2-7.再戦(1)

 はあ、と白い息を吐く。どんよりと暗い空を見上げる。

 これは勘だ。けれど、確信に近いものがある。


「――来るか」


 まるでその言葉が呼び水となったかのように、はらはらと雪が舞い落ちた。

 視界の端を掠めるだけだったそれは、瞬く間に全身に降り注ぐ。

 これは今夜が勝負かもしれない、と思った瞬間、ぞわりと悪寒が走った。

 慌てて庭の方へと走り出す。


「庄吉さん!」

「っはい!?」


 血相を変えて庭に駆け込んだ俺に、庄吉は驚いて抱えた洗濯物を落とした。

 雪が降り出したから、干していたものを取り込もうとしてくれたのだろう。

 湿り出した土がじわりと白い布に侵食した。しかしそんなことは今どうでもいい。


「ゆめが来るかもしれない」

「えっ!? でもまだ日が高いのに」

「雪女の活動時間は夜に限らない。雪が強くなってきたから、日中でも力が出せるんだろう」


 太陽が姿を隠しているから、活動には問題ないのだろう。それでも夜には劣るはずだ。これは好都合かもしれない。

 庄吉に近寄って、その肩をしっかりと掴み、真っすぐ目を見据えた。


「対策は、覚えてるな?」

「――はい」


 覚悟の決まった顔をしている。これなら大丈夫そうだ。


さね!」

「はいはーい」


 呼びかければ、どこからか姿を現したさねは既に鋏を大太刀の大きさに変えていた。戦闘準備は万全ということか。

 俺も懐の呪符を掴んで、気を張り巡らせる。

 雪の音だけがする空間。静寂を破ったのは。


「――庄吉さま」


 りんと鈴の鳴るような声がして、庭の中央にゆめが姿を現した。

 以前よりも明るい中で見る彼女は、やはり大層美しかった。火傷は跡形もない。天候も味方して、回復が早かったのだろう。

 その白い姿は嫁入り衣装のようにも見えて、俺は知らず眉間に力が入った。


「っゆめ! 聞いてくれ!」


 真っ先に庄吉が声を張り上げると、ゆめはぴたりと動きを止めた。やはり、庄吉の言葉なら届くのか。


「すまない、お前がここまで真剣だとは思わなかったんだ。ゆめとの時間は確かに楽しかった。けれどあれは一時の夢のつもりだったんだ。お前もそれで納得しているものと思い込んでいた、愚かなおれを許してくれ」

「……庄吉さまは、ゆめを愛してはいらっしゃらないのですか?」


 こて、と首を傾げたゆめは、仕草だけならひどく愛らしかった。しかしその瞳はぞっとするほど静かで、庄吉のこめかみを冷や汗が伝った。


「あ……愛していたとも! あの時は確かに愛していた! でもおれは、人里での生活を捨てられない。その覚悟はなかった。俺にとって、ゆめはそこまでの存在ではなかったことに気づいてしまった。そんな男を夫にしても、お前が傷つくだけだ。どうか、お前のために全てを捧げられる男を探してくれ」


 よし、と俺は内心息を吐いた。

 庄吉には、さよのことを一切口にしないように言い含めておいた。

 雪女は嫉妬深い。他の女を理由に断ると、さよを殺しに行ってしまう可能性がある。

 だからどうにかして、ゆめと添い遂げることはできないのだと伝える必要があった。

 俺は今も愛していると宥めた方が良いのではないかと思ったが、さねの助言で、もう気持ちはないと切り捨てた方が良いということになった。想いが通じていると思っている限りは、ゆめが諦めないだろうと。

 しかし庄吉の言葉を受けたゆめは、落ち込むでも怒るでもなく、にこりと微笑んでみせた。


「そのようなこと。ならば、共に人里で暮らしましょう」

「……え?」


 呆けた庄吉に畳みかけるように、ゆめは嬉しそうに語った。


「ゆめはずっと、町に住んでみたかったのです。これも良い機会です」

「な……し、しかし、お前は、町で生きるなど」

「やってみなければわかりません。それに共に過ごせば、また気持ちも戻ることでしょう。そうです、すぐにでも庄吉さまのお屋敷に向かいましょうか」

「馬鹿言うな! 家にはさよが……っ」


 ――しまった。


 ひゅお、とさよの周りが吹雪いた。凍てつく視線で庄吉を見据えたゆめは、静かに口を開く。


「さよ? さよというのは、庄吉さまのお屋敷にいたあの女ですか?」

「あ……いや……」

端女はしためにしては馴れ馴れしいと思っておりました。あの女のせいで庄吉さまはゆめと一緒になれないのですか?」

「違う!」


 必死の形相で庄吉が否定するものの、ゆめは町の方へと視線を向けていた。

 まずい、さよさんの方に行かれたら。

 足止めの方法を考えていると、ゆめが何かに気づいて飛び退った。

 先程まで彼女がいた場所を、鋏が切り取る。


さね!」

きよ、時間切れだ。やっぱり一回大人しくさせないと」


 ぎり、と歯ぎしりした俺を、さねが痛ましいものを見るような目で見やった。

 仕方がない。話が通じないのなら、一度力で屈伏させて、こちらが優位なのだと示さなければ。


「そう……この前もいた。お前たち。お前たちが余計なことを吹き込んだのか」


 最初はろくに視界にも入れていなかったが、俺とさねを敵と認識したらしいゆめが、ひたと俺たちを見据えた。

 鋭い視線でゆめと対峙するさねに、俺は声をかける。


さねっ、――……」


 殺すなよ。

 言いかけて、口を噤む。

 加減をしながら戦うというのは、相手よりも確実に自分が強い時にできることだ。

 クリスの時とは状況が違う。あれは勝敗が決まっていた。今回は格上の妖が相手で、ほぼ万全の状態で向かってくる。

 全力で戦わなければ、さねの方が危ないかもしれない。

 そこまではさせられない。さねを失うわけにはいかない。

 殺してほしくない。でも。それでも。


「――……殺すな!」


 俺には、お前の方が大事だから。

 一瞬の葛藤に拳を握りしめた俺に、さねは何もかも承知したように力強く笑った。

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