9.接触

 守りたいと思っていた。

 俺に意味を与えてくれた存在を。唯一無二の輝きを。

 その命の側に在れるなら、何にでもなると決めていた。

 けれどあの人は。もう、守られるだけではいられないという。

 もう、それほど強くなってしまったのか。あんなにも小さく弱かったのに。人の時が経つのは、なんと早いことか。

 その内、俺など要らなくなってしまうかもしれない。

 それでもいい。あの人が、寂しくないのなら。

 あの人が、辛くないのなら。悲しくないのなら。俯かないのなら。泣かずにいられるなら。

 その瞳に、俺が映らなくなっても。

 それでもいい。


 だから、その時が来るまでは。

 どうか、その身に僅かな厄災も降りかからないように。

 俺の全てであなたを守ろう。



 ◆◇


 

「さーねちゃんっ!」


 明るい声と柔らかい衝撃に、長屋の縁側にぼけっと座っていた実正は意識を引き戻された。


「みや」

「なに見てるのー?」

「ああ、ちょっとな」


 実正は太陽にかざして眺めていた鋏を、手のひらに乗せた。


「それ……もしかして鋏? 家でも商売道具を見てるなんて、お仕事熱心なのねぇ」

「いや、違うよ。この鋏は仕事では使わない」

「違うの?」

「これは羅紗らしゃ切り鋏だからね。イギリスで作られたもので、洋裁で使うんだよ」

「洋裁? さねちゃん洋裁もやるんだっけ?」

「いや、俺は和裁だけ」

「じゃぁなんで持ってるの?」

「なんでだろうねぇ」


 綺麗な笑みでごまかした実正に、みやと呼ばれた女も無邪気な笑顔を返した。

 知らぬ人間が見れば恋人同士の戯れにも見えようが、この長屋ではよく見られる光景だった。その度、女の姿は異なるのだが。


「製造はイギリスですが、輸入元はアメリカなんですよ」


 割って入った第三者の声に、実正は瞬時に体を緊張させた。


「わぁ! 綺麗な異人さん!」

「……クリス」


 事情を知らないみやの呑気な声と、警戒も露わな実正の対照的な様子に、クリスがくすくすと笑みを零す。


「今やっとわかりました。あなたに何故同郷の気配を感じたのか。そういうことだったんですね」

「俺はあんたと同郷だなんて、微塵も思っちゃいないけど」

「おや、それは寂しいですね」


 わざとらしく肩をすくめて見せたクリスに、実正は一歩足を引いて、鋏に手をかけた。


「みや、帰ってろ」

「えー! あたしのこと紹介してちょうだいよ。異人さんとお知り合いになりたーい」

「いいから。帰れ」


 常にない実正の様子に異変を感じ取ったのか、みやは不思議そうにしながらも大人しくその場を立ち去った。


「実正さん、でしたか。一緒に来てもらえますか?」

「断る」

「やれやれ、話は最後まで聞くものですよ。清正さんは先に招待しています」


 その言葉が意味するところに、かっと頭に血がのぼった。鋏を振って大太刀ほどの大きさにすると、クリスに向けて構える。


きよに何をした!!」

「何も。丁重にお招きしただけです。なので、あなたにも是非穏便にご一緒願いたいのですが」

「ふざけるな!」

「おや、良いのですか? あなたが抵抗すれば、清正さんが傷つきますよ」


 クリスの脅しに、実正はぴたりと動きを止めた。

 清正を人質に取られているのなら、攻撃することはできない。

 しかし。


「――嘘だな」

「何故、そう思います?」

「あんたは俺のことを知らなかった。あんたの目的はきよだけだ。そのきよを既に手に入れているのなら、俺を呼ぶ意味なんかない。逆なんだな?」

「ふむ。清正さんのことになると、冷静ではいられないと踏んでいましたが……存外理性的なんですね。読みが外れました」

「ああ見えてきよが直情型だからな。俺の方は裏を読むようにしてるの、さっ!」


 言い切るのと同時に、力を込めて地を蹴った。実正は躊躇なくクリスの首を狙って鋏を開くが、黒い影に阻まれた。

 反物たんもののようなその影をばつりと切ると、はらはらと地面に散っていく。だが無数に伸びるそれは、切っても切っても実正に襲いかかり、避けている内に実正はどんどん後退していく。

 クリスとの距離が縮められないことに舌打ちして、実正はぐっと膝を曲げると、思いきり跳び上がって屋根に乗った。

 上から距離を詰められれば、と思ったが。


「っ!」


 何かが頬を掠めて、皮膚を割いた。流れた血を、ぐいと袖で拭う。

 目にも留まらぬ速さだったが、何かが撃たれた。矢や弾のような物質が残っていないところからすると、先日見た氷の刃かもしれない。

 一瞬動きを止めた実正に畳みかけるように、次々と透明な刃が実正を襲う。あちこち切られて血が流れるが、どれも深手ではない。人質を殺さぬよう、加減しているのだろう。これなら、弾き返さずとも。

 鋏を突き刺す形で構えて、屋根からクリス目掛けて飛び降りる。

 そこへ。


「おーい、なんか凄い音がしたが、なんかあったかぁ?」

「――――!」


 庭先の騒動に、長屋の住人が様子を見に出てきてしまった。

 まずい、と思った実正が口を開く前に、黒い影が住人を襲う。


「おわあああっ!?」

「くっそ……!」


 その影が住人を締め上げる寸前、実正が鋏の矛先を変え、住人に向かっていた影を切り刻む。


「逃げろ! 早く!」

「ひ、ひいいいっ!」


 ばたばたと遠ざかる足音にほっと息を吐くと。


「甘いところは、お二人とも変わらないんですね」

「しまっ……」


 実正の意識は、そこで途切れた。



 ◆◇



 それは唐突に訪れた。

 門前を箒で掃いていると、風を切る音がして、門に矢が突き刺さった。


「……今時矢文かよ……」


 こんな物を受け取る覚えは全くない。しいて言えば一人だけないでもないが、だとしたら日本の文化を著しく履き違えている気がする。

 呆れた顔で引っこ抜くも、矢に結ばれた手紙の内容に目を通した俺は、さっと顔色を変えた。


さね……!」


 馬鹿が。あれほど、気をつけろと言ったのに。

 考えなかったわけじゃない。戦闘力を考えれば、さねの方が強いのだから、直接俺をさらった方が簡単だ。

 だが、もし俺に何かをさせたいのなら。何かを聞き出したいのなら。

 俺をするための手段が必要だ。命令に対して、絶対に拒否できない状況を作り出す。

 そのために、人質は有効だろう。

 俺を守りながら戦うこと。さね一人で戦うこと。それを天秤にかけて、勝率の高そうな方に賭けたのだが。

 悪い方に目が出てしまった。

 ぐしゃりと、手紙を握り潰す。


さねに手を出したこと、後悔させてやる」


 守られるだけの俺じゃない。

 俺は、さねの相棒なのだから。

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