2-7.再戦(3)

「だいたいなんだって町なんかにいたんだ」

 

 人の多い町なんかで伴侶を探すからこういうことになる。

 手を出した庄吉が悪いことに違いはないが、ゆめに非が全くないかといえばそうとも言い切れない。

 人里にいる年頃の男なら、妻や許嫁がいる可能性は高い。ことには執着するが、ことを好む性質は持たないはずなのだが。


「……なんですか。雪女は、ずっと山にこもっていなければならないのですか」

「いや、そこまでは言わんが」

「雪女は山にいるもの、もうそんな時代は終わったのです。これからは雪女だって町に出て、美味しいものを食べたり、お洒落をしたり、遊びを楽しんだりするのです」

「……んん?」

「むさい山男とばかり番うのもうんざりです。これからは明治の世に相応しい、異人にも劣らぬような背格好の色男と恋がしたいのです。新潟でお会いした庄吉さまは、それはもう洋装が素敵で」


 うっとりと頬を染めたゆめに、成り行きを見守っていた庄吉が思い出したように声を上げた。

 

「ああ! そういえば、ゆめと会った時は洋装だったな」

「……つまり、なんだ」


 俺は頭を抱えて、精神を落ち着けるために深く息を吐いた。


「お前ただの人間かぶれか」

「まあ! 流行に敏感だと言ってくださいませ!」


 頭が痛い。こいつ本当に中身は幼いんじゃないだろうか。

 雪女の寿命を考えればさもありなん。


「背格好だけなら庄吉さんに拘る理由がないだろう。異人がいいなら外国人居留地にでも行け」

「だけとはなんですか! それに異人は臭いがきついから嫌です」


 ぷいと顔を背けた子どもっぽい仕草に、半眼で問いかける。


「んじゃ他に何があるってんだ」

「庄吉さまは……その、大変力強いを持っていらっしゃいますので……」


 恥じらいながら口にされた内容に、俺は地面にめり込まんばかりに脱力した。

 それか。まさかのそれなのか。


「お前な……」

「に、人間の女子おなごは皆大きいものが良いのでしょう!? 春画で見ました! 異人も羨むほどの大きさだと! それが良い殿方の条件なのでしょう!?」

「そりゃ……人間はだな、雪女より弱いし寿命も短いから、繁殖が必要なのであって……あれが実物大なんじゃなくて、一種の信仰で……」


 駄目だ説明するのも馬鹿馬鹿しい。なんで雪女相手に春画の解説をせにゃならんのだ。

 弱いものほど増えるのは世の理だ。生み落とした全てが大人になるまで生きているとは限らない。その中で、農耕民族である日本人は働き手を多く確保しなければならないから、尚の事多産が良しとされる。繁殖と豊作は繋がっていて、大きな男性器は豊穣の象徴でもある。

 しかしゆめにはそのあたりの事情がすっぽりと抜けている。ただ人間の真似事がしたいだけなのだ。だから人間の良いとするものが欲しいし、人間と同じ価値観を持ちたいのだ。

 けれどそれは無理な話だ。ゆめは人間ではないのだから。

 俺は居住まいを正して、冷たい雪の上にしっかりと腰を下ろし、ゆめを正面から見据えた。


「ゆめ。お前は雪女だ。どれだけ人間のように振る舞っても、それは変わらない」


 俺の言葉に、ゆめは傷ついたように顔を歪めた。

 可哀そうだが、これだけはどうあっても変えられない。生まれ持った定めなのだから。


「たまには町に下りてもいい。人と関わってもいい。けど、自分が雪女だってことは絶対に忘れるな。その範疇の中で生きろ。お前の体では一年中町で暮らすことはできないし、人との関わり方を誤れば祓われるのは妖であるお前の方だ」


 俯いたゆめは、おそらく俺の言葉をきちんと理解している。

 理解しているから悲しいのだ。憧れたものと決して同一にはなれないということが。

 一時側にいることはできても、同じ時間を生きることはできないということが。

 それでも受け入れるしかない。怪異と人間は、別の生き物だから。


「あ、そうです」


 ふと思いついたように、ゆめがさねに視線をやった。何やら嫌な予感がする。


「でしたら、この方をください」

「やらんが!?」


 反射で声を荒げてから、はっとする。何で俺が答えてるんだ。


「あら、やはりあなたのものなのですか? 縛っている様子がないのでどちらかと迷いました」

「いや、俺の、では、ない……が」

「なら貰っても構わないでしょう。見た目は申し分ないですし、彼なら同じ人ならざるもの同士、わかりあえることもあるでしょう」

「もら、いや、物じゃないんだ、当人の意志がだな」

「なら、彼自身から了承がいただければ構わないのですね?」


 にこりと笑ったゆめに俺はうろたえた。それはそうだが。

 さねに聞いたところで、頷くとは思えない。そのはずなのに、相手が大層美しい女であるということを考えると、無碍にはしないのではないだろうか、という思いが頭をもたげてくる。

 俺から断れと言うのも変な話だ。俺にさねを縛る権利は何もない。

 もしさねが、自分と同じ怪異との恋を望んでいたとしたら。


「そちらの方。いかがですか? ゆめは尽くす女ですよ。損はさせません」


 美しく微笑んだゆめは、自分の魅力をわかっている。名も知らぬ男でも落とせる自信があるのだ。

 何も言えずに、視線だけをさねに向ける。それを見たさねは何故か笑いを零して、座った俺の背中から首に腕を回した。


「ごめんね。俺この人のものだから」

「あら」

「は……?」


 断るだろうとは思ったが、その理由が予想外すぎて俺は間抜けな声を漏らすしかできなかった。


「まあまあまあ……そういう……。お坊さんには多いと聞きますが……」

「いや待て何か勘違いしてるだろう!? こいつとはただの腐れ縁みたいなもので!」

「別に良いではないですか。雪女も人間と恋をするのです。人と妖でも、男と男でも、恋の前には全てが等しい存在です」

「恋とかやめろ気持ち悪い」

きよは照れ屋だなー」

「お前はその悪ノリをやめろ!!」


 ぎゅうとくっついてきたさねに鳥肌が立つ。

 ゆめが最初に言った「あなたのもの」というのは、クリスが言ったような使役する存在という問いかけだったように思うが。そのあとさねが言った「この人のもの」は明らかに違う意味を含んでいた。遊んでるなこいつ。

 ぎゃあぎゃあと言い合う俺とさねの様子を楽しげに見ていたゆめが、落ち着いた様子で口を開いた。


「お二人の絆は割けそうにありませんね。庄吉さまも……本当は、想う方がいるのでしょう?」


 寂しそうに微笑んだゆめに、庄吉が眉を下げて口を引き結んだ。

 

「仕方がありません。これ以上は、ただのゆめの駄々になります。羽目を外し過ぎました。暫くは山にこもって、運命の方を待とうと思います。……庄吉さま」


 愛しそうに名を呼んで、ゆめは庄吉に向き直った。

 これが最後とばかりに、一番の美しい微笑みを浮かべて。


「庄吉さまに会えて、ゆめは本当に幸せ者でした。一時でもあなたさまに愛された時間は、ゆめの宝物です。本当に……本当に、ありがとうございました」


 庄吉は言葉を失っていた。無理もない。

 俺にだってわかる。どんな理由を口にしたとしても。やはりゆめは、心底庄吉を愛していたのだ。

 その本当の理由は、俺になどわからないところにあるのだろう。


「……っゆめ」


 庄吉が何事かを口にしようとしたその時。


「――オン・アビラウンケンソワカ」

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