2-7.再戦(4)

 強い真言に打たれて、ゆめがびくりと体を震わせ息を詰まらせた。


「ゆめ!!」


 俺は慌てて捕縛布を解いた。しかしゆめは目を見開いたまま何かに締め上げられたかのように喉から苦しそうな息を漏らし、


「――――……」


 何も言えないまま、ただ涙を零して消滅した。

 あんまりな幕引きに、その場の誰もが言葉を失う。俺は奥歯を噛みしめて、真言の主を振り返った。


靖文やすふみ……ッ!!」

「うっわこわ、なんやそんな睨まんといてや。寺に侵入したバケモン祓ってやったんやんか。感謝してほしいくらいや」


 飄々と答えたのは、狩衣かりぎぬを纏った狐目の男だった。歳の頃は三十と少しくらいか。

 さらりとした烏の濡羽色の髪に、同じ色の瞳は底が見えない。

 俺は大股で靖文に近づき、その胸倉を掴んで引き寄せた。

 

「ふっざけんな!! 拘束してるのは見えていただろ!! 相手は抵抗できない状態だった、なんで祓った!!」

「拘束してるてことは、その前に暴れたいうことやろ。そらもう害獣と同じや」

「話の通じる相手だった、山に帰すところだったんだ!」

「せやからお前は甘ちゃんやねん。人の肉の味を覚えた獣は、山に帰ってもまた人里に下りてくる。怪異も同じやわ。大人しゅうなったように見えて、一度覚えた蜜の味は決して忘れられん。また同じことするで。そのたびにお前とっ捕まえて説得するんか? 阿呆か。子どもでも無理てわかんで」


 呆れたように溜息を吐いた靖文に、俺は歯ぎしりすることしかできない。こいつとは根本的に考え方が異なる。怪異を化け物呼ばわりし、人間とは完全に別種の理解できないものだと切り捨てる。だから声をかけなかったのに。

 靖文は胸倉を掴んだままの俺の手を乱暴に払って、衣服を整えた。


「だいたい寺への侵入を許してる時点で住職失格やわ。なんのための結界やねん。せやからわしが張り直したろか言うたのに。ま、わしが張ったらそこのも寺には入れんようになるけどな」


 靖文がちらりとさねに視線をやると、さねがふんと鼻を鳴らした。

 

「いらねぇよ。ぼったくられるしな」

「そら慈善事業ちゃうねんから、貰うもんは貰うわ」

「お前のはあこぎなんだよ。守銭奴め」

「ええ~? か弱い人間を危険なバケモンから守ってやってるんやで? 安いもんやろ」


 もういい。こいつとこれ以上余計な話をしたくない。

 俺はこれ見よがしに大げさに溜息を吐いた。


「一応聞く。何しに来た」

「そらわしが来る理由なんて薬貰いに来るくらいしかないやろ」

「だったら事前に便りを寄越せといつも言ってるだろうに。在庫がなくても知らんぞ」


 忙しいのか面倒なのか、靖文はこうして約束もなしに突然会いに来ることがある。目的の薬がなければ二度手間になるだろうに。そう頻繁に来るわけではないが、よりによってこんな日に来るとは。

 

「とりあえず本堂の中で待ってろ」

「茶菓子は羊羹がええなぁ」

「誰が出すか」


 舌打ちをして、靖文がその場からいなくなったのを確認すると、俺は庄吉さんに頭を下げた。


「庄吉さん、申し訳ない。俺の力不足で……気分の良い別れに、してやれなかった」


 俺の謝罪に、庄吉さんは少し黙った。あまりにも突然のことだったから、まだ受け入れられないのかもしれない。

 ちゃんと。いい思い出に、してやれるはずだったのに。ゆめにとっても。庄吉にとっても。


「あの……清正先生、先ほどの人は」

「……あれは、陰陽師だ」

「陰陽師……」


 庄吉が驚いたように息を呑んだ。

 江戸幕府が存続していた頃にはまだ陰陽寮があったので、陰陽師も身近な存在といえた。しかし明治政府が陰陽道を否定したことで、陰陽寮は廃止。明治三年には天社神道廃止令が出て、陰陽師は表向き姿を消した。

 だが彼らは今もそこかしこにいる。国から課せられる役目がなくなっても、怪異が存在する限り、彼らの役割はなくならない。必要とする者がいる限り。調伏のできる者は貴重なのだ。


「あんな風に……簡単に、殺してしまえるものなのですね。あれほど綺麗な女性を……。陰陽師に、人の心はないのでしょうか」


 今度は俺が黙った。陰陽師にとって怪異の見た目は関係がない。人の姿を取っていても、それが本質とは関係がないことをわかっているからだ。

 そして庄吉の言うことも、裏を返せば「人の形をしていなければ化け物と見なす」と同義だ。雪女が美しい女の姿をしていたから、憐れに思っているのだ。ならばあれが獣の姿をしていたら、苦しんで死んだことを、どう思っただろうか。

 それは俺も同じこと。雪女とは意思疎通ができた。けれど言葉の通じない相手であったなら、強制的に排除するしかない場合もある。それは人間側の一方的な都合だ。

 姿で。言葉で。力で。選り分けている。ならば一括して怪異は怪異と捉えている靖文の方が、或いは平等なのかもしれない。


「……さね。庄吉さんを町まで送ってやってくれ」

「え、けどきよは」

「俺はあいつの相手をせにゃならん。さよさんには、また俺から改めて説明に行く」

 

 さねは俺のことを気にしていたが、しっしっと手を払った。庄吉さんを一人で帰すわけにはいくまい。もう雪女の脅威はないが、今彼の心身はとても疲弊している。帰路で何かあれば、守った甲斐がない。

 門前までは二人を見送って、俺は靖文の待つ本堂へと向かった。

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