表現しようかという気持ちを音に載せていると思いました」

「仮に、個々の技術が上手い4人が組んでも、息が合わなければ合奏としてはメチャクチャな音になります」

 二人とも声を出さず、深く頷いて聞いていてくれる。

「ただキーボードが増えるだけではなく、そうした関係性を持つには時間もかかります。でも私が心配しているのは、今までそういう関わりを、他人としてこなかった自分が、そういう音を出せるのかということです」

「身体が自由に動かないことは事実です。そのため、今まで私は身体のことを優先的に考慮した生活の組み立てになっていました。私自身も周囲の大人からも、体調が悪ければもちろん、できないことは人と無理に合わせなくて良いと学んで来ました」

「私のできることの量が増えればよくて、人と一緒にできるかとか、その結果どんな風にできているかということは、二の次でした」


 少し声が上ずってきているのが、自分でもわかる。

「でもそれによって、私は特別扱いされ、私の生活自体が周りのみんなから離れて行きました。だってみんなは辛くても大変でも、協力して質も高めようと前に進んでいるのですよ。事情はあっても、そうしていない私と、深いところで交流できているはずがありません」

「そういう経験でしかない私が、さっきのような音の中に入れるわけがありません。できたとかできないとか、そんなレベルの話ではないのです」

 何を言っているのか伝わっているのだろうか。いいや、伝わらなくても仕方ない。こうやって言葉に表すことができただけいいや。偉いぞ、私。

「形だけ一緒にいても、何の交流にもなってない。どちらかの一方的な自己満足でしかない交流。そんな経験しかありません」

 七津先輩が、微笑んでほめてくれた。

「それは、私たちのようなものならみんな感じているのでしょうね。言っても仕方のないことだと諦めてしまう人がほとんどだけど。なかなかわかってもらいにくい内容だしね。偉いわ、紬ちゃん。きちんと説明できていたわよ」

 二柚先輩は涙目になって笑っている。

「あとは、紬ちゃんがどうしたいか、だね」

 そう、吉野先輩からもそう言われた。

 はい、そう思います、と声に出したつもりだけど、その言葉は自分の嗚咽に変わってしまっていた。嗚咽の音が先に出て、涙は後から降り注いできた。

 やっと、自分が感じていた違和感を人に話すことができた。思いっきり声を出して泣いていた。

 気がつくと、二柚先輩が優しく私の頭を撫でてくれていた。

「紬ちゃんはいい子だね。でも、もう一人でやって行かなくてもいいんだよ。紬ちゃんは十分相手のことを考えて動けるしね。あんまりいい子でいることも疲れるよ?」

 いい子でいる自覚は無いが、今まで自分の気持ちを抑えてきたのは事実かも。

「明日、あゆみに連絡してみるから、今度会う時に思ってることを伝えたらいいよ。私たちも手伝うからさ」

「はい、ありがとうございます」

「うん、じゃあまた連絡するね」


 家に着いて、ベッドに入ってから今日の出来事を考えていた。

 できるかできないか、と聞かれたら、答えは、わからない、だ。

 それならやっぱり、私があのバンドに入る理由はないな。私じゃなくてもいいんだもの。

 じゃあ、やるの?やらないの?

 練習を見せてもらって、合奏には興味が出た。今まで私にはなかった世界だから。


 葵に電話をしようと思ったが、全部を一度に話すのは難しい。

 いろいろ考えているうちに、そのまま眠ってしまった。

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