3.広がる病(2)

 ◆◇



「……吐きそうだ」

「ほらほら、頑張ってきよ


 早くも人酔いしそうな俺の背をさねが叩く。

 港町である横濱は、貿易の中心地でもある。鉄道が開通したことで、更に人の往来が激しくなった。和装も洋装も、日本人も異国人も入り乱れて、人の気配にくらくらする。

 ひそひそと噂する声に視線をやると、ぱっと目を逸らされた。どうも俺たちを見ていたようだ。

 仕方ない。これだけ色々な人種がいる横濱とはいえ、散切り頭の僧侶と和装の異国人の組み合わせは珍しいだろう。見た目異国人の方は自称日本人だが。


「さっさとかえの家に案内しろ」

「はいはい」


 さねに連れられて辿り着いた場所には、『松海堂しょうかいどう』と書かれた立派な看板が掲げられていた。


「やっぱ商家の娘だったのか……」


 偏見と言われるかもしれないが、商いをしている家の娘は気が強い。交渉事を見慣れているせいかもしれない。


「あら、いらっしゃいさねちゃん!」


 弾むような声と共に店から出てきたのは、かえだった。

 恋する乙女の顔で駆け寄って、そこでようやく俺の存在に気づいたらしい。


「……と、あら。先生もいらしたの」

「おう最初っからいたがなぁ」

「ごめんなさい、見えなくて」


 なんだどういう意味だ、小さいとでも言いたいのか。言っておくが俺は平均的だ。さねと比べるな。

 ばちばちと火花を散らす俺とかえの間に割って入るように、さねが慌てて口を開いた。


「俺たち、かえの病の原因を探りに来たんだ。まだ調子が悪いって言ってたろ?」

「まぁ……私が心配で?」

「もちろん。このまま咳が長引いて、かえの美しい声がれてしまったらと思うと夜も眠れない。だから協力してくれないか?」

「ええ、喜んで」


 センブリをそのまま口に突っ込まれたような顔をしている俺には目もくれず、かえは自室へと俺たちを(というかさねを)案内した。



「ここが私の部屋よ」


 部屋の中は、さすが商家の娘らしく、レースやリボンを使った洋風な物もあちこちに散りばめられた女らしい部屋だった。

 うかつに触ると何を言われるかわからないので、おそるおそる足を踏み入れ、視線だけで辺りを探る。


「普段口にするものや、頻繁に使うものはあるか」

「食事や水のこと?」

「いや……違うな。そういうものなら同じものを口にした全員に症状が出る。この家であんただけが使うもの、特に女だけが使うものはあるか」


 考え込んだかえは、鏡台の引き出しを開けて、中の物を取り出した。


「心当たりがあるとしたら……こういうものかしら」

「これは?」

「化粧品よ。うちの店で取り扱っている物がほとんどね」

「触っても?」

「どうぞ」


 手にとってはみたが、何に使うものかわからない。なんなら開け方もわからない。このまま使うんじゃないよな。どうするんだこれ。


「……開けて中身を見せてくれないか」

「駄目な男ね」


 溜息を吐きながら、かえが一つずつ開けて並べていく。

 別に男が使うもんじゃなし、知らなくて困ることなんかあるか。今困っているが。

 苦々しい顔の俺に、さねが笑いを噛み殺していた。

 それを忌々しく思いながら、並べられた化粧品を眺める。

 どれが何かはわからないが、一つ、粉の入ったものが目についた。


「これは?」

白粉おしろいよ。顔にはたくの。アメリカからの輸入品で、私が一足先に試したのだけど、とても肌が綺麗に見えるの。だからたくさん仕入れて、先日から販売を始めたわ。すごく売れ行きが良くて、今じゃうちの看板商品よ」


 粉を手のひらに乗せて、指で確かめるようにすりながら広げる。

 目を凝らして、俺は顔を険しくした。


「……これだな」

「え?」


 なるほど、顔につけるものだったとは。これなら微量ずつだが、確実に吸入する。

 怪訝な声を上げたかえに、俺は白粉を差し出した。


「原因はこれだ。この粉を日常的に吸ったせいで、あんたの肺に煤が溜まっている」

「そんな……まさか。うちの商品に、おかしな物が混ざっているはずないわ!」

「作ってるのはこの店じゃないだろ。製造元の方で混入されてる」

「混入……って」


 俺の口ぶりに、かえが青ざめた。何が言いたいのかわかったのだろう。

 材料に問題があるんじゃない。偶然入り込んだのでもない。

 これは、だ。


「すぐに商品を全て撤去して、販売した分も回収しろ」

「そんな……そんなこと。うちの信用に関わるわ。だいたい、これが原因だって証拠はあるの!?」


 金切声を上げたかえに、俺は顔をしかめた。

 証拠、と言われても、かえにも店の者にもはっきりとわかるように示すのは難しい。人の基準で考えれば、毒性のある成分は出てこないだろう。


「わかった。なら、あんたと同じ症状が出ている女たち全員に聞いてこよう。これと同じ白粉を使っているかどうか。全員が同じ物を使っていたら、状況証拠にはなるが、可能性が高いということは理解してもらえるだろう」

「その必要はないよ」


 口を挟んださねが、ひょいと白粉の容れ物を手に取って、その香りを嗅いだ。


「うん。同じ症状が出ている子たちは皆、これと同じ白粉を使ってる」

「なんでそんなことがわかる」

「わかるさ。肌から同じ匂いがしたから」


 にこりと笑ったさねに、俺は盛大に顔を歪めた。深くは聞くまい。


「……だ、そうだ。さねの言葉が信用ならないなら、証言を集めてくるが」

「……必要ないわ。さねちゃんが、嘘を吐くはずないもの」

「さいで」


 おう俺と随分反応が違うじゃないか。などと言っても仕方あるまい。

 ひとまずお嬢さまは納得してくれたわけだが。


「でも、商品の取り扱い中止となると……私の一存じゃどうにもできないわ。お父様でないと」

「なら、親父さんと話せるか?」

「ええ。案内するわ」

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