10.対決(1)

 呼び出されたのは、深夜のカトリック教会だった。

 重い扉を開けば、わかりやすく祭壇の前にクリスがいた。そのすぐ横にいるさねは、黒い影に縛られていて身動きが取れないようだった。


きよ! 馬鹿、なんで来た!」

「馬鹿とはなんだ馬鹿とは。助けに来たんだぞ、ありがたく思え」

「冗談言ってる場合か!」


 少々怪我を負ってはいるが、元気に喚いているところを見ると、命に関わるものはなさそうだ。内心安堵する。


「こんな時でも仲がよろしいんですね」

「おうよ。わかっててさねを利用したんだろ? 良かったなぁ、効果は抜群だ」


 クリスが笑みを消し、さねが息を呑んだ。

 なんだ、俺今どんな顔してんだろうな。


「長話をする気はない。要求はなんだ」

「話が早くて助かります」


 クリスが懐から、手のひら大の箱を取り出した。

 真っ黒なそれは、木でも石でもなさそうで、材質が不明だった。ただ、禍々しい気配がすることだけは確かだった。

 全身の毛穴が開いて、嫌な汗が伝う。


「なんだ、それは」

「この箱の中には、悪魔がいます」

「……悪魔?」


 馴染みのない存在だが、多分アメリカの妖みたいなものだろう。

 気配からして、相当に力のある怪異だ。

 確かクリスは悪魔祓いエクソシストだったはず。なら、この箱は、クリスが悪魔を封じたものだろうか。


「そんなもん持ち出してどうしようってんだ。言うこと聞かなきゃさねにけしかけるってか?」

「いいえ。この箱を開けるのは私ではありません。あなたです」

「は?」

「あなたに、この箱の封印を解いていただきたいのですよ」


 言われた意味が理解できなくて、ぽかんと口を開ける。

 何を言ってるんだ、こいつは。


「悪魔はあんたの十八番おはこだろう。なんだって俺が」

「この箱に悪魔を封じたのが、あなたの父親だからですよ」

「……親父が?」


 話が見えない。理解が追いつかない俺に、クリスは溜息を一つ吐いて語り出した。


「今から、十年ほど前でしょうか。私はアメリカで、悪魔召喚の儀を行いました。使い魔召喚とは異なり、使役するために力を弱めたり縛ったりすることなく、強大な力をそのままに現世に呼び出す儀式です。自分で言うのもなんですが、私は優秀なので。儀式は無事に成功しました。ところが、偶然アメリカにいたあなたの父親が、せっかく呼び出した悪魔を封じてしまった。人の世に見過ごせないほどの災害をもたらすと」

「そ……りゃ、そう、だろう。どう見ても、人に御せる怪異じゃない。そんなもんを呼び出して、どうする気だったんだ」

「友達になりたかったのですよ」


 理解の及ばない言葉に、俺は返す言葉がなかった。

 返答がないことにも構わず、クリスは語り続けた。


「表向きは悪魔祓いエクソシストですが、私は彼らの味方です。悪魔は純粋だ。己の欲に忠実で、自由に生きている。人間の方がよほど汚い。さも善人のような顔をして、腹の中は真っ黒だ。その場しのぎで嘘を吐き、裏切り、異質なものを排除する。そんな人間が一方的に悪魔を虐げるのはおかしなことだと思いませんか? だから私は悪魔たちの居場所を作ろうとしたんです。たったそれだけのことなのですよ」

「……どうやって」

「人間を排除して」


 全く声色を変えずに言い切るクリスに、ぞっとした。

 およそ神父の言い草ではない。


「居場所とは、奪い取らなければ得られない。追いやられた悪魔たちが居場所を取り戻すには、人間を追いやるしかない。単純でしょう?」

「狂ってる」

「心外ですね。あなたには、理解いただけると思っていたのですが」

「馬鹿言うな。なんで俺が」

「あなたが言ったのですよ。怪異とどう関わるかは、個人の自由だと。あなただって、あのと友人なのでしょう。私が同じことを望んで、いったい何が悪いのです?」


 クリスがさねに視線をやる。その言葉に、俺はかっと頭に血が上った。


「一緒にするな!」

「何が違うというのです」

「俺はさねが怪異だから一緒にいるんじゃない。さねだから、一緒にいるんだ。さねが人間だろうと怪異だろうと、そんなのはどうでもいい。お互いが望んで側にいる。それだけで十分なんだ。でもあんたのは違う。あんたは、人間が嫌いで、その復讐のために悪魔を利用しようとしてるだけだ。自分の都合で道具扱いして、それのどこが友達だ! 笑わせんな!」


 吐き捨てた俺に、クリスは初めてその綺麗な顔を盛大に歪めた。どうやら癪に障ったようだ。

 かと思えば、急に声を上げて笑い出した。


「何がおかしい」

「搾取されている側というのは、こうも無自覚なのですね。あなたもに利用されているだけですよ。気づいていないなんて、滑稽だ」

「なんの話だ」

「あなたの力は、半分以上あれに奪われている」


 思わず目を瞠る。さねに視線をやれば、その目が揺れて、何かを言いたそうに口を開閉させ、結局唇を噛みしめて俯いた。


 ――『きよはさぁ……法力、弱いよな』


 あれは、お前が。


「始めはあなたが、自分の代わりに戦わせるために力を与えた使い魔の類だと思っていたのですが。相棒などと言い出すから驚きました。では何のためにそれほど大量の力を注いでいるのかと思えば、何のことはない。あなたが与えているのではなく、あの怪異が一方的に奪っているのでしょう。それでも対等だと?」

「ああ。対等だね」


 迷わず答えた俺に、二人の視線が突き刺さる。

 馬鹿さね、なんでお前まで驚いてんだ。当たり前だろ。


「俺はさねに十分なものを与えてもらっている。法力くらい、安いもんだ。いくらでもくれてやらぁ。勝手に腹の足しにされてたことに関しちゃ、文句がないでもないが。つまみ食いで怒るほど、器は小さくないつもりなんでね」


 唇を吊り上げた俺に、クリスは奥歯を噛みしめた。

 瞬間、上から強い重力に圧し潰された。


きよ!」


 さねの悲鳴にも似た声を、耳だけで拾う。顔が上げられない。視認できないが、何かに踏まれている。みしりと体が軋むのがわかった。


「力がないから、あなたは弱いままだ。弱いから、私に抗えない」


 靴音を鳴らしながら近寄ってきたクリスが、地に伏した俺の髪を掴んで顔を持ち上げる。


「箱の封印を解け。それさえ済めばお前は用済みだ」

「はっ本性が滲み出てるぜ、神父さまよ」


 青い目は憎悪に燃えている。邪心が、悪魔に更に力を与える。

 これはこれで一つの共存なのかもしれないな、などと過ぎった。それでも、人間への害になるとわかっていて、放っておくわけにもいかない。

 だから親父も、自分の領分を越えるとわかっていて、悪魔封じなんてやったんだ。

 なんだ。おふくろ以外のものを守る気、あったんじゃないか。

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