8.癒しの手(2)

 ◆◇



「……やべ、寝てた」


 本堂の床で、俺は目を覚ました。

 起き上がってあくびをすると、ずれた眼鏡をかけ直す。


「懐かしい夢見たなぁ」


 じいちゃんが生きていた頃の夢だ。ぼんやりとしか覚えていないが、あの優しい笑みを思い返せば、胸の内側が温かくなる。

 早くに両親を失った俺にとって、じいちゃんは唯一の肉親だった。

 おふくろは体が弱くて、あまり何かをしてもらった記憶がない。親父は俺に興味がなかったように思う。だから家族の記憶を問われれば、そのほとんどはじいちゃんとのものになる。

 家族とは何か。親とは何か。俺には、よくわからない。答えられない。だけどじいちゃんが与えてくれた愛情は、確かに俺の指針になっている。


「どうせ夢に出てくるなら、法力の使い方を教えてくれりゃなぁ」


 大きく伸びをして、仕様のないことをぼやく。

 さねに修行をする、と言ったものの、どうしたらいいものか見当もつかない。

 じいちゃんはどうしていただろうか。


「治療師の方じゃなくて、寺の方の資料になんか残ってねぇかな」


 経蔵きょうぞうの方に何かありはしないかと、俺は重い腰を上げた。

 本堂から外に出て、ついでに敷地内にある小さな畑を見に行く。

 畑と言っても食用の作物はほとんどなく、使用頻度が高かったり、希少で探しに行くのが面倒くさい薬草を自家栽培しているだけのものだった。

 概ね問題なく育っているが、一部の薬草が少しだけ項垂れていた。


「お、どうした。ちょっと元気ないな」


 俺は畑に屈み込むと、その薬草に手を触れた。


「がんばれ、がんばれ」


 早く元気になれよ、という気持ちを込めて撫でる。

 そっと手を離せば、その薬草はしゃんと上を向いていた。


「おし、いい子だ」


 笑いかけて、俺は立ち上がった。

 植物に話しかけるとよく育つ、という話を聞いたことがある。

 そんな馬鹿な、と思わないでもないが、俺には否定しきれない理由がある。

 どういうわけだか、弱っているものに俺が触れると、元気になることがあるのだ。

 

「そういえばじいちゃんが、俺の手は癒しの手だって言ってたなー」


 右手を大きく開いて、太陽にかざす。

 この不思議現象を自覚しだしたのは、じいちゃんが死んでからだ。

 手当て、という言葉があるくらいだし、治療師としての能力の一種なんだろうと思っていた。

 けど、さっき見た夢で思い出した。昔にも一度、動物の怪我を治したことがあった。

 だったらどうして、それからじいちゃんが死ぬまで、同じことが一度も起こらなかったのだろう。

 あれはなんだったのだろう。

 この手は、こういうものなのだと思っていた。深く考えたことがなかった。

 だが生まれながらの特性なのだとしたら、使えなかった時期があるというのはおかしい。


「……まさか、これ、法力なのか?」


 今まで一度も意識したことがなかった。

 しかし、この不思議現象が法力なのだとしたら。俺は既に力を使いこなせているのではなかろうか。


「でもさね、俺の法力は弱いっつってたしな……」


 上がった気分が一瞬で下がる。

 だから効果がこんなにささやかなのだろうか。

 強い法力を持っているのだとしたら、触れただけで怪病なんかぱっと治せてしまう気がする。

 唸りながら、経蔵の戸を開ける。

 ここには寺の方の資料、経典なんかが収められている。

 使えそうなものはないだろうか、と俺は腰を据えて資料を漁った。

 ぱらぱらとめくっていると、刀に関する記載があった。

 仏教において殺生はご法度だが、では武器などもってのほか、かと言えばそんなこともない。

 寺にも神社にも、刀剣が置いてあることはよくある。むしろ関りは深いと言っていい。

 仏教では葬式の時に、守り刀を祭具として用いることもある。

 俺は刀の図をじっと眺めた。

 意識は物に引きずられる。刀を持てば、俺にも戦う力が出せるだろうか。最悪、法力など使えなくても、刀は物理的に攻撃することができる。例え怪異に効果がなくとも、相手が人間ならば。


 ――『やめろ。武器なんか持つな』


 さねの声が、脳裏に甦った。

 あいつ、自分は鋏なんか振り回してるくせに。よく言う。

 俺は眉間に皺を寄せて、刀についての書物を閉じた。


「……ま、素人が振り回すもんじゃねぇか」


 他に使えそうな資料はないかと、他の書物を手に取っては中身を確認する。

 暫くそうしていると、面白そうな記述があった。

 符術だ。事前に呪符を用意しておけば、五行の力を行使できるという。


「これなんか使えそうだな」


 試しにやってみるか、と俺は資料を見ながら呪符を作ってみた。

 経蔵の外に出て、『火』の呪符を構える。

 目を閉じて、法力を込めるように意識してみるが。


「……」


 何も起こらない。


「ぐぬぬ……!」


 煙の気配すらない。


「ぬおー!」


 叫んだところで、呪符はただひらひらと風に吹かれるだけだった。


「つっかえねぇ!! なんでだ!? 作り方が間違ってんのか!? 俺が弱いからか!?」


 俺は手製の呪符を地面に叩きつけた。

 ぜえはあと肩で息を切らせて、符術のことが書かれていた書物を開く。

 その書物には、作成された呪符が三枚挟まっていた。誰が作ったものかはわからないが、俺よりはまともに作ってあると思われる。

 作成済みの呪符は三枚しかない。希少性を考えると、使えるかどうかを試すために一枚消費するのは躊躇われる。


「…………」


 俺は自分では作れなかったという屈辱を押さえこみながら、その呪符を懐に忍ばせた。

 土壇場で役に立つかどうかはわからないが、無いよりましだろう。

 それ以前に、俺が自分で作った呪符を使えるようになればいいだけだ。

 珍しくやる気を出して、俺はその後も紙くずを量産した。

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