3.広がる病(1)

「先生! 咳が止まらなくて」

「……」


「咳き込むと、黒い煤が出るんです。何の病気なんでしょうか……?」

「…………」


「せんせええ! 私死なない!? 死なないよね!? 治るよねえ!?」

「………………」


 立て続けに訪れる患者に、俺はいらいらを抑えきれず、さねに掴みかかった。


「いったいなんなんだこれはあああ!!」

「ちょちょちょ、きよ、俺に言われても!」


 ぶん、とさねを境内の砂利の上に投げ捨てる。潰れた蛙のような悲鳴は聞こえなかったことにした。


は流行るようなもんじゃない! そんなに大量に用意してあるもんじゃなし、その内薬が尽きる!」

きよ暇してるんだし、頑張って作れば」

「阿呆! 調合ならともかく、俺がいくら頑張ったところで薬草はそんな急には育たん! それともお前が全国津々浦々走り回って材料をかき集めてくるか!?」

「無理ですぅ……」


 悪態をつきながら砂利を蹴り上げる俺を、さねが諦めた顔で見ている。


「だいたいなんだって若い娘ばかりなんだ! 連れてくるのがさねだからかもしらんが!」

「いや別に俺が選んでるわけじゃないって。ただ、同じ症状を相談されるのが若い女の子ばかりなんだよ」

「そりゃお前が若い娘としか話さないからじゃないか」

「そんなことないって! 女の子たちにも聞いたけど、男で症状が出てる奴はいないみたいなんだよな。なんでだろ?」

「女だけ……?」


 奇妙な条件に、俺は眉を寄せた。かえは陸蒸気おかじょうきの煙を疑っていたが、それなら女だけ発症するわけがない。


「そういえば、かえもまだ症状が治まらないみたいなんだ。往診ついでに、原因を調査してみたらいいんじゃない?」

「絶対嫌だ」


 思いっきり顔をしかめて、一字一字区切って告げた俺に、さねが乾いた笑いを零した。


「そこまで?」

「俺がなんだってこんな山奥に引きこもってると思ってるんだ。人間が嫌いだからだ。町に降りるなんて死んでもごめんだね!」

「またきよはそんな近代化で追いやられた妖怪みたいなこと言う……。きよだって人間なんだから、もうちょっと人と関わりなよ。そんなんじゃ嫁さんも貰えないぞ」

「要らん」

「要らんて。後継ぎどうするのさ」

「さてな。それこそ、妖怪にでも継いでもらうかね。そしたら暫くは後世の心配もしなくていい」

「おいおい」


 苦笑したさねにふんと鼻を鳴らして、俺はそっぽを向いた。

 元々うちは正統な寺ではないので、特に結婚を禁じているということもない。しかし「僧侶である」ということは、結婚を人から口出しされないという点において、大変便利だった。

 ところが、だ。太政官布告により、僧侶の妻帯が解禁された。ついでに肉食も。これによって、俺は檀家たちに「結婚はどうするのか」と心配されるはめになったのだ。

 確かに弟子を一切取っていない俺は、後継ぎをどうするのかを考えねばならない。寺の方はそれほど重要じゃない。問題なのは、もう一つの方だ。こちらは途絶えさせるわけにいかない。単純に考えれば、実子が最も楽だろう。

 俺だって考えていなかったわけじゃない。ただ、さねといれば、何とかなるような気がしていた。


「俺にはお前が社交的な方が理解できん」

「俺は人間大好きだからねー」


 朗らかに笑ったさねに、俺は言いかけた悪態を呑み込んだ。


 ――人間もどきのくせに。


 さねは人間じゃない。人の姿をとってはいるが、何か別のものだ。俺はその正体を知らない。さねから聞いたこともない。ただ、漠然と感じ取っているだけ。

 さねは俺が気づいているということに、おそらく気づいている。でも、互いに口にしない。それを問い詰めたら、さねは姿を消してしまうかもしれないから。

 一緒にいたいと思っていることだけ同じなら、いい。


「でも真面目な話、俺だけじゃ原因を探るのまではちょっと無理だよ。根本的な解決には、きよが町に降りるしか方法はないと思うけど」


 じとーっと俺を見てくるさねの視線を受け止めて、俺は怯んだ。さねは情報収集は得意だが、それでも怪異の原因究明となれば、俺が行くのが一番早いだろう。それはわかっている。わかっている、のだが。


「………………」


 これ以上ないほど、眉間に深く深い皺を刻んで。

 俺は、盛大に溜息を吐いた。

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