1.怪病治療師(2)

 本堂に布団を敷いてちよを寝かせ、顔の横で香を焚く。香の効果で、ちよはすっかり眠りに落ちていた。この香は、俺とさねには効かない。

 俺は眠っているちよの口を開けさせて、匙に掬った薬を口元へ持っていく。その様子を、さねが覗き込む。


「何それ?」

「喉の奥に詰まっているものを溶かす薬だ。それより、お前も準備をしておけ。俺の予想が正しければ、出てくるぞ」


 喉元に落とした液体の薬が、じわりと何かに染みる。じわじわと染みて、溶けて、それは。

 ちよの口から、勢いよく飛び出してきた。


「出たぞ!」


 叫びながら距離を取る。さねも構えながら、懐から裁ち鋏を取り出していた。

 その鋏はさねが一振りすると、大太刀にも等しい大きさとなった。


さね、それを切れ!」


 ちよの口から出てきたのは、白い糸だった。糸は絡まり、固まり、団子になって、ちよの喉の奥に詰まっていた。これほどの量の糸。全て解くのは骨が折れる。

 ぶわりと広がったそれを、さねが両手で開いた鋏でばつりと切った。瞬間。


『好き』


 ふわりと響いた声は、鈴の鳴るような女の声だった。

 再度、さねが糸を切る。


『修三さんが、好き』


 この声は、ちよの声だ。

 最初は本堂内に雲を広げるようにじわじわと広がっていた糸だったが、さねが切ったことで攻撃の意志を感じたのか、糸の方も敵意を示すように俺やさねの方へ鋭く向かってきた。

 手足を絡めとろうとする糸を避けながら、さねに声をかける。


「なあ! 修三ってのは、結婚相手の名前か!?」

「いや、違う! 確か、家の下男げなんの名前だったような……っ」


 なるほど。

 俺は納得して、部屋の隅に逃げた。


さね、とにかくその糸を全部切れ! 出てこなくなるまで、ひたすら!」

「げえええ! 俺の負担でかくない!?」

「その糸はちよの本音だ! 言えずに溜め込んだ言葉が、全て固まって詰まってしまった。彼女が本音を吐き出し終えるまで、とにかく聞け!」

「めんどくさっ!」

「同感だが、それ本人に言ったら殺すからな!」

「坊主の台詞じゃ、ねえええっ!」


 鋏をぶん回して、さねが糸を引っ張る。束にして、大きく開いた鋏でばつりと切った。ちよから完全に切り離された糸は床に散って、次第に消えていく。


『好き』『結婚なんかしたくない』『修三さんといたい』『家のために我慢しなきゃ』『家族に迷惑はかけられない』『忘れなきゃ』『忘れられない』『どうして』『修三さんは何も言ってくれない』『私さえ我慢すれば』


 糸を切るたびに、ちよの声が響く。喉の違和感は、三ヶ月前から。つまり、少なくとも三ヶ月の間、ちよは本音を呑み込み続けていた。

 俺には、結婚だのなんだの、よくわからない。でも、少なくともちよにとっては。声が出なくなるほどに、辛いことなのだろう。


「これで、最後!」


 さねの掛け声と共に、糸が全て散った。俺はちよに駆け寄って喉の奥を覗き込むと、先ほどとは別の薬を流し込む。

 ちよがそれを飲み込んだのを確認して、俺はほっと息を吐いた。


「あとは目を覚ますのを待つだけだ。ご苦労さん」

きよは俺使いが荒い! もっと労って!」

「檀家さんから酒貰ったから飲んでくか」

「やったー!」


 ちょろい。

 俺の可哀そうなものを見る目にも気づかず、さねは上機嫌で鋏を振って、元の大きさに戻すと懐にしまった。



「……あれ……私……」

「ちよさん、気がついたか」

「……清正、さん?」


 俺の名前を呼ぶと、ちよは目を見開いて、がばりと身を起こした。


「おい、急に動くな」

「声が……」

「ああ。治療は無事に済んだ」

「……っ! ありがとう、ございます……!」


 ちよはぽろぽろと涙を零しながら、感謝を述べた。

 しかし俺は複雑な顔をした。まだ、伝えなければならないことがある。


「ちよさん。今回は治したが、その病はあんたが変わらない限り、何度でも再発する」

「え……」

「あんたの声を奪ったのは、あんたの心の声だ。口から出せなかった言葉が全部喉につかえて、そのまま固まって取れなくなってしまった。だからあんたが言葉を呑み込み続ければ、また固まってしまう」

「そんな……! どうすれば……」

「簡単なことだ。言葉を口から出せばいい。好きな奴に好きだと言って、結婚が嫌なら嫌だと喚けばいい」


 俺の台詞に、ちよは顔を青くした。


「どうして……」

「悪いな。あんたの心の声を、少し聞いた」


 本当は少しではなく全部だが。そんなことは言う必要がない。

 重大な秘密がばれたと、ちよは震える声で懇願した。


「お願いします。そのことは、家には」

「言わないさ。俺には何の関係もないしな。ただ、あんたが黙っている限り、また同じことが起こる。それは事実だ」

「…………その時は、また治療を」

「できなくはないが、次からは正規の料金を取るぞ。払えるか? それにこの病は癖になる。何度も固めてしまえば、次第に解けなくなる。そうなれば二度と治らない」


 暗い顔で俯くちよに、俺はがりがりと後ろ頭をかいた。


「俺には家族がいないからよくわからんが、親ってのは娘に幸せになってほしいもんなんだろう。本音を言っただけで縁が切れるようなら、それもまた結構じゃないか。あんたが一方的に心配してるだけかもしれんぞ。何も絶対に結婚を辞めろと言っているわけじゃない。最終的には従うしかないかもしれない。だが、言う前から全てを諦める必要はないんじゃないか」

「……あなたには……わかりません……。家の道具になるしかない、女の気持ちなど」

「だからわからないと言っただろう。けど、あんたの方がわかってもらおうとしないなら、そりゃ誰にもわからんだろうな」


 ちよが小さく息を呑んだ。何かを言い返すかと思ったが、結局そのまま黙りこんだ。


さね、ちよさんを送ってやれ」

「あ、あの、今回の治療代は」

「ああ……今回はさねが連れて来たからな。まぁ、今度酒か食べ物でも貰えりゃありがたい」

「え……でも」

「大丈夫、先生その辺雑だから」

「おい」

「じゃ、送ってきまーす」


 逃げるようにちよの手を引いて、さねが出ていった。

 俺はその姿を見送って、深く溜息を吐いた。


「人間ってのは、救われたいんだか、救われたくないんだか」


 ぼやいて、威圧感のある仏像を見やる。


「なあ、仏さまよ」


 生臭坊主だから、人間の苦悩なんざはどうでもいいんだが。

 病んだ人間は、それが俺の領域のものであるなら治す。救われたい奴も、救われたくない奴も。


 俺の本職は、怪病治療師。

 人の医療では治せない怪奇を祓う、怪異専門の治療師である。

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