2-7.再戦(2)

 ゆめがふうと息を吐く。冷気は瞬く間に空中で水分を集めて凍らせ、無数の氷柱つららさねに降り注ぐ。

 さねが鋏に呪符を持った手を滑らせるとちりりと火の粉が舞って、酸素を含んだ炎が勢いよく燃え上がった。

 炎を纏った鋏を支点からバラし両手に構える。さながら二刀流のごとく、さねは襲いくる氷柱を全て鋏で打ち払った。

 炎のおかげで氷柱に触れた箇所が凍ることもなく、溶かされて散った水滴はすぐに蒸発した。


「よっし!」


 思惑通りいったことに、俺は腰のあたりで拳を作った。

 雪女の脅威はその冷気にある。一気に相手を行動不能に追い込めるからだ。

 冷気は炎で退けられる。だが俺が直接対決をすると、身体能力の差でやられる可能性が高い。

 なら、さねが炎を纏えばいい。

 炎は術者の意図したものだけを燃やす。これは、意図したものだけをと言い換えてもいい。

 俺の炎はさねを燃やさない。鋏も燃やさない。ただ表面を覆い、纏うだけ。

 それでも炎が冷気の攻撃に触れれば、その効果を発揮する。

 そのためにさねには呪符を何枚か渡してある。俺自身の法力は弱いが、呪符には力を溜めるという形で蓄積できること、枚数を重ねることで威力をかさ増しできること、使用者が使う時に力を上乗せできることなどの利点があった。さねとも確認して、一応実践で使えそうという段階まで仕上げてある。

 ゆめが炎に怯み隙ができれば、捕らえることもできるはずだ。


 次々と繰り出される氷柱を、さねが全て打ち返す。

 これは、もう根気比べの域だろう。

 氷柱の猛攻がやまない限り、さねは防御に徹するしかない。ゆめの方も、手を緩めた瞬間に炎が襲ってくることがわかっているので、絶え間なく攻撃を続けている。

 どちらが疲労するのが先が。


 ――今なら、手を出せるか。


 ゆめがさねに集中している隙に、俺は地面に呪符を叩きつけた。

 そこから炎がゆめまで一直線に走る。

 足元に迫る炎に気づいたゆめが飛び上がった。

 氷柱がやんだ瞬間、さねがゆめとの距離を詰める。

 空中で避けづらいゆめに向かって鋏を振りかぶるが、ゆめが手をかざすと分厚い氷壁が現れ、ゆめの身を守る。

 氷壁は砕け散ったが、攻撃はゆめまで届かなかった。俺とさねが同時に舌打ちする。

 灯篭の上に器用に降り立ったゆめが、息も乱さず微笑んでみせる。


 ――馬鹿にしやがって。


 腹は立つが、格下だと思って油断してくれるなら儲けものだ。

 再び斬りかかったさねの刃が灯篭を砕く。

 炎が燃え広がらないようにすることはできるが、鋏の攻撃は物理だ。寺が破壊されないことを祈るしかない。さすがにそこに気をつけてくれとは言えない。


 ゆめが舞うように腕を揺らめかせれば、彼女の周囲が吹雪いて、その渦が広がっていく。

 視界が白に染まり、腕で顔を覆った。

 さねの姿が視認できなくなり焦ったが、炎の柱が立って位置は確認できた。多分呪符を足したのだろう。熱風で吹雪が蒸発していく。

 ほっとしたのも束の間、俺は慌てて後ろに声をかけた。


「庄吉さん!!」


 一瞬でも視界が奪われたのは失態だった。

 敵意が強かったから俺たちを先に片付けるとばかり思っていたが、元々ゆめの目的は庄吉だ。俺たちはただの邪魔者。庄吉さえ手に入るのなら、取るに足らない存在だ。

 視界が晴れると、ゆめが庄吉を抱いて屋根の上に立っていた。


「さあ、庄吉さま。ゆめと一緒に参りましょう」


 ゆめがにこりと庄吉に笑いかける。

 このまま逃げられれば後を追うのは難しい。背中を嫌な汗が伝った。


「――ゆめ!」


 叫んだ声に驚いたのは、俺だけではなかった。

 腕の中の庄吉の気迫に、ゆめも目を丸くしていた。


「おれは、お前とは生きられないと言った! おれの意志を無視して共に在っても、それは夫婦とは呼べない。お前がどうしてもおれへの愛を諦められないのなら、おれもおれの愛のために命を使う!」


 言い切ると、庄吉は自分を抱くゆめを思い切り突き飛ばした。

 ゆめの体は屋根の方へふらついたが、庄吉は反対へ、つまり屋根から庭へ放り出された。


「――庄吉さま!」

 

 ゆめが慌てて手を伸ばす。その瞬間、俺とさねが目くばせした。

 落ちてくる庄吉を、さねが危なげなく受け止める。

 俺は屋根から身を乗り出したゆめに向けて、捕縛用の布を伸ばした。

 この布には真言が織り込んである。ちなみに作成は俺ではない。

 完全に庄吉に集中していたゆめの体に、捕縛布が巻きつく。そのまま屋根から引きずり下ろせば、ゆめが小さく悲鳴を上げて地面に落ちた。さすがに丈夫なので怪我はない。

 地面に座り込んだ雪女の前に、目を合わせるように俺も屈み込む。


「ようやく捕まえたぞ、雪女」

 

 苦労させられた分、少々凶悪な顔になってしまった。

 俺の顔を見たゆめは一瞬引きつった声を漏らしたが、すぐに強気に睨み返してきた。


「なんてことをするのですか! 野蛮! 野蛮人!」

「うるっせえ野蛮はどっちだ! 問答無用で襲ってきやがって!」

「ゆめと庄吉さまの邪魔をするからです! このちんちくりん!」

「ち……っ!?」


 なんて語彙が出てくるんだ。さねが吹き出したのが聞こえた。あとで殴る。

 それにしたって先ほどまでとは随分と雰囲気が違うじゃないか。

 いざ妖力を封じられ自由を奪われれば、ゆめはそこらの娘っこと何ら変わりはなかった。むしろ幼いくらいの印象を受ける。

 これを相手に本気で怒るのも馬鹿らしく、俺は溜息を吐きながら頭をがしがしとかいた。


「庄吉さん本人も言った通り、この人は駄目だ。大人しく山に帰れ。雪女らしく人生に疲れた遭難者でも助けてそのまま絆せ」

「なんてこと言うのきよ

「それなら誰にも迷惑がかからんだろう」


 口を挟んださねに、そっけなく返す。

 俺だって嫌味で言っているわけではない。雪女が淘汰されない理由の一つはそこにこそある。

 雪深い山に好んで踏み入る人間は少ない。独身の修験者か、世捨て人か。所帯を持った者がいないとは言い切らないが、何にせよそう頻繁にあることではない。そして雪山で迷えば、そのまま命を落とすことが多い。

 そういった人の世に戻れなくなった者を引き寄せるのが雪女だ。限られた場で絆を紡ぐから想いが強くなる。本来なら失っていた命を、美しい女に助けられ、共に過ごし愛を育み、次世代へ繋ぐ。お互いに利益のある関係性なのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る