2-5.沐浴の功徳(2)

 俺と入れ替わりで着物を脱いださねを見て、俺は無言で腹に手を当てた。


「だから筋力つけたらって言ったのに」

「ううううるせえ、何も言ってねぇだろ」


 別にさねのようになりたいとは思っていない。断じてない。だいたい日本人の平均から見てもこいつの体格は規格外だ。

 長い髪をまとめ上げて大人しく五右衛門風呂に入ったさねは、俺より随分と窮屈そうだった。


「改めてでかいなお前は……」

「やだ、きよってばどこ見て言ってる?」

「よしわかった、茹でられたいんだな? 任せろ」

「待った、冗談、冗談だから! 勘弁してくれ!」


 火吹き竹に思い切り息を吹き込んだ俺に、さねが慌てて待ったをかける。知るか。茹だれ。茹だってしまえ。そのままへにゃへにゃになってしまえばいい。

 それほど燃やしたつもりはないが、湯に浸かったさねはすぐに赤くなって、少しばかりへたっていた。


「俺あんまり熱いの苦手なんだよ……風呂なんてぬるくてもいいくらい」

「そうなのか? ぬるかったら風呂の意味ないだろ」

「急な温度変化に弱いんだよ……」


 意外な弱点があるもんだ、と思ってから、ふと気づいた。


「それ、雪女と相性悪いって言ってたのと関係あるか?」

「あー……うん、まぁ……」


 歯切れ悪く答えて、落ちた前髪をかき上げる。

 その仕草は、気まずいようにも、苛立っているようにも見えた。


「氷で攻撃してくるくらいなら、斬れるけどね。冷気はどうしようもない。俺自身を凍らされたら、情けないけど、自力で砕けるほどの力はないな」

「……それって、例えばクリスの時みたいに、俺の力全部持ってっても駄目か?」

「あのな。あれ土壇場で成功したからいいけど、結構危ない賭けだったからな? それに全部渡したらきよが完全に行動不能になる。それは避けたい」

「お、おう……」


 そうか、あれ簡単にできることじゃないのか。無我夢中だったからあんまり覚えていないが、一度できたんだから今後もできるもんだと思っていた。


「今回はきよの符術の方が有効かもしれない。というか、あんなのいつの間にできるようになったんだ?」

「いや……あれは……もう使えない……」

「はぁ?」


 怪訝な顔をしたさねに、呪符のことを説明せねばならないのかと唸っていると。


「おうい、先生方ぁ」


 囲いの外から、庄吉の声がした。

 ひょいと顔を出せば、薪を抱えた庄吉が立っていた。


「どうした」

「や、薪割りが終わったんで。風呂を沸かしてんなら、追加の薪が必要かもと」

「ああ、ありがとな。そうだ、庄吉さんも入るか?」

「えっ? いいんですか?」

「ああ。ついでだ、遠慮はいらん」


 庄吉も昨夜は随分と怖い思いをした。身も心も凍えていることだろう。

 男二人が入った後で悪いが、湯屋よりはましだろう。

 庄吉を囲いの中に招けば、さねはもう上がって着物に袖を通していた。


「すみません、急かしましたか」

「いや、俺ものぼせる寸前だったので。火は俺が見るんで、どうぞ入っちゃってください」

「では、ありがたく」


 庄吉が着物を脱いでいくと、思わず俺は目が釘付けになった。


「先生?」

「あ、あぁ、いや。なんというか……鍛えて、いらっしゃる」

「っはは! いやなに、出稼ぎが多いとこうなるんで」


 嘘だろ。と思ったが口にはしない。

 上背うわぜいがあるなとは思っていたが、脱ぐとすごいとはこれいかに。この御仁も洋装が似合いそうだ。

 さねも同じことを思ったのか、軽く笑って庄吉を褒めた。


「それだけいい体をしていると、さぞ女性にもてるでしょう」

「いやぁ、実正さんには敵いませんよ。おれはどうにもつらがね」


 うるせえ俺を除外した会話をするな。

 恨めしげな思いで二人を眺めていると、庄吉が全ての布を取り払って全裸になった。

 その瞬間、俺とさねの視線が下にさがる。


「…………ご立派なものをお持ちで」

「ん? ああ、このくらいしか取り柄がなくて」


 庄吉は冗談めかして笑いながら、湯に入っていった。

 俺は軽く放心状態だった。さねも大概だが、こいつは人間ではないし、日本人らしくもない。だが庄吉は生粋の日本人だ。なんというか、男としての差を見せつけられた気がする。


「……雪女が執着してる理由って、あれだったりして」

「馬鹿言うな、妖がそんなもん気にするか」

「でも雪女って精気を吸うんだろ? あれは精、強そうだよな」


 確かに。

 こそこそと小声で会話しながら、俺は衝撃を受けていた。

 もし本当にあれが理由だとしたら、雪女に対して恋だのなんだのと気をつかっていた俺が馬鹿みたいだ。いや雪女からしたら真剣な理由なのかもしれないが。

 それにしても、さよにしたって、あれほどの美人が何故と思ってはいたのだが。

 仮に、仮にあれが理由なんだとしたら。


 火の番をさねに任せ、俺はその場を後にした。

 暫くとぼとぼと歩を進めて、立ち止まって、青い空を眺めて。

 その眩しさに、ちょっとだけ泣いた。

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