3-2.呪詛(2)

「そや、いい機会や。呪詛はわしが祓ったる。代わりに君、消えてくれへん?」

「――は?」


 言われた言葉がすぐには吞み込めなかった。

 実正の力が緩んで、その間に靖文が手を払う。

 その動作にはっとして、睨みつけながら言葉を返した。


「できるわけないだろ」

「なんで? 別に君必要ないやろ。現に今、何の役にも立っとらんやん」


 かっと頭に血が上る。事実だけに、余計に腹が立った。

 何故こんな奴に好き勝手言われなくてはならない。何も知らないくせに。

 どんな時間を過ごして来たか。どんな関係を築いてきたか。

 こんな言葉では、揺らがないほどに。


「断る。俺にはきよが必要で、きよには俺が必要だ。一人にしないって約束した。何があっても、俺はきよの側を離れる気はない」


 これは宣戦布告だ。

 何を言われても、何をされても。この男の意には従わない。


「――ほんま、気に食わん」


 睨み合った末に、靖文が顔を背けて舌打ちした。

 その様を見て、実正も鼻を鳴らす。

 目を合わせないまま、靖文は小声でぼそりと文句を零した。


「わしがおるんやから、一人ちゃうやろ」


 その言い草に実正は面食らった。

 まさか。まさかとは思うが、靖文は。


「あんたまさか――俺の立場が羨ましいのか?」

「はあ!? そんなんちゃうわ!!」


 声を荒げるということは図星なのだろう。そんな馬鹿な。

 今までの靖文の振る舞いを見れば、およそ清正と歩み寄る気があるとは思えない。


「言うとくけどな、そもそも頼正さんに清正のこと頼まれたんはわしなんやで!」

「親父さんが?」

「親父さんてなんやねん君の親父ちゃうわ! 身内みたいに言うなや!」


 どういうことだ。靖文とは昨日今日の付き合いではない。今まで一度もそんな話は出なかった。

 そして思い至る、強烈な違和感。


「――待て。それ、いつの話だ?」

「……さぁ。いつやったかな」


 靖文がすっと表情を消した。

 それを見て、実正の目が険しくなる。

 そうだ、今の話には違和感がある。

 頼正が寺を出ていったのは、清正が五つの時。そして日本中を回り、海の外まで行った。その情報は兼正が得たもの。つまり兼正が亡くなった時、清正が十二の時には、既に頼正は外国にいたはずだ。

 靖文が会ったとしたら、当然日本国内でのことだろう。だとしたら、この話は清正が十二になる前のことだ。

 しかし、実正が清正と出会った時。十五の彼の側には、誰もいなかった。


「あんた……頼まれたあと、きよのこと放っといたんじゃないか」

「人聞き悪いこと言うなや。別に時期を指定されたわけでもないのに」

「あんたが放っておかなかったら! きよは一人にはならなかったんだ!」


 どうして。あの人に寂しい思いをさせた。

 側に来る気があったのなら。すぐに来ていたなら、清正は一人きりの時間を過ごすことはなかった。

 父から頼まれたのだと伝えていれば。

 父が自分を捨て、一切気にかけることもなかったと。そんな風には思わなかっただろうに。

 頼正は、清正を気にかけていた。その事実を、どうして。


「初めて見た時はなぁ、全っ然力なかったんよ。こら頼正さんの足元にも及ばん出来損ないや思てな。興味失くしてしもたんや」

「……そんな……理由で……」

「わし陰陽師やで? 組む相手が無能やったらしゃーないやろ。それがなんや、まともに仕事するようになったて聞いてな。どないなっとんのかと思えば、まさか力封じられてたとはなぁ」


 悪びれもしない靖文を、実正は理解できない生き物を見るような気持ちで見ていた。

 この男は清正のために側に来ることを望んでいるのではない。

 己の利になるかどうか。己の快になるかどうか。そんな基準で、人を測っている。

 それでどうして、人の気持ちを得られると思うのか。

 

「あんたなんかに、俺の居場所は渡さない」


 渡さない。唯一絶対のあの人は。

 その笑顔を曇らせるものは、誰であれ許さない。

 いつか自分が消えることになっても。

 その時あの人の側にいるのは、あの人に笑顔を与えられる者だ。あの人に穏やかな眠りを与えられる者だ。


きよは渡さない!!」

 

 震える夜を過ごさせる者など。どうして許容できようか。


「渡さないて、君のちゃうやろ」

「俺のじゃないけど、少なくともあんたには絶対やらん!」

「やらんて……ううわ、清正が言いそやな……君らどんどん似てくるな」


 辟易したような靖文に、実正は内心困惑した。

 似ているつもりはまるでないのだが。十年以上も側にいると、そんなこともあるのだろうか。

 どちらがどちらに似てきているのか。清正が自分の悪い影響を受けたらどうしよう、と場違いにも少しだけ心配になった。


「ま、そんなに言うんなら、自分でなんとかしたらええんちゃうの。わしは帰らしてもらうわ」


 言いながら靖文が腰を上げる。

 来たばかりの時なら焦ったが、今はもうわかる。これはただの駆け引きだ。乗る気はない。

 

「よく言う。きよのこと見捨てられないくせに」

「別に玩具おもちゃが一個壊れたくらいでなんとも思わんわ」

「特別気に入りのなんだろ? それも憧れの相手に託された」

「……わし頼正さんに憧れてるなんて言うた覚えないなぁ」

「言ってただろ、十分過ぎるくらい」


 互いの視線が絡み合う。

 気に食わない、とその目が語る。

 お互い様だ。仲良くやる必要なんかない。ただ目的のために手を組むだけ。


「名目が欲しいなら、やるよ」


 実正が懐から財布を取り出し、靖文に投げる。

 受け取った靖文は、その重さに一瞬目を瞠った。


「好きなだけ取れ。なんなら財布ごとやる。金払いのいい客は好きなんだろ? これで俺は客だよな」

「怪異がこんな大金、どうやって。詐欺ちゃうやろな」

「あんたにだけは言われたくないな。俺の仕事は和裁士だ。あんた、俺の正体わかってるだろ」


 実正は、清正には決して見せない表情で嘲笑わらった。


「俺の仕立てた着物、いくらで売れると思う?」

「……ほんま……嫌味なやっちゃ……」


 引きつった顔で返して、靖文は財布を自分の懐に入れた。


「怪異が大金持ってどうすんねん」

「いざとなったらきよを養えるように。人間は生きるのにどうしたって金がかかるからな。側にいるだけじゃ意味がない。支えるための力はあればあるだけいい。金も、人も」

「そうか……べったりなくせに寺に住んでへんのはそういうことか……。あちこち出入りしてんのも、清正のための人脈作りてことか。ようやるで」


 吐き捨てた靖文に、実正は誇らしげに笑った。


「俺はきよのために存在してるんだよ」

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