3-5.全て世は事もなし(1)

「……腹減った」

「……目が覚めて最初の台詞がそれってすごいな」


 数日間眠り続けた俺があまりにも普通にそう言ったので、さねは歓喜する機を逃したらしい。知らんがな。


 

 さねの用意した重湯おもゆをのそのそと口に運ぶ。最初はさねが食わせようとしてきたけど、断固拒否した。赤子か。

 寝ている間に世話をされていたことに関しては察しているが、それについては深く考えない方が俺の精神衛生上良い。着ている物が違うが見なかったことにする。

 食べながら、さねから事の顛末を聞いた。やはり俺に憑いた怪異を祓ったのは靖文らしい。


「あいつに借りは作りたくなかったな……」


 心底苦々しい顔をした俺に、さねは苦笑した。


「気持ちはわかるけどね。悔しいけど助かったよ。俺じゃどうにもできなかったし」

「……そうでもないだろ」

「ん?」

「お前は、結構役に立ったぞ」


 さねの鋏がなければ、俺はあそこで怪異に喰われていただろう。

 最終的に祓ったのが靖文だったとしても、さねもまた必要だった。それは間違いない。

 そう告げた俺に、さねは一瞬目を丸くして、ゆるゆると相好を崩した。


「それよりさね、靖文に何もされてないか」

「まー……ぎりぎり」

「ぎりぎりってなんだぎりぎりって。半分消えかけてたりしないだろうな」


 ぞっとして、さねの体をぺたぺたと触る。

 ひとまず肉体は実存することを確認して、長く息を吐く。


「びびらすな……」

「いやびっくりしたのこっちだよ。俺がやったら怒るのに、自分がやるのは躊躇ないのか」

「あぁ?」

「うわぁこの人自覚ない」


 どういう意味だ、と睨むも、何でもないと手を振られる。諦めてんじゃねぇよはっきり言えよ。


「なんかおかしかったらすぐ言えよ。本体に戻っちまったら、今の姿への戻し方はわからんぞ」

「え」


 夢に介入してきたのは鋏の姿だったから、万が一の事態すら考えた。

 目を開けて真っ先にさねの顔が見えたから、その心配はすぐに消えたのだが。

 そんで安心したから腹が減った。正直重湯では全然足りないが、まだ胃が弱っているし、少しずつ増やした方がいいだろう。空腹を意識すると、きゅうと胃が鳴いた。よしよし、今度いっぱい食わしてやるからな。

 俺が寂しがる胃を撫でて宥めていると、さねが唖然とした表情でこちらを見ていた。


「なんだ」

「え……え、や、きよ。本体、って」

「……ああ」


 どうしたものかな、と考えて、俺はのそのそと布団に潜った。


「寝る」

「はあああ!?」


 大声を上げて、さねが横になった俺の体を揺する。


「今の流れで寝るか普通!?」

「うるせえ病人を揺らすな。まだ頭がちゃんと回ってねぇんだよ」

「何それ言う気なかったってこと!? なぁ、もしかして俺と初めて会った時のこと覚えてる!?」

「うるせえうるせえうるせえ」

きよ!!」


 背を向けて目を閉じているのに、さねの表情が見えるようだった。

 くっそ、やりにくい。


「~~っあのなぁ! とっくに気づいてるに決まってんだろ! だってお前が持ってんのあん時の鋏まんまじゃねーか! 阿呆か!」


 怒鳴りつけるようにした俺に、さねの困惑した気配が伝わる。


「な……ならなんで、今まで、言わなかったんだよ」

「言えるか! あん時俺がいくつだったと思ってんだ! 思い出すと羞恥で死にたくなる忘れろ! 若気の至りだ!!」


 くっそ顔あっつい。絶対耳まで赤い、と俺は隠れるように頭まで布団を被った。

 一言一句鮮明に覚えているわけではないが、何やらこっぱずかしいことを口にした気がする。思い出したくもないだろ十年以上前の自分なんて!


「何だよそれぇ……」


 ひどく情けない声を出したさねがどんな顔をしているのか、見てみたくはあったが。

 俺の方も布団から顔を出せないので、結局見ることはできなかった。

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