2-2.二心を抱く者は
「先生! どうか、どーーか、よろしくお願いします!」
深々と床に額がつくほど頭を下げた男を見下ろして、俺は盛大に顔を歪めた。
この男は
今にも泣き出しそうな庄吉と反対に、さよは後方で氷の笑みで控えている。恐ろしい。
雪女の対策をするため、俺と
さよは庄吉を寺に引きずってでも連れて行くと言ったが、俺の方から訪問を提案した。確認しておきたいことがあったからだ。
出された茶をすすって舌を湿らせてから、俺は口を開いた。
「そうやって頭を下げるってことは、自分が悪いことをしたという自覚はあるんだな」
「う……っいや、それは……」
「悪いが事情がわからんことにはこっちも対策のしようがない。包み隠さず話してもらうぞ」
「はい……それは、もちろん。ですが……」
庄吉はちらりとさよに視線をやった。席を外してほしいのだろう。
だがそれを決めるのは俺ではない。
一応形ばかりと、俺はさよを促した。
「あー……さよさん。あんたも聞いて気分のいい話じゃないだろ。少し出て」
「いいえ、私の夫のしたことですから。妻として、きちんと把握しておく必要があります。それに私にも被害はあったのですよ? 突然色の抜けた髪に、何かの病ではないかと噂が立って。実際病でしたが、
はいそっすね。
背後に見える般若の面に、俺は声に出さずに同意した。
庄吉が縋るような顔で俺を見てきたが、黙って首を振った。諦めろ。
青い顔で背後の気配を気にしながらも、庄吉は視線を下げたまま、ぽつぽつと語り出した。
「
「町中?」
「え? は、はい」
思わず繰り返した俺に、怪訝な顔で庄吉が答えた。
雪女は本来、山にいるものなんだが。町にいるとは珍しい。
しかも新潟といえば、一番人口の多い県だ。人混みに寄り付きたがるとは思えないんだが。
どうやら
「ゆめは体が弱く、あまり外に出たことがないのだと言っていました。陽が当たらないように、笠を深く被って……。だからおれが町を案内してやったんです。何を見ても新鮮な反応をするゆめが可愛くて、ついおれも親身になりすぎてしまって……。それで、その……」
「一夜を共にしてしまった、と」
「……そうです」
「その時に、何か約束を?」
「雪が降る頃に会いに行く、と言われました。おれはてっきり、叶わないとわかっていて口にしている、可愛いわがままみたいなもんだと思って。口約束くらい、と……軽い気持ちで……」
項垂れた庄吉に、俺は頭をがしがしとかいた。
口を挟まないようにしてくれてはいるが、さよの圧がこちらにまで伝わる。
空気が重い。
それに耐えきれなかったのか、よせばいいのに、焦ったように庄吉が言い訳を並べ立てた。
「わ、悪気はなかったんだ! 見たこともないような美人が恋を教えてくれと誘ってきたら、男なら断る理由がないだろう!? さよとは長い間離れていたし、おれだって寂しかったんだ! 新潟の女が横濱にまで来れるはずもない、こんなことになるなんて思わないじゃないか! なあ!?」
庄吉は
この場に男は三人、女はさよ一人。数で押し切れると思ったのだろうが、甘い。
「俺は女の子泣かせたことないので、わからないですね」
にっこりと綺麗な笑顔を見せた
ほらな。
いつも違う女を連れているくせに、俺は
味方がいないことを察したのだろう。庄吉はしおしおと肩を落とした。
その様子を見て、俺は呆れたように息を吐いた。
「相手が妖だったから、あんたは運が悪かったと思っているようだが。人間の女でもそう変わらんぞ。ひとの気持ちを適当に扱えば、報復があるのは当然だ。今回はさよさんが熱心に頼んできたから俺もできる限りの協力はするが、それはあんたに同情してのことじゃない。さよさんのおかげだってことを肝に銘じておけ」
庄吉がさよに視線をやると、さよはつんと顔を背けた。しかし庄吉はさよに向かって深々と頭を下げた。妻の愛情を感じ取ったのだろう。素直な男ではあるのだ。欲望にも素直だっただけで。
「で、だ。さよさんが呪いを受けていたから、薄々わかっちゃいたが……雪女、ゆめだったか。そいつはもう近くに来てるな」
「えっ!? でも、雪はまだ」
「横濱にはまだ降っていないが、新潟では降ってるんじゃないか」
「そんな……」
妖にそんな細かいことまで求めるな。
しかし、庄吉にはまだ接触していないところを見ると、横濱で雪が降るのを待っているのかもしれない。だとしたら律儀な妖だ。
「家に来たのはその確認でな。この家はもうゆめに知られている。『印』が残っているからな」
「印?」
「力の強い妖がたまにやるんだ。野生の獣が縄張りを主張するのと同じでな。ここの人間は自分の獲物だから手を出すな、という合図だ」
獲物、という言葉に庄吉が小さく悲鳴を上げて青ざめた。
気持ちはわかる。まさか女から捕食対象として見られるとは、男なら思ってもみないことだろう。
「このままここにいると連れ去られる可能性が高い。できれば、庄吉さんには暫く寺の方にいて欲しいんだが」
「しかし、さよを一人にするわけには……」
「あんたと一緒にいる方が危ない。さよさん一人なら、危害を加えてくることはないだろう。不安な思いをさせるのは申し訳ないが」
気づかう視線に、さよは毅然と背筋を伸ばした。
「私のことはお気づかいなく。先生が必要だと思われることなら、何でも協力いたします。ですから、どうか。夫をよろしくお願いいたします」
美しい所作で頭を下げたさよに、つくづく感服する。
強い女だ。
長らく行商で家を空けていた夫が、やっと帰ってきたと思ったら余所で女をこさえていて。しかもそれが妖で、妻の自分まで呪われて。
それでもさよは夫を見限ることはなく、諦めることもなく、自分にできる最大限で支えている。
俺にはわからないが、二人で築き上げた絆というものがあるのだろう。
大切なものを失いたくない気持ちは、俺にもよくわかるから。
「任された」
俺は俺にできる最大限を。
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