明治怪病治療師

谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中

第一部 銀髪の神父編

1.怪病治療師(1)

 散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。

 なーんて言われたもんだが、俺の頭が散切りなのは適当に切りっぱなしだからである。

 明治になって、世の中は西洋化に向けて目まぐるしく変わっていったようだが、俺は俗世とは切り離された山奥の寺に住んでいるのでさほど関係ない。何せ坊主のくせにこんな頭をしていても文句を言われないほどである。

 いやそれは嘘だな。言われちゃいるが、聞いていない。

 正直寺の仕事はおまけみたいなもんだ。だから俺のような生臭坊主でもなんとかやっていけている。

 俺の本職は――


「おーい、せんせーっ!」


 本堂の弘庇ひろびさしでだらだらしていたところを邪魔されて、俺は眉をひそめた。

 視線の先では、長髪で長身の男がぶんぶんと手を振っている。


「うるせぇ、先生って呼ぶな」

「いやいや、に客なんだって」


 男の影から姿を現したのは、小柄な小袖姿の女だった。遠慮がちに、ぺこりと小さく頭を下げる。


「――……とりあえず、中にどうぞ」


 俺は溜息を吐いて二人を本堂に招き入れた。



 威圧感のある仏像に見守られながら、俺は来客と向き合っていた。


「俺はこの『正怪寺しょうかいじ』の住職、清正きよまさだ」


 疑わしげな視線を向けた女に、俺は頭をかいた。それもそうか。

 散切りの黒髪。ずれた丸眼鏡。着崩した法衣。歳も三十に満たない。由緒ある寺なら許されないだろう、こんな住職。


「あー……俺のことは、実正さねまさから聞いてるか?」


 女はちらりと隣の男に視線をやって、迷う素振りで頷いた。煮え切らないな。どっちだ。


さね。お前ちゃんと説明して連れて来たんだろうな?」

「まぁまぁ、きよ。こっからは俺が話すからさ」


 へらへらとしているさねを、俺は半眼でねめつけた。

 さねは長身で、俺より頭一つ分は背が高い。そのせいなのか何なのか、男にしては珍しく和裁士である。髪は明るい茶色で、背中まで伸ばしている。本人曰く日本人らしいが、顔の彫りも深い。こいつの見目なら洋装の方がよっぽど似合うだろうに、和装に拘りがあるらしく、今日も紺の着流しだった。ちなみに年齢不詳。見た目は俺より下に見えるが、実際のところどうなのか。


 さねは女と視線を合わせると一つ頷いて、真面目な顔つきで俺に向き直った。


「彼女の名前は。三ヶ月前から喉に違和感を覚えていたが、今月になってついに声が出なくなった」

「! 声が……」


 道理で。一言も発しなかったのは、俺への不信感ではなかったか。

 申し訳なさそうに、ちよが視線を落とした。


「医者には何人も見せたが、どの医者も体には何の不調もないという。心因性のものではないか、というばかりで、誰も解決できなかった。それでもしかしたらと、ここに連れて来たんだ」

「そうか……」


 気の毒な視線を向けた俺に、ちよが手をついて頭を下げた。


「ちよさん、頭を上げてくれ。事情はわかった」


 必死な様子に俺が慌てると、さねがそっとちよの肩に手を添えた。


「ちよは結婚を控えているんだ。このままだと、破談になってしまうかもしれない。それで本人も思い詰めている」


 小刻みに震える手から、彼女の不安が伝わる。結婚が破談となれば、家の一大事だ。どれほど焦っていることか。

 深く息を吐いて、なるべく頼れる人間に見えるように、しっかりと話しかける。


「まずは症状を確認したい。少し体に触れるが、構わないか」


 ちよが頷いたのを確認して、俺は喉元を両手で触る。それからちよの口を開けさせて、喉の奥を見た。


きよ、どう?」

「……何か、な」

「うわ、あたり?」


 俺とさねの会話を、ちよが不安そうに聞いている。

 いけない。患者の前で、不確定な会話をするわけには。


「ちよさん。喉の奥のものを取り除くために、麻酔をかけさせてもらいたい。少しの間眠りに落ちるが、心配することは何もない。もし俺を信用して任せてもらえるなら、治療をしても構わないだろうか」


 初対面の男の前で意識を奪われるのは不安だろうが、治療法がそれしかない。ちよの方も、後がないのだろう。迷う素振りを見せた末、はっきりと頷いた。

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