4.仕組まれた罠(2)

「なんっなんだあの店の主は!」

「まぁまぁ。結果的に受け入れてくれて、良かったじゃん」


 まだ怒りが収まらない俺をさねが宥めるが、一度下がりきった機嫌はそう簡単には直らない。

 どすどすと荒い足取りで街道を歩く。


「約束を反故ほごにしようもんなら、今度こそ口に練炭でも突っ込んでやる」

「坊主のくせに物騒な……。まぁ、大丈夫でしょ。あちらさんも今頃はほっとしてるんじゃないかな」

「……なんでだ?」

「あの店には、既に苦情が入ってたからさ」


 俺は目を丸くしてさねを見た。

 さねは自信ありげな様子で、適当なことを言っているようには見えない。


「……いつ気づいた?」

「今日店に行ってから。店員と客の会話が聞こえてね。俺、耳は良いから」


 とんとんと耳を叩いて、さねは得意げに笑った。


「購入した客の何人かは、既にあの白粉を疑ってたのさ。でも店の方は強気に突っぱねていた。非を認めたところで、返金くらいしかできないからだ」


 確かに、と俺は内心頷いた。

 娘のかえも白粉が原因だとは思っていなかった。かえの症状と客の訴えを、すぐに結びつけることはできなかっただろう。店は言いがかりだとすら思っていたかもしれない。


「本音は店の方も、解決策を欲しがっていた。原因もわからない、対処法もわからない、でも全員が商品のせいだと言ってくる。こうなると、本当に店の商品に落ち度がないと思っていたとしても、評判はどんどん悪くなる。だから『製造元で不注意があった』という原因と、『薬があれば治る』という解決策が同時に提示されたのは、向こうにとっても都合が良かったんだ。そうは言っても部外者の意見を易々と呑むわけにはいかないから一度は断って見せたけど、必要な分だけ薬を提供するという言質が取れたことで、落としどころとしたんだろう」


 さねの説明に、俺は理解はするが納得はできない、と顔を歪めた。

 そんなよくわからん意地で、こちらが薬を引っこめたらどうする気だったのか。自分たちは関係ないの一点張りで、患者を放置する気だったのだろうか。

 あまり人と関わらない俺は、腹芸のようなことは苦手だ。さねがいてくれて良かった。


「ったく、面倒くさいな、商人ってやつは」

「まぁほら、そこは交渉だから。でも、思ったより早く済んで良かったじゃん」

「そうだな。かえの部屋で見つかったのは不幸中の幸いというやつか。あそこに何も手がかりがなければ、かえの行動範囲をしらみつぶしに歩いて探さないといけな――」


 言いながら、俺はあることに気づいて、頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「えっなに、きよ、どうした。気分悪い? 人に酔った?」

「それもあるが……そうじゃない。すっかり忘れていた」

「何を?」

「あの白粉を、誰から仕入れたのか、だ」


 唸るような俺の台詞に、さねが目を瞬かせた。

 通行人が邪魔そうにするので、俺は気合を入れて立ち上がり、歩きながらぼやく。


「あれは仕込まれた毒だ。それも、怪異に精通する者によって。悪戯いたずらにしちゃたちが悪すぎる。出処を探っておきたかったんだが」

「ああ、なるほど」

「今から戻って……話を聞くとなると……」


 げっそりとした俺に、さねは胸を叩いた。


「なら、俺がぱっと行って聞いてくるよ」

「なに?」

「俺はあの店何度か顔出してるし、一人の方が早いだろ」


 そう言うと、さねは近くの甘味処を指さした。


きよはあの店で甘味でも食べてなよ。甘い物、好きだろ?」

「餓鬼扱いすんな」

「まぁまぁ。すぐ戻ってくるからさ」

「……いいのか」

「今のきよを連れ歩く方が心配。んじゃ、さくっと行ってきまーす」


 笑顔で手を振って、さねは元来た道を駆けて行った。

 俺は言われた甘味処に入り、くずもちを注文した。

 表に出された縁台えんだいに腰掛けて、茶をすすりながらぼうっと通りを眺める。

 久しぶりに人里に降りてきて、俺はたいぶ疲弊していた。行き交う人の多さで、目が回りそうだ。さねの気づかいはありがたかった。


「お待たせしました」


 頼んだくずもちが出てくると、俺はそれをほうばった。蜜の優しい甘さが染みわたる。

 じっくりと口の中で味わっていると、ふっと影がさした。


「お隣、よろしいですか?」

「…………どうぞ」


 嫌だと言うのも変な話だが、正直嫌だと言ってしまいたかった。それほどに、この男の雰囲気は異質だった。

 同じ縁台に人一人分空けて座ったのは、神父服を纏った異国の男だった。緩い癖のある短い銀髪で、優男風の顔立ちをしている。いかにも人の悩みを聞いてくれそうだ。

 横濱にもカトリックの教会がある。神父がいたって別段不思議はないが、なんだってこんなところを一人でふらふらしているんだか。僧侶の俺が言えたことじゃないが。


「お坊さんですか?」


 にこりと人好きのする顔で問われて、俺は仏頂面で返す。


「そうだが」

「ああ、それはすばらしい。人を救う仕事ですね」

「神父さまほどじゃねぇがな」


 嫌味にも全く怯むことなく、神父は穏やかに微笑んでいる。気味が悪い。


「この町は良いですね。色々なものが入り乱れている。人も、物も」

「ごみごみしているだけに見えるがね」

「雑多なくらいがちょうど良いのですよ。静謐せいひつの中には住めないも、紛れて生きることができる。この場所は、全てを受け入れてくれる」


 ぴり、と空気が張った。


「……どうだかな。それぞれ居場所ってのは決まってるもんだ。人の縄張りに勝手に入ってきたら、そりゃ追い出されても文句は言えんぞ」


 瞬間、頬に熱が走った。液体の流れる感触がある。


「申し訳ありません。あなたが余所者を追い出すようなことを言うから、怒ってしまったようですね」

「――……あんた何者だ?」

「おや、先代から聞いていませんでしたか。私はあなたのことを知っていますよ、当代。名は確か……清正、でしたか」


 俺はその場に甘味の代金を置いて立ち上がった。


「場所を変えようか、神父さま」

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