第7話

「お疲れさまー、はいこれお水!」

 二柚先輩と七津先輩がメンバーにお水とタオルを渡している。

「あ、ありがとう」

 思い切って、私も吉野先輩のところに行ってみよう。

「吉野先輩、良かったらお水どうぞ。先程は取り乱してすみませんでした。歌を聴かせてもらってありがとうございました」

「あん?ああ、ありがとう」

「とても綺麗な歌声でした。聴いていてうっとりとしてしまいました」

「そうよね、私も惚れてしまったわ」

 二柚先輩が惚れ惚れした表情で吉野先輩に話しかけた。

 よかった、怒らないでお水を受け取ってくれて。3曲だけどみんな汗びっしょり。吉野先輩は、持っていったタオルをすぐに受け取り汗を拭いて、そのまま自分の肩にかけたままだった。


「よし、じゃあ次は紬くんのピアノが聴きたいな」

 ベースの大宮先輩が突然言い出した。え、どうしてそんな話になるの?

「そうだね、ちょっと聴いてみたいよね。バンドに入る云々はいいから、左手だけで演奏する曲ってのがどんなもんか、聴きたいなあ」

 おうりょうじ、先輩だっけ?も興味津々だ。

「どうする紬ちゃん、今すぐ弾ける?無理しなくていいからね」

 七津先輩が優しく庇ってくれる。

「さっき演奏中、左手で音を取ってたでしょ。ふふふ」

 黒沢先輩が私に向かって、笑顔で話しかけた。

 バンドの皆さんはみんな誠意を持って私に演奏を見せてくれた。バンドに入る云々は関係なく、お礼の意味でもやって見せるべきだろう。

 何より、曲を聞いて、左手が勝手に動き出していた。私も、大好きなピアノが弾きたくなった。

 覚悟を決めて大宮先輩に伝える。

「ステージに上がるにはどうしたらいいですか」

「ほう、いいねいいね。あ、そうか車椅子だもんね。あっちのドアから控え室を抜ければ上がれるよ。行くのかい?」

「やってみます」

 吉野先輩がこっちを見た。

「じゃあついておいで。二柚と七津もステージに上がってみる?」

 大宮先輩がステージまで誘導してくれる。

「わあー、いいの?行きたい行きたい!」

 二柚先輩が一人ではしゃいでいる。

「二柚はミーハーだなあ」

「だってこんな機会、そうないもの。七津も行こう!」


 ステージはそれほど広くなかったけれど、そこから見た客席スペースは奥が見えないくらい長く感じた。

「雰囲気出して照明をつけてみるかな」

 押領司先輩が照明のスイッチを入れると、客席スペースが少し明るくなった。

「うわー、夜空を見てるみたい!すごいね、天井で星が光ってる!プラネタリウムだね」

 二柚先輩が子どものように騒いでいる。うん、確かにプラネタリウムのようだ。


「じゃあキーボードのセッティングをしましょう。使ったことは?」

「ほとんどありません。ピアノしか使わないので」

「それなら一番シンプルなグランドピアノモードだね。舞花、ちょっと見てあげて」

「右手は動かないって言ってたけど、全然動かないのかな?」

「全く動かないわけではなく、少し動きます。それでも、腕は胸より高く上がりません。あと、指先を早く動かすのはちょっと難しいです」

「スイッチの操作とかはできる?」

「物をつまむことが難しいので、大きなボタンのようなものであれば、手のひらや甲全体で押すことができます」

「なるほど。キーボードに付いてるレバーだと小さくて難しいかな・・」

「今日は何も触らないで、いつも通りのピアノだと思って弾いてみてね。興味があったら教えてあげるから」

 音を変えたりできると言われるけど、使ったことないからな。面白いのかも。

 セッティングが終わり、車椅子のままキーボードの前に座る。さっきそこには誰もいなかった。今は他の楽器の場所に誰もいない。

 一旦目を瞑り、気持ちを整えてから前を見た。

「では、ラヴェルの曲から少し弾いてみます」

「ラヴェルって、あのクラシックのラヴェル?」

「そうです。左手だけで弾く曲って、実は結構メジャーな作曲家も作っています。」

「へえ〜、そうなんだ!それはあまり知られてないんじゃない?」

「そうですね、皆さん片手で演奏する曲なんて、あまり興味を持って聴かないのだと思います」

「ほら、黙って聞けよ」

 あー、また吉野先輩が怖い顔してる。緊張しちゃう。


 ピアノに向かうと、ホッとする。ここは私だけの時間と空間。現実のことをちょっとだけ忘れさせてくれる。

 人と一緒に演奏できたら、この時間はどう変わっていくのだろうか。

 でも、ピアノの音色は気持ちいい。

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