2-1.雪女の呪い(2)

「雪女ってのは北の方にしかいないあやかしで、何十年かに一度、人間の男を伴侶として迎える。男の精を受け子を孕み、その後は精気を全て吸い尽くして子の栄養とする」

「そんな……なら夫は、雪女に取り殺される、ということですか?」

「このままだとな」


 青い顔をして震えるさよに、俺は気の毒な視線を向けた。

 同じような顔をしていたさねが、ふと気づいたように声を上げた。


「あれ? でも、目を付けられたのは旦那さんの方なんだろ? なんで症状がさよさんに出てるんだ?」

「雪女は嫉妬深い。自分以外の女の存在を許さないんだ。だから伴侶と決めた男が他の女と親しくしていると、その女を呪う。白い髪は警告だ。相手の女に対しても、男に対しても。自分と同じ白い髪にすることで、不貞に気づいていると知らせている」

「……不貞?」


 低い声が聞こえて、思わず肩が跳ねる。

 声の主を見れば、凍てつくような冷たい目をしていた。


「おかしな言い草ですね。勝手に横恋慕しておいて、不貞とは。雪女とやらは、随分と自分勝手な妖のようで」

「あー……妖ってのは大抵理不尽だし自分勝手なんだが……。雪女に関しては、な。向こうに分がある」

「は?」


 ひい、と上がりかけた悲鳴を呑み込む。怒った美人は怖い。なんで俺がこんな思いをせにゃならんのだ。恨むぞ、顔も知らない旦那。


「雪女は、誰彼構わず取り憑いたりはしない。なんせ数十年に一度しか恋をしないからな。情を交わした相手を運命と定め、一途に想っているだけなんだ」

「………………それは、つまり、先に手を出したのは夫の方だと……?」

「……そう、なる、な」


 怖い怖い怖い。

 さよの周りが吹雪いている幻覚が見える。白い髪も相まって、まるでさよが雪女そのもののようだ。


「清正先生」

「はいっ!」


 びびっと背筋が伸びる。思わず敬語で返事をしてしまった。


「先生は、怪異に通じていらっしゃるのですよね。なら、その雪女とやら、退けることもできますのよね……?」

「いや……それは……」


 だらだらと冷や汗が伝うのを感じながら、俺はなんとか口を動かす。


「俺は、あくまで治療師だ。呪いの治療はできる。あんたの髪は、ちゃんと元に戻る。だが雪女をどうにかするのは無理だ。妖にとって約束事は命に等しい。睦言で零しただけだとしても、あんたの旦那はおそらく雪女と約束を交わしている。このことわりから逃れるのは難しい」


 気の毒だとは思うが、雪女は妖の中でも力が強い。俺ごときでは太刀打ちできない。

 一方的に向こうが害を為してきて、命の危機に瀕しているというのなら何とか助けたいとも思うが。正直今回は旦那の自業自得だ。

 雪女は北の方にしかいない。妻と離れている間にこの世のものとは思えない美しい女に誘惑されて、うっかり不貞を働いたのだろう。その代償がこれだ。大人しく罰を受け入れるしかない。

 さよも浮気者の夫に苦労し続けるよりは、夫と死別した憐れな女として、次の恋でも探した方がいいだろう。

 顰め面の俺に、我慢できないとばかりにさねが声を上げた。


きよ、それはあんまり冷たくないか? 旦那さん死ぬかもしれないんだろ?」

「死ぬったって、浮気を楽しんで美人と結婚して子も儲けた後の話だぞ。割といい人生じゃないか」

きよ……まさか、僻んでるんじゃ」

「んなわけあるか!」


 あまりにも不名誉な言い草に声を荒げた。

 別に俺は女が欲しいとか思ったことはない。思ってたら檀家さんからの見合い話をとっくに受けている。

 しかしさねの言葉にきらりと目を光らせたさよは、何を思ったのかわっと泣きながら俺の胸に飛び込んできた。


「っおい!」

「清正先生! お願いです、頼れるのはもう先生しかいないんです!」

「だから俺には」

「あんな人でも、私にとっては大切な夫なんです。愛する人を失って、この先どうして私一人生きられましょう」


 おいおいそりゃ脅しか、と俺は口元を引きつらせた。

 さよは涙を浮かべて縋りつきながら、切々と訴えてくる。


「無理は承知です。どんなことでもいたします。ですからどうか、どうか。お願いでございます」


 顔を近づけられて、思わず仰け反る。

 芝居だとわかっていても、美人が眼前で泣いているのは心にくる。

 助けろ、とさねに視線をやるが、奴は笑いを嚙み殺していた。あんにゃろ。


「~~っわかった! わかったなんとか方法を考えてみるから、離れてくれ!」


 耐え切れずにそう叫ぶと、さよはぱっと顔を明るくして俺の手を取った。


「ありがとうございます、ありがとうございます! 清正先生!」


 その後俺はげっそりした顔でさよに治療を施した。

 さよは元の艶やかな黒髪を取り戻すと、俺に念を押すように雪女のことを頼んで、さねに送られていった。


「……厄介なことになった」


 本堂の床にぐったりと倒れ伏して、俺は恨めし気に仏像を見上げた。

 これも必要な苦難なのかい、仏さまよ。

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