2-8.守銭奴の陰陽師(1)

「って、いねぇし……!」


 がらんとした本堂に、ぴきりと青筋が立つ。大人しく待っていることすらできんのかあのくそ陰陽師。


「どこ行きやがった……」


 俺に用があるのだから、寺から出て行くわけがない。いったいどこに入り込んでいるのやら。

 靖文が興味を持ちそうな場所といったら。



「……いた」

「おお、清正! 邪魔しとるで」


 薬草倉の戸を開ければ、中には勝手に上がり込んで座っている靖文がいた。

 靖文ならこの中にあるものの価値はわかっている。荒らされる心配はないが、何かをちょろまかされている可能性は否定できない。


「本堂にいろっつったろ。勝手に何してる」

「ちょっとおもろい気配がしたもんで気になってな」

「おもしろい気配?」

「こーれ」


 靖文が手にしている黒い箱を目にして、俺はざっと血の気が引いた。


「っ馬鹿、触るな!」

「おっと」


 取り上げようとしたが、ひょいと腕を上げられて空ぶった。背が高い靖文は腕も長い。その動作にいらっとする。


「餓鬼みたいなことすんな! いいから返せ!」

「そないな言い方されると、返す気なくなるなぁ」


 からかうように言って、靖文は俺の体を強く押した。

 床に倒れ込んだ俺が体を起こす前に、胸のあたりを膝で押さえられる。


「が……っ」

「ありゃ、軽く押さえたつもりやったんやけど。痛かったか? 堪忍なぁ」


 絶対思ってないだろ。呼吸が詰まったことで涙目になりながらも、俺は靖文を睨み上げた。

 目が合った靖文は、怒りを隠しもしない俺に、にいと唇を吊り上げた。


「やっぱり清正は、怒った顔がいっちゃん可愛えなぁ」


 ぞくりと背筋を冷たいものが這った。見下ろしてくる靖文の目は感情が読めない。

 何かがまずい気がする。なんだ。

 その悪寒の正体が掴めないまま、靖文が黒い箱をかざした。


「なぁ、これ何?」

「……っお前なら、見りゃ、わかんだろ。怪異が封じてある」

「そらわかんねん。何が入ってるのかって聞いてんのや」

「俺も知らん! つか俺が知りたいくらいだ!」

「はあ?」


 怪訝な顔をした靖文が箱を振った。馬鹿やめろ。不用意に扱うな。


「開けられへんの?」

「阿呆か、開けたら大惨事になるぞ!」

「へえ。そら興味あるなぁ」


 笑みを絶やさない靖文に心拍数が上がっていく。いや、こいつだって陰陽師なんだから、分別はあるはずだ。そもそも開けられるのか。


「開けたら中身わかるやろ。出てきたら祓ったらええんちゃうの?」

「あのな、それ親父が封じたやつだぞ! 簡単には開けられんはずだし、中にいるのは凶悪な怪異だ。お前だって易々と祓えるかわからん!」

頼正よりまささんが?」


 意外そうに靖文が目を丸くした。笑みを消してじっと箱を見ている。どうやらより興味を引いてしまったらしい。

 じりじりと嫌な焦燥が胸を焼く。一か八か符術でも使ってみるか。術で靖文に勝てる気は微塵もしないが。

 懐に手を伸ばそうとした時、俺の上から圧迫感が消えた。というか靖文の姿が消えた。

 大きく息を吸いこんで身を起こせば、薬草倉の入口前に立つさねの背中が見えた。その向こうには、受け身を取った靖文が。

 どうやらさねが俺に圧しかかっていた靖文を掴んで、倉の外に投げ飛ばしたらしい。


さね、お前なんで」

きよに何してる!!」


 本気の怒号に思わず身が竦んだ。庄吉はどうした、と聞ける空気じゃなかった。

 俺が怒られてるわけじゃないのに、全身から怒りが立ち昇っていて、さねのことを怖いと思った。


「お~こわ。相変わらず忠犬やな。けど客人をいきなり投げ飛ばすとは、躾がなっとらんね」

「主人に危害を加えるような奴は客じゃない」

「せやから大人しく投げられてやったやんか。ちょっとは悪いと思とるんやで?」


 嘘つけ。絶対に悪いなどとは思っていない。

 けれど靖文が本気になれば、怪異であるさねは祓われてしまう。相手が悪い、と俺は倉から出ようとした。ところがさねが入口を塞ぐように立ちはだかったため、俺は外に出られなかった。


「っおい」

「あっはっは! 大事大事に守られて、なんやおひい様かいな!」


 からからと笑われて、俺はむきになって出ようとしたが。


きよごめん。大人しくしてて」


 いつになく低い声のさねに、びくりと体が震えた。

 足が動かない。なんだこれ。

 愕然とした様子の俺を楽しげに眺めて、靖文は懐から小さな袋を取り出した。


「ま、今日のところはこれでお暇さしてもらうわ。薬も手に入ったことやしな」

「え? あっ! お前、いつの間に!」

「御代はちゃぁんと机の上に置いてあるで~」


 どうやらちゃっかり薬は確保してあったらしい。代金は机の上に、何の薬を取ったのかの覚書と一緒に置いてあった。用意のいいことだ。


「って靖文、待て! 箱は返せ!」

「っち、忘れてなかったか」

「当たり前だ!」


 喚いた俺に向かって靖文が黒い箱を投げる。

 それをさねが受け取った。

 睨みつけるさねをにいと眺めてから、靖文は覗き込むようにして俺に声をかけた。


「怒った顔が一番やけど、泣き顔もなかなかそそる顔やったで清正ちゃん」

「っはあ!?」

「ほなな~」


 言い捨てて、靖文はさっさと逃げていった。

 あの野郎、わざとさねが怒りそうな言い回しをしやがって。というか泣いてねえ!!

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