クリストファー・アダムス(1)

「はやくーう!」

「こっちこいよー!」

「まってー!」

「きゃーあはは!」


 教会の敷地内。青空の下、子どもたちの無邪気な声が響き渡る。

 アメリカの地方にあるこの小さな教会は、孤児院の役割を兼ねていた。

 優しいシスターに見守られて、幼い子らはのびのび過ごしている。

 ただ一人を除いて。


「クリス。皆と遊ばないの?」

「……シスター」


 クリスと呼ばれた少年は、一人で本を読んでいた。まだ五つくらいに見えるのに、もう一人で文字を読むことができるらしい。

 人より賢い子は、どこか疎外されてしまうものだ。彼は他の子たちよりも、ほんの少し大人びているだけ。

 どこにでもいる、物静かな子。自分から人の輪に入れない子。大人が少し手を貸してやれば、他の子と変わりなく、仲良くできる。最初はシスターもそういう認識だった。

 そうではないと知ったのは、他の子たちから彼に関する噂を聞いたからだ。


「……みんな、ぼくと一緒は嫌がるから」

「そんなことないわ。皆、あなたのことがよくわからないだけよ。たくさんお喋りして、いっぱい遊んだら仲良くなれるわ」

「いい。いじめられるから」


 シスターは眉を下げた。あの純粋な子どもたちが、いじめなどとは考えられない。彼はきっと何か誤解しているのだ。


「でも、一人は寂しいでしょう。少しずつでも、お友達を作る練習をしましょう?」

「いい。友達なら、いるから」

「あら、どの子?」

「ここにいるよ」


 そう言って、クリスは誰もいない自身の隣を見た。

 シスターは困ったように、更に眉を下げた。


「……クリス。でも、そのお友達は、あなたにしか見えないのでしょう」

「うん、そうみたい。みんな、いないって言うんだ」

「そうね。残念だけど、私にも見えないの」

「……シスターも、ぼくのこと嘘つきって思ってる?」


 寂しそうな瞳に、シスターは首を振って彼の手を取った。


「いいえ。嘘だなんて思ってないわ。あなたが言うのなら、お友達はきっとそこにいるのね」

「……うん」

「その子とお友達のままでも、構わないのよ。でも、他の見えるお友達も作った方が、もっと楽しくなるでしょう? 孤児院の他の子とも仲良くできたら、毎日がもっと素敵になるわ」

「そう、かな」

「ええ、きっと。だから、向こうで一緒に遊んでらっしゃい」

「……うん。わかった」


 母親代わりの優しいシスターに諭されて、クリスは本を閉じて、子どもたちの輪の方へ向かった。

 ほっとした気持ちでそれを見届けて、シスターは教会の中へと入っていった。

 クリスはきっと、寂しいだけ。その気持ちを、空想の友達を作ることで紛らわせている。

 子ども同士で仲良くできたら、きっと。普通の子と同じようになれる。



「げー! クリスがきた!」

「うそつきクリスー!」

「クリスって、ほんとうはアクマなんでしょ? こわーい」


 シスターの姿が見えなくなった途端、嘲笑がクリスを襲った。

 クリスはぐっと拳を握りしめた。

 シスターはわかっていない。子どもという生きものが、どれほど狡猾で愚かしいのかを。

 大人の前でいい子ぶるのは当然だ。そうでないと罰を受けるから。おやつを抜かれてしまうから。掃除をさせられるから。貰い手が現れなくなるから。

 そんなこと、子どもたちはもうとっくに学んでいる。


「シスターが、みんなと仲良くしなさいって」

「バケモノなんかとなかよくできるわけないだろ!」


 体格の良い少年が、クリスに向かってボールを投げつける。

 クリスは頭を守るように抱えて、その場に蹲った。

 しかしボールはクリスに当たることはなく、直前で大きな音を立てて破裂した。


「うわあっ!?」

「きゃあっ!」


 悲鳴を上げて、子どもたちがクリスから遠ざかる。


「クリスがまたやった……!」

「やっぱりアクマなのよ! さわらないでボールをこわすなんて!」

「違う! ぼくがやったんじゃ……っ」


 クリスが弁解しようとするも、慌てて逃げようとした子どもの一人が転んで、膝をすりむいた。

 血が流れるのを見ると、子どもはみるみる涙を浮かべて、やがて大声で泣き出した。


「どうしたの!?」


 騒ぎを聞きつけて、シスターが教会から飛び出してくる。


「シスター!」

「うわあああん!!」

「あらあら、ヨゼフ。怪我をしたの?」

「クリスがやったんだ!」

「クリスがころばせたんだよ!」


 口々にクリスが悪い、という子どもたちに、シスターは困惑したようにクリスを見た。

 彼はただ、ぎゅっと唇を噛み締めて俯いていた。


「クリス、あなたがやったの?」

「……違うよ」

「うそつき!」

「うそだよ!」


 クリスの否定の言葉を、子どもたちが次々と否定していく。どちらを信じたら良いかわからないシスターは、宥めるようにクリスの肩をさすった。


「クリス、あなたがわざと怪我をさせたなんて思わないわ。でも、ヨゼフは痛い思いをしてしまったから。たまたまこうなったのだとしても、謝りましょう?」

「ぼくじゃ、ない」

「ええ、そうね。でもね、クリス」

「ぼくじゃない!」


 クリスが叫んだと同時。シスターの腕が裂けた。


「シスター!」


 子どもたちが悲鳴を上げて駆け寄る。

 シスターは信じられない思いで腕を押さえた。

 何かが、腕を切り裂いた。突風かと思ったが、ただの風にしては鋭利すぎる。


「クリス……」


 呆然と、目の前の子どもを見つめる。

 シスターはその時、恐怖から自らの役割を忘れてしまっていた。誰に対しても、シスターとして接しなければならなかったのに。

 彼女は、突然起こった理解不能な現象に対して。愛し守るべき子どもに、抱いてはいけない感情を抱いてしまった。

 その感情は。ありありと、クリスを見るシスターの目に映し出されていた。


「……っ!」

「クリス!」


 耐え切れずに、クリスはその場から走り去った。教会の敷地からも飛び出して、とにかく遠くへ逃げた。

 優しかったシスターが。シスターまでもが、あんな目で、自分を見る。

 もう何も信じられなかった。一緒に付いてきてくれた、以外は。


「……きみは、ずっとぼくの側にいてくれるんだね」


 微笑んでそう問いかければ、黒い塊は歯を見せて笑ったように見えた。

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