幕間

出逢い

「おうい、そっちの品物の整理は終わったかぁ」

「こっちの荷物早く持って行ってくれ!」


 わいわい、がやがや。大勢の人の声がする。

 ここは横濱。港町。貿易の中心となる、人の往来の激しい場所だ。

 人だけではない。物も、たくさんの物が流通する。

 だから取りこぼされる物の一つや二つ。忘れ去られる物の一つや二つ。

 仕方ないのかもしれない。



「……騒がしいな、ここは」


 横濱の町を歩きながら、清正は一人呟いた。

 嘉永六年。ペリーが浦賀に来航して以来、日本の鎖国は崩壊した。

 日米修好通商条約をはじめとする様々な条約が締結され、ここ横濱でも、安政六年に横濱港が開港した。

 今は文久。新しい元号もやっと覚えたが、次はいつ変わるものか。

 世の中の変化に、清正は取り残されている気分だった。

 山奥の寺で一人暮らす清正の元には、俗世の情報はなかなか入ってこない。

 ごくたまにこうして町に降りてくるものの、人の喧騒は苦手で、長居する気にはなれなかった。

 世の中がどうにもきな臭い。僧侶という身分も手伝い、殺生が苦手な清正にとって、この空気は居心地が悪かった。

 それでも、全く町に降りてこないというわけにもいかない。

 必要な物資の買い出しもあるし、何より、仕事をこなさなければならない。

 清正の本職は、怪病治療師。

 人の医療では治せない怪奇を祓う、怪異専門の治療師である。

 祖父が死んで以来その仕事を継いだものの、まだ子どもである清正の元に患者の方から訪れることはなかなかなく。

 清正は町に出て、自ら患者を探すということをしていた。

 祖父が死んで三年。清正は数えで十五となる。もう一人前の男子だ。立派に務めを果たさなければいけない年齢なのだが。


「――――……」


 暗い顔で俯く清正を気にかける者はいない。

 誰も彼も、自分のことで手一杯なのだ。いちいち他人の様子を気にしてなどいられない。

 人波を見るのに嫌気がさして足元を見ながら歩いていた清正の視界に、きらりと光る物が映った。


「……? なんだ?」


 眉をひそめて、それを見に行くと。

 地面に落ちていたのは、一つの鋏だった。

 清正は砂に塗れたそれを手に取って、丁寧に砂を払う。

 古びたそれは、鋏にしては見慣れぬ形だったが、美しい形をしていた。


「……綺麗だな」


 ふっと微笑んで鋏を撫でれば、きらりと刃が光った。


「お前、大切に使われてきたものなんじゃないか」


 日本では、長く大切にされた物には、魂が宿るとされる。

 付喪神と呼ばれるそれと似通った気配を、清正は微かに感じ取っていた。


「主人とはぐれたか。それとも売られてきたものか?」


 問うも答えがあるはずもなく。

 不安定なその気配に、清正は目を細めた。


「……一人は寂しかろうよ」


 ぽつりと零された言葉を、鋏だけが聞いていた。

 ふむ、と一つ頷いた清正は、何かを探すように周囲を見渡した。

 そして一軒の呉服屋に目を留めると、鋏を持ったままその店に入っていった。


「ごめんよ」

「おや、お坊さん。どうされましたか」

「表にこれが落ちていてね」


 言いながら、清正は番頭に拾った鋏を見せた。


「鋏……ですか?」

「ああ。仕立てに使うもんなんじゃないかと思うんだが」

「どうですかねぇ。私は作る方はよく……。和裁士が来たら聞いてみましょうか」

「頼むよ。見たとこ、良い品のようだ。落とし主が来たら、渡してやってくれないか」

「ええ、もちろん」

「見つからなかったら、誰か使ってやってくれ。その方が喜ぶ」

「はぁ……? わかりました」


 怪訝な反応をしながらも、番頭が頷く。


「念のため、あなたのお名前を伺っても構いませんか」

「ああ。俺は清正。正怪寺という寺の住職だ」

「おや、その若さで住職とは。ご立派ですね」

「さてな」


 苦笑して、清正は鋏に視線を落とした。


「じゃぁな」


 別れの挨拶を交わすように、清正が軽く鋏に触れた。

 瞬間、ぐらりと力が抜けて、体が傾いだ。


「お、お坊さん!?」


 慌てた番頭が清正を支える。


「どうしましたか? どこか具合でも?」

「あ……ああ、いや、大丈夫だ。なんでもない」


 ふらふらと揺れる頭を押さえて、清正は姿勢を整えた。

 この時自分の身に起こったことを清正が理解することはなかった。彼は祖父から法力の制御をろくに教わっておらず、自分の力の流れに無頓着だった。

 それ故清正は、暫くぶりに町に出て、眩暈でも起こしたのだろうと結論づけた。

 心配そうな番頭に鋏を渡して、清正は店を出て行った。


 暫くして。呉服屋に一人の和裁士が訪れた。


「ああ、ちょうど良かった。これを見てくれないか」

「どうしたの?」


 番頭が鋏を和裁士の女に見せると、和裁士は困ったように眉を寄せた。


「そうかい。残念だけど、これは洋裁に使うものだね。最近は洋装も増えてきたろう。そっちの人が落としたんだろうよ」

「ああ、そうか。そうすると、お前さんとこでは使わないか」

「そうだねぇ。落とし主が現れりゃいいんだけど」


 和裁士が溜息を吐くのと同時に、呉服屋ののれんが揺れた。


「お邪魔します」

「おや、いらっしゃ……」


 番頭が息を呑んだ。それにつられて和裁士が視線の先を見ると、やはり同じように息を呑んだ。

 そこにいたのは、背が高く、髪も長く、顔の彫りが深い、異国人風の男だった。男は仕立ての良い紳士服を身に纏っており、大層金持ちに見えた。


「あ……ああ、ええと、私は外国語は」

「ああ、大丈夫。日本語で。俺は日本人です」

「え? 日本……人……?」


 怪訝な顔で上から下まで眺める番頭に、男は苦笑した。


「不躾で申し訳ありません。ここいらで鋏を落としたんですが、見ていませんか」

「あ、ああ! もしかして、これはあなたの?」

「ああ、そうです。良かった、探していたんです」


 番頭が差し出した鋏を見て、男は表情を緩めた。

 その顔に、番頭も和裁士も、その男が持ち主であることを疑わなかった。

 同じ職人として興味が湧いたのか、和裁士が男に話しかける。


「あなたは洋裁をされるんですか?」

「ええ、英国で少しだけ学んできまして。ですが、やはり洋装は窮屈で。母国の着物を作りたいと、日本に帰ってきたんです。この背丈ですから、合う物がなかなかなくて。自分で作った方が早いなと」

「まあ」


 冗談めかした男の口ぶりに、和裁士が笑みを零す。


「あなたは和裁士の方ですか?」

「ええ、そうです」

「良かった。実は、日本に帰ってきたはいいものの、まだ弟子入り先が見つからなくて。良ければ、人手を必要としているところを紹介していただけないでしょうか」


 男はそっと和裁士の手を取って、じっと目を見つめた。


「会ったばかりで失礼なお願いだとは重々承知ですが、何分なにぶん伝手がなくて。ここで出会ったのも何かの縁と、助けてはいただけないでしょうか」


 男の視線を受けた和裁士は、今まで異性にそのように扱われたことはないとばかりに頬を薔薇色に染め、嬉しそうに声を上げた。


「まあまあまあ、そうでしたか。なら、私のところにいらっしゃいな。ちょうど人が辞めて、誰か雇おうと思っていたところなんです」

「本当ですか? 嬉しいです。こんな親切な方に出会えるなんて、俺は幸運だ」


 すっかり蕩けた表情をしている和裁士に、番頭はこっそり溜息を吐いていた。


「そうだ、まだお名前を聞いていませんでしたね。私は美代みよというの。あなたは?」

「俺は――実正さねまさです」


 待っていて。

 必ず、あなたに会いに行くから。

 一人きりのあなたに。

 もう二度と、寂しいなどと口にはさせないから。

 

 待っていて。

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