2.始まり(2)

「待たせたな」


 薬と道具を抱えて本堂に戻れば、さねとかえがぱっと離れた。何をしてたんだ何を。

 半眼になりながらも、素知らぬふりをして、かえの前に腰を下ろす。さねの素行には慣れたものなので、もうつっこむ気にもならない。仏さまの前でよくやるとは思うが。

 刻んだ薬草を煙管に詰めて火をつけると、吸い口をかえに差し出す。


「これを吸え。薬だ」

「……これが?」


 戸惑いながらも、かえが煙管を口にする。深く吸って、そして。


「っ!」


 激しく咳き込んだ。

 咳き込むたびに、煤が吐き出される。

 何度か苦しそうにそれを繰り返して、涙目でかえが俺を睨む。


「ちょ、ちょっと、何なのよこれ!」

「今のあんたは肺の中にその煤が溜まっている。全部吐き出し終えれば治る。その薬は煤を吐き出しやすくするものだ。最後までちゃんと吸えよ」

「はあ!?」


 悪態をつきながらも、仕方なくかえは薬を吸い続ける。怒りながらも咳き込んで、最後の方はいくらか軽い咳になっていた。

 やがて完全に火が消えると、咳き込み続けたかえは体力が尽きたのか、ぐったりとしていた。


「まぁ、こんなもんか。完全に解毒されてないから、家でも何度か吸え。薬は包んでやるから」

「……ありがとう」


 額の汗を拭って、かえが小さく呟いた。なんだ、礼くらいはまともに言えるのか。


「言っておくが、御代はちゃんともらうからな」

「わかってるわよ」


 かえは懐を探ると、財布から貨幣を取り出した。


「このくらいでいいかしら」


 差し出された貨幣に、俺はぎょっとした。


「こんなに要らん!」

「あら、だってあなたは特殊な医者なのでしょう?」

「そりゃそうだが」

「希少な技術にはその分の対価を払うわ。当然でしょう」


 その瞳には、惜しむ気持ちが全くなかった。こいつ金持ちか。

 資金があるというのもそうだが、投資することに抵抗がないのだろう。高水準なものに適正な価格を。とくに商家に関わる娘はそういう考え方をする。態度が大きいのも納得だ。


「貰っときなよ、先生。かえにとってはそのくらいはした金だし。寺の維持には何かと金がかかるんだからさ」

「はした金……」


 住む世界が違う。別に俺だって暮らしに困窮しているというほどではないが、住職は決まった賃金を貰えるわけではない。治療師の仕事だって、いつもあるわけじゃない。貰える時に貰っておくのは悪いことではない。寄進だと思っとくか。


「では、ありがたく」


 仰々しく頭を下げて、俺はその金を受け取った。


「ところで、聞いておきたいことがあるんだが」

「何?」

「あんた、何かを吸った覚えはあるか?」


 俺の問いかけに、かえは眉を寄せた。


「言い方が抽象的すぎてわからないわ。どんなもの?」

「あんたが何を吸ったのかは俺にはわからん。ただ、その病は自然に発症するものじゃない。原因になったものがあるはずなんだが」

「そうねぇ……。煤といえば、やっぱり陸蒸気おかじょうきの煙かしら?」

「陸蒸気……」


 確か、横濱から新橋まで鉄道が開通したとかで騒がれていた気がする。出来たという話は聞いたが、実物を見たことは一度もない。しかし、陸蒸気は大勢が乗る乗り物のはずだ。それが原因ならば、もっと大量の人間が同時に発症しているはず。


「あんたの周りに、同じ症状の奴はいるか?」

「今のところ聞いていないけれど……体のことはそんなに話題にしないし、わからないわね」

「そうか……」


 がりがりと後ろ頭をかく。考えたところでこれ以上はわからない。何かあれば、さねが連れてくるだろう。


「心当たりがわかったら、さねにでも伝えてくれ。今肺の中にある煤は薬で吐き出せるが、もし原因になったものをまた吸えば、それは新しく蓄積していく。これかもしれない、と思うものがあれば避けてくれ」

「わかったわ」


 ひとまずの治療は済んだので、さねがかえを送っていく。それを見届けて、俺は本堂に戻ると、仏像を見上げた。


「……嫌な予感がするなぁ」


 俺の勘など、大したものではないが。

 外れてくれ、と仏さまに祈るのだった。

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