3-6.終幕

「あいつと二人きりにならないって約束したのに……」

「約束はしてねぇ。あと離せ」


 ほら見ろ面倒なことになった、と俺はがっちりさねに抱え込まれた状態で溜息を吐いた。

 恨むぞ靖文。

 当の本人は気が済むまでさねとじゃれてから、さっさといなくなった。

 かき回すだけかき回しやがって。


「暴れて喉渇いたろ。茶を淹れてやるから」

「……うん」


 軽く背を叩けば、ゆっくりとさねが俺を離す。

 このしおれた顔を見ていると、説教するのも可哀そうな気がしてしまう。

 実年齢を考えれば俺より上のはずなのだが、ゆめの件しかり、寿命の異なるもの同士では年齢で精神の成熟度を測ることはできない。それにしたってこいつは人間社会が長いはずなのだが、どうしても見た目に引きずられるところもある。

 単に俺が甘いのだろうか。比較対象がいないのでわからない。


 本堂に置きっぱなしにしていた火鉢で湯を沸かす。

 ぱちぱちと火が爆ぜる音、炭が崩れる音、鉄瓶が熱される音。

 静かな冬の空気の中、こういった音を聞いている時間は嫌いじゃない。精神が落ち着く。

 俺と同じようにぼんやりと火鉢を眺めているさねを、ちらりと盗み見る。

 こいつは今、何を考えているのだろうか。


「靖文とな、親父の話をした」

「え……っ」


 弾かれたようにさねが顔を上げた。やはり気にかかっていることだったか。

 靖文が、さねと親父の話をしたようなことを仄めかしていた。

 別にその内容を問う気はないが、俺に言うかどうかを迷っているのだとしたら、俺の方から既に靖文と話をつけていることは知らせておいた方がいいだろう。


「あいつ昔親父と会ってたんだってな。まぁ、だからなんだって話なんだが」

きよ……」


 気づかわしげなさねに、俺は半眼で手を伸ばした。

 できる限りの力を込めて、その額を指で弾く。


「いだッ!?」

「あのな。何を気にしてるのか知らんが、前にも言ったろ。昔のことだ。終わったことを聞かされたところで、今更どうもせん」

「……そうかも……しれないけど……」

「なんだ何が気がかりだ」


 うじうじされるくらいなら今まとめて聞くから全部吐け。

 視線に含まれた意味を正確に読み取って、さねは少しまごついて、観念したように口を開いた。


「心配なんだよ。きよは親父さんのこと吹っ切ってたのかもしれないけどさ。最近になって急に色々……親父さん絡みで、あったろ」

「迷惑なことになぁ」

「思い返すには十分だ。家族だろ。俺はきよの一番側にいるけど、どうしたって……家族には、なれない」


 落ち込んだような、悔しそうな声に、俺はがりがりと頭をかいた。

 またよくわからん沈み方をしおってからに。


「俺は、さねのこと……家族みたいにも、思ってるけどな」


 息を呑んださねに、なんとなく気恥ずかしくて目を逸らす。


「あのな……わかってるか? お前と一緒にいる時間はな、家族の誰より長いんだ」

「そういえば……もうそんなになるのか」

「特に親父なんかな、思い出らしい思い出なんかなんもないぞ。どう懐かしめっつーんだ」


 悪態をついた俺に、さねが困ったように眉を下げる。


「言っとくけどな、強がってるわけでも虚勢張ってるわけでもなくてな、親父のことは本当に割とどうでもいい」

「どうでもいいって」

「家族なんて血の繋がりでしかない。それが特別なのは、過ごした時間と、想い合う絆があるからだ。心が伴わないのに、血だけが最も尊いなんてのは大層なお家柄だけだ。俺にとっては、それより一緒にいた時間の方が大事だ」


 それを聞いたさねは、黙って眉を寄せている。どうやら納得いかないことがあるらしい。何がそれほど気にかかるのか。


「あのな。俺はお前の鋏で戻ってきただろ」


 夢の中に介入するには、夢を見ている者が現世で執着している物が必要だ。それを媒介として意識が現世に引っ張られる。魂を引き戻すほどの強い執着が。

 

「それはなんというか、お前が欲しがっている答えにはならんのか」


 ふてくされたような言い方になってしまい、視線を外した。

 俺は、さねの言うことはそのまま受け入れると決めた。けれど、言ってくれなければ、何を考えているのかまではわからない。頭の中を覗けるわけじゃないんだ。

 何かを不安がっている気がする。俺を心配しているというのも、嘘じゃないだろう。でもそれだけじゃない。

 相棒だと、必要だと、何度も伝えた。もうそれは、本人も自覚している。

 じゃなんだ。何が足りない。というか俺が足りないのか? 俺のせいか? いかんなんかいらいらしてきた。


きよ……」

「もういい面倒だこの話はしまいだしまい」

「へっ!?」

「よく考えたらなんで俺がそこまで気にしてやらなきゃならん。勝手に一人で悩め。俺はもう知らん」

「ちょっと!? なんかいい感じに着地しそうだったのに!?」

「餓鬼じゃねぇんだ、自分の頭の中くらい自分で整理してから話せ。言いたくなったら聞いてやる」

「な……っそー……いう……」


 お、湯が沸いた。

 何やらぷるぷると震えているさねを無視して、俺は黙々と茶を淹れた。


「なら言わせてもらうけどな! きよは早く嫁さん貰え!」

「あっつ!?」


 予想外の台詞に思わず手が滑った。ふざけんな熱湯持ってる時に何言い出すんだ!


「なんで今その話が出た! 全く関係ねえ!」

「ある! きよは早く自分の家族を持った方がいい!」

「うるせえほっとけ! 縁がねぇんだよ!」

「ああそう、それが理由なら今度寺に連れてくるからな!」

「はた迷惑な巻き込み方すんな! だいたいお前に群れてる女なんかごめんだね!」

きよの好みくらいわかってますぅー! さよさんみたいな人が好みなんだろ!」


 俺は茶筒をひっくり返した。


「おま……っ、なん、なんで」

「ばれてないと思ってたことにびっくりだよ。それもあってさよさんの肩持ってたんだろ」

「いや私情は挟んでねぇよ。え、というか、それ、え、さよさん」

「うっすら気づいてたんじゃないかなー。だからあの手法で依頼勝ち取ったんだろ。人妻だからそれ以上のことはしなかったけど」


 俺は言葉もなく床に沈んだ。心に計り知れない打撃を受けた。暫く立ち直れそうにない。


「凛とした芯のある美人に弱いよな」

「追い打ちをやめろ……死体を蹴って楽しいか……」

きよがそういう反応するのは珍しいから割と楽しい」

「お前覚えてろよ……」


 積極的に結婚する気がないのは本当だ。恋人も別に欲しいとは思わない。

 それはそれとして、そりゃ俺も男なんだから、まぁ会ったら好ましいなと思う女くらいはいる。

 基本的に人付き合いは面倒だし、その人とどうこうなりたいと思うわけではないが、断じてないが、俺が好ましいと思うような女は、俺みたいな男は選ばない。

 しんどい。


「いいさ……俺にはお前がいるから……」

「この文脈で言われると拒否したいな」

「うるせえもげろ」

「こわ……」


 くだらないことを言い合って、空気が軽くなる。

 さねが屈託なく笑っている。

 その顔が見られるなら、道化でもいいか、と息を吐く。


 たった一人の大事な相棒が笑っているなら、それでいい。

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