3-5.全て世は事もなし(2)
◆◇
「元気そやね」
「………………おかげさまで」
あまりにもしれっと顔を出すから、反応が遅れた。
境内を掃いていた俺の前に現れたのは、相変わらず腹の読めない笑顔を貼りつけた靖文だった。
今までこんな短い間隔で訪れたことなどなかったのに。
一応、俺のことを気にかけていたのだろうか。
本堂に、ぱちぱちと火鉢の燃える音が響く。
沸かした湯で、適当に茶を淹れる。
「なんや菓子は出ぇへんのか」
「茶を出してやるだけありがたく思えよ」
図々しい態度にぴきりと青筋が立つ。遠慮というものを知らんのかこいつは。
心を落ち着けるために、俺も茶をすする。温かさが胃まで滑り落ちて、強張っていた体が少しだけ緩む。
「何しに来た」
「一応、様子見に? せっかく助けたんに、そのあと死にかけてたら後味悪いやろ」
「ほーお前にもそんな人間らしい感情があったのか」
「ひどい言い草やなぁ。わし結構人情派やで?」
「お前ほどその言葉が似合わん奴もそうはいないな」
軽口で探り合って、沈黙が落ちる。
これは俺に話があって来た、というより。
「靖文」
口火を切った俺に、靖文が視線だけ向ける。
「お前、親父と面識あったのか」
「……なんや。やっぱあの忠犬、口割ったんか」
「……?
眉をひそめた俺に、靖文は目を瞠った。
それから何故か笑い出したので、俺は眉間の皺を深くした。
「なんだよ」
「いや、そうか。そんなら、何で急にそないなこと言い出したん」
「あの怪異な。人間の精神に寄生するやつだったろ。だから多少なりとも人間の記憶を読み取って、夢に反映できる」
「……ああ。なるほど」
「それが真実だとは限らない。だからお前の口から聞いておこうと思ってな」
靖文が茶をすする。表情からは何も読めない。
空気が張り詰めている。答えによってどうするか、もう腹は決めてある。
口にした通り、あの幻影は真実だとは限らない。だから靖文の口から、事実を確認しておく必要がある。
靖文が親父に頼まれた内容によっては、俺はこいつと敵対することになる。
「会ったで。だーいぶ昔に」
「……そうか」
「で?」
「親父に、お前なんか頼まれたか」
「そやなぁ」
ぴり、と緊張が走る。一呼吸おいた靖文は、何でもないように告げた。
「清正のこと、頼まれた」
「……は?」
ぽかん、と口を開く。間抜け面の俺を横目に、靖文は勝手に茶のおかわりを注いでいた。おい。
「俺のこと、って、どういう意味だよ」
「そのまんまやろ。怪病治療師が陰陽師との
「あの親父が、息子の心配なんかするかよ」
「まぁ顔には全然出ぇへん人やな。けど頼正さんも人の子やで。自分の子ぉ気にかけて、なんやおかしいことあらへんやろ」
そりゃ世間一般ではそうかもしれないが。俺の中に残っている親父の印象とどうにも合致しなくて、気持ちが悪い。
「それだけか?」
「何が?」
「他に……何か、言われてることとか、ないのか」
「えぇ……お前まさか、頼正さんが自分の子ぉ自慢とかする人やと思とるんか。そりゃちょっと期待しすぎやで」
「んなわけあるか!! 俺の周りの怪異を祓えとか、そういう依頼を受けちゃいないだろうなって聞いてんだ!!」
勢いのまま口にした俺に、靖文は大げさに顔を歪めた。
「はあ? 阿呆ちゃうか。そんなん言うわけないやろ。自分でどうにかしぃや」
「ぐ……っ」
正論なのだが、こうも馬鹿馬鹿しいという顔をされると腹が立つ。
「だいたい、仮に依頼っちゅー形で受けてたとしたら、すぐに来とるわ。わし来る前に死んでまうかもしれんやろ」
「……それもそうか」
その理屈は、すとんと俺の中に落ちた。人間性は置いておいて、仕事はきちんとする奴だ。
契約なら然るべき料金を受け取った上ですぐに実行しただろうし、単なる口約束なら果たす義理がない。俺への嫌がらせのために
「そりゃそうだよなぁ~……」
肩の荷が一つ下りて、俺は大きく息を吐いて脱力し、仰向けに倒れた。
あんな怪異ごときに心を乱されるとは、情けない。修行し直しである。
「そない心配せんでも、今んとこあれを祓う気はないで。気に障るけど、悪いもんちゃうしな」
「……理解があって、助かるよ」
「別に理解する気はないわ。今は清正に必要なんやろ、っちゅーだけや。なんかあればすぐにでも祓ったる」
「へいへい。そうならないように、ちゃんと監督しとくよ」
対等な関係だと思っているが、対等な関係だからこそ、行き過ぎるようなら諫めなければならない。
どうあっても
そうさせないために。
「……頼正さんのことより、気にするんはあの怪異の方なんやなぁ」
ぼそりと小声で呟かれた言葉は黙殺した。
親父のことが全く気にならないわけじゃない。でも、聞いたってどうにもならない。
いなくなった人間より、今側にいてくれる奴を優先するのは当然のことだろう。
ぴくりと何かに反応した靖文が、湯呑を除けた。
何かあったのかと俺も起き上がろうとすると、何故か靖文が俺に覆い被さるように顔の横に手をついた。
「おい、なんだ。
「まぁまぁ。ちょぉこのままでおり。おもろいもん見れるで」
「はぁ……?」
怪訝な声を上げた時、俺の耳にも足音が届いた。そして状況を理解して、ざっと血の気が引く。
「退け!!」
「せっかく来たんやし、ちょっとくらい遊ばしてぇな」
「ふざっけんな遊びで済むかあとで誰が宥めると思ってんだ!」
押し退けようとした手は容易く押さえられてしまう。
これだから上背のある奴は!! 手がでかくて腹立つ!!
足音が近づいて、本堂の戸が開かれる。
「
――終わった。
ぶつりと血管だか堪忍袋の緒だかが切れる音がして、
「
「あっはっは! 期待を裏切らんやっちゃな!」
「お前らほんといい加減にしろよおお!!」
俺の悲鳴にも似た叫びは、横濱の山に虚しく響いた。
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