クリストファー・アダムス(2)
「君はそれと話せるのかい?」
突如として割って入った男の声に、クリスは警戒を露わにした。
声の主を見上げれば、カソック姿の男が立っていた。
「ああ、驚かせてすまない。怖がらせるつもりはなかったんだが」
「……どなたですか」
「見ての通りの神父だよ。名はトマス・アダムス。この近くの教会に用があってね。悪魔憑きの子どもがいるという噂を耳にしたんだが……もしかして、君のことかな」
「どうして、そう思うんですか」
「君が今話していた相手が、悪魔だからさ」
「……悪魔?」
クリスは目を丸くして黒い塊を見た。
ずっと側にいたこれは、物を食べたり、壊したりしていた。だから、空想などではないことはわかっていた。
けれど、悪魔だと思ったことはなかった。悪魔とは、悪いものではなかったか。これは、自分に害をなしたことなどない。
「驚いたな。主従契約で縛っている様子もないのに、悪魔が自発的に言うことを聞いているのか」
「この子は、ぼくの友達です」
クリスがそう言うと、トマスは目を瞬かせた後、大声で笑いだした。
「はっはっは! そうか、悪魔が、友達か!」
大人に盛大に笑われて、クリスは不機嫌そうに顔を歪めた。
「あなた、ぼくに用があるんでしょう。いったい何の用なんですか」
「ああ、そうだな。ここで会えたのだし、まずは君に直接話した方が早いかもしれない」
そう言って、トマスはクリスの前に膝をついた。
「君の名前は?」
「……クリストファー。みんなはクリスって呼ぶ」
「そうか。なぁクリス。
「……
今度はクリスが目を瞬かせる番だった。
「
「そうだなぁ。そいつが悪さをしたのなら、祓わなきゃならないが。そうでないなら、祓わなくてもいい」
「……いいんですか?」
「ああ。使い魔といってな。私たちは、人間だけでは太刀打ちできない凶悪な悪魔と戦うために、悪魔を従えるんだ」
「従える……ぼくは、この子を、従えたいわけじゃ……」
「でもな、クリス。悪魔ってのは、基本的には人に良くないことをするものだ。馬だって、野生のやつが突然走ってきたら怖いだろう? 人が手綱を引いて、人間の言うことを聞きますよってアピールするから怖くないし、安全なんだってわかるんだ。それと同じだよ。私たちが悪魔に手綱をつけることで、この悪魔はちゃんと人間の言うことを聞くから、悪さはしませんよってアピールするんだ。そうすれば、君の友達は祓われずに済む」
クリスは黒い塊をぎゅっと抱き締めた。
年齢よりも知能が高いクリスには、トマスの言っていることが正しく理解できていた。それでも、急に受け入れられることではない。だから、彼は子どもらしい答えを返した。
「……よく、わかりません」
「……そうか」
トマスは優しく微笑んで立ち上がった。
「答えは急がない。ゆっくり考えてくれ」
そう言い残して、トマスはその場を立ち去った。
残されたクリスは、友達の悪魔を抱えたまま、暫く立ち竦んでいた。
すっかり暗くなってから、クリスは教会へ戻った。
もう寝静まっているであろう他の者たちに気づかれないよう、こっそりと部屋に帰る途中。明かりの漏れている部屋があり、クリスは誘われるようにその部屋を覗き見た。その部屋には、母親代わりのシスターと、院長がいた。
小さな声で交わされる会話を聞き取ろうと、クリスは耳を澄ませた。
「だから、売っておしまいよ。高値で買い取ってくれると言っているんだろう」
「そんな言い方はやめてください! あの子は物ではありません!」
「どんな言い方をしたところで、余所へ追いやることに変わりはないだろう。いいじゃないか、厄介払いができて、金も手に入るなんて。一石二鳥だ」
「まずはあの子の意志を確認しないと……」
「
ひゅっと喉が鳴った。
名前こそ出なかったが、これはクリスのことだ。あの後、トマスが教会に来たのだろう。
トマスは、クリスが自由に選べるような言い方をした。処分するなど、一言も。
「あんただって、怪我させられたんだろう。いなくなった方がせいせいするんじゃないか」
「そんなことはありません!」
「なら、あの子が成人するまで、あんたが面倒見られるのかい?」
「……それは……」
シスターが言い淀んだ。その姿に、クリスは胸にずんと重い石を積まれた気分だった。
「私には、あの子の見ている友達が理解できません。ここに居ても、あの子を理解できる友人は一人も現れない。それなら、同じ境遇の子どもと共に、あの子の能力を伸ばせる場所で暮らした方が、あの子にとって幸せなのかもしれません」
「はん、綺麗な言い方をするね」
嫌味な言い方だったが、クリスも同感だった。
どんなに綺麗な言い方で取り繕っても、結局、シスターも自分の面倒はもう見たくないのだ。
とぼとぼと部屋に戻って、ベッドに転がる。
「ここには、ぼくの味方は一人もいないんだな……」
呟いたクリスの横に、黒い塊が同じように転がった。
「ああ、ごめん。きみがいたね」
微笑みかけると、黒い塊はクリスにすり寄った。
もう眠い。難しいことは、明日考えよう。
そうして、クリスの意識は闇に沈んだ。
「――――……?」
暑い。今夜はやけに蒸す。
それだけじゃない。人の悲鳴が、聞こえたような。
「っ!?」
起き上がったクリスは、目の前の光景が信じられずに息を呑んだ。
部屋が、炎に包まれていた。
――教会が、燃えている。
目を白黒させるクリスの服を、黒い塊がぐいぐいと引っ張っていた。
半ば放心したまま黒い塊の誘導に従うと、炎の少ない道を通って、教会の外に出ることができた。
燃え落ちる教会を瞬きもせずに眺めながら、クリスは呆然と問いかけた。
「これ……まさか……きみがやったの……?」
傍らの黒い塊は、ただ歯を見せて笑った。それが肯定なのか否定なのか、クリスにはわからなかった。
ただ、その黒い塊は。
明らかに、大きくなっていた。
「ぼくが……いじめられたから……?」
思えばいつもそうだった。この黒い塊が、誰かを攻撃する時は。先に、クリスが攻撃された時だ。
「――……ありがとう」
クリスは、まるで天使のような顔で微笑んだ。
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