5.銀髪の神父
人の来ない路地裏に場所を移して、俺は銀髪の神父と向かい合っていた。
「で? 人の名前を呼び捨てたからには、そちらさんも当然名乗ってくれるんだよな」
「おや、松海堂に辿り着いたのに、私の名前はわからなかったんですか?」
暗に無能だと言われてかちんとくる。なんだってこういちいち人の神経を逆撫でする言い方ができるんだか。
「わぁるかったなぁ。人の名前に興味がないもんで、すっかり忘れてたんだよ」
「気が短いんですね。人生損しますよ」
くすくすと笑う余裕そうな態度にいらいらが募る。しかしここで怒鳴り返したら思うつぼだ。奥歯を噛み締めてこらえた。
「私のことはクリスとお呼びください」
「ほーそら神父さまらしいお名前で」
「ありがとうございます。あなたも仏教徒らしい名前ですね。清く正しい。名は体を表すと言いますが、まっすぐ育っていらっしゃるようだ」
どこ見て言ってんだこいつ。
自分で言うのもなんだが、あまり名前が似合うと言われたことはない。節穴なんじゃなかろうか。
「で? さっきのは自白と取っていいんだよな?」
「さっきの、とは?」
「松海堂のことだ。あの
射抜く視線をものともせず、クリスはにこやかに答えた。
「ええ。ほんのご挨拶に」
「何がご挨拶だ。何もわからん女だけ狙い撃つような卑怯な真似しやがって」
「おや、
「洒落?」
「表だけ美しく取り繕って、内側は醜い虚栄心に取り憑かれた女たちに。真っ黒な心の内を見せて差し上げたのですよ」
ぎゅっと眉間に力が入ったのがわかった。
こいつとは、根本的に相容れない。
「ご存知でしょう。あれは病のもと。しかし、ただそれだけでは何も起こらない。清らかで美しい心の持ち主なら。発症したのは全て、本人の心が穢れているからだ」
「女なら美しくありたいと思うのは当然のことだろう。そのためにあれこれ塗りたくってるのはよくわからんが、それは他人が否定することじゃない。人間なら誰もが清濁を併せ持つ。一切の穢れない人間などそうはいない」
「あなたはその稀有な人間でしょう」
「……本当に節穴か? その青いお目々には俺が聖人君子にでも見えてんのか」
「少なくとも純粋な方ではあるようだ。一人きりで自分からこんな
「あんたも一人だろう」
「まさか。気づいていたでしょう?」
ぞわりと悪寒が走る。ずっと感じていた気配の大きさが増す。人ならざるもの。――怪異の気配。
ぶわりと影が広がって、抵抗する間もなく俺を地面に縫い止めた。もがく俺を、クリスが呆れた目で見下ろす。
「甘味処でも思いましたが、戦闘能力がまるでないんですね。そんなに弱くてよく仕事が務まりますね?」
「うっせ、治療に戦闘能力が要るか!」
「必要ですよ。だからこその怪病治療師です。怪異と戦う力があるから、薬を処方するだけの薬師とは一線を画す。だというのに、法力を使う素振りもない」
「修行不足でな、そっちは不得手だ」
「……潔いところは評価します」
クリスが手を上げると、ぱきぱきと音を立てて、宙に薄氷が出現した。鋭利なそれは、落とされればいとも容易く体を貫くだろう。
「日本の術師も、確か使い魔を擁しているのではなかったですか。式、でしたか。呼ばないのですか?」
「そりゃ陰陽師かね。俺は使えん」
「そうですか。あの男の息子だというから来てみれば……どうやら期待外れだったようです。――残念だ」
ぞっとするほど冷たい声で、クリスが手を振り下ろす。
身動きも取れぬまま、迫りくる凶器に目を閉じると。
キィン、という甲高い音が響いた。
訪れぬ痛みにおそるおそる目を開けば。
「
「――……
大太刀ほどの大きさの鋏を構えた
安堵の声は信じられないほどに情けなかったが、気にする余裕はなかった。
「甘味処にいないから探し回ったぞ! 行き先くらいわかるようにしておけ!」
「わ、悪い」
無茶言うな、と思ったが、珍しい
肩で息をする様子も、こめかみを伝う汗も、
「なんだ、いるじゃないですか。使い魔」
「っ
使役する存在だと言われて、反射的に言い返す。
クリスはくすりと笑って首を傾げた。
「ならいったい何だと言うのです?」
「
他人に俺たちの関係性を理解してもらおうとは思わない。名前をつけようと思ったこともない。
それでも、あえて言葉にするのなら。
「
叫んだ俺に、クリスと
その後、
クリスは、何故か呆然としたように口を開いた。
「……それは、人間ではないでしょう。この国のものですらない。それが、相棒? 自分と対等だと思っているのですか?」
「うるせぇな。あんたに俺の交友関係をどうこう言われる筋合いはねぇよ。俺は自分が人間だからって、上とか下とか思ったことはない。怪異は人間の厄になることが多いから、害をもたらした時には仕方なく祓っているだけだ。神も仏も妖も、基本は全て同じ。ただ在るだけ。それとどう関わるかなんて、個人の自由だと思うがね」
「ならば何故……あの男は……」
「あの男……?」
小さく零された言葉に、眉をひそめる。そういえば、先ほども「あの男の息子」と言っていた。親父と何か関係があるのだろうか。
それを問い詰める前に、おぞましいほどの寒気が全身を襲った。
「
切羽詰まった
眼前に、赤が散った。
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