第8話 兄妹は引かれ合う?

「ほぅ、落ち着く……」


「落ち着かん……」


 妹が落ち着いてくれたというのに、俺の方が落ち着かないとかいって、さっきみたいに冷静さを欠かれても困るのだが、落ち着かないものは落ち着かない。


 今の天華はと言えば、兄である俺を膝の上に乗せ、ベッドの上に腰を落ち着け、ホットミルクを味わっていた。


 ぶつけたってのは、差し出したの間違いだったわけだ。失敬。


 まあ、なんにせよ、ホットミルクを飲んで落ち着くところは、変わってなくてよかった。が、兄である俺が妹の膝の上に座っていては、全く落ち着けない気持ちもわかってもらえるのではないだろうか。


 考えてもみてほしい、年下の兄妹の、その膝の上に乗せられるというのは、まるで立場が逆転してしまったかのような、居心地の悪さを感じるものだ。そうだろう?


 今まさに、俺がおちいっている状況というのはそういうものだ。兄の立場が危ういということだ。


 しかし、妹にバカにされてるとか、妹に軽んじられてるとか、そういうわけではないからといって、動じずにいられるわけでもない。なんというか、兄としての屈辱を感じるシチュエーションだった。恋人相手だって普通逆だろう?


 まあ、普通というなら、身長差がある兄妹で、妹の膝に座る兄というのは、屈辱というよりも、いじめに近いものを感じざるを得ない状況な気もするが、絵面的には全くそんなことにはならない。


 忘れてもらっては困る。今の俺は幼女なのだ。


 そう、幼い女の子の姿なのである。


 サイズ的にも重さ的にも、たとえ年下の妹だろうと、膝の上に乗ってしまうような質量しかもたないひ弱な存在というわけだ。


 一人、山の中で暮らす分には、低身長ゆえの不便さにさいなまれることはあったものの、今のような、低身長のせいで発生する謎イベントに、巻き込まれるようなことはなかった。いわば、心の平穏は守られていたわけだ。


 そこに、妹がさらなる妹でもかわいがるように、俺を膝の上に乗せてしまっては、俺が落ち着けるはずがなかろう。


 というわけで、妹は落ち着いたとしても、俺が落ち着かないということについて、理解してもらえたと思う。理解できないという人は試してみてほしい。ある程度成熟した段階で、自分より大きな人の膝の上に乗るということを。いくら親しい間柄でも、なんだか落ち着かない気持ちになるに決まっている。


 まあ、そもそもというもの、俺と天華の距離感というのは、こんなに近くなかった。


 これまで説明した通りだが、俺と天華の関係性というのは、荷物持ちと妹くらいのもので、お兄ちゃん大好き! みたいな、アニメに出てくる妹キャラではなかったのだ。


 それがどういうわけか、問題になるほどにくっついてきている。なんだかブラコンぽいなって思うくらいだ。いや、ブラコンぽくなったのか? 多少は仕方ない、か……?


「はぅ……」


 天華はミルクを飲み終えると、コップを置いて、俺の体の前にもう片方の腕を回した。


 この表現は今まで描写していなかっただけで、俺の勘違いじゃない。


 膝の上に乗っているだけなら、きっと、どうして降りないんだと疑問に思っていたことだろう。


 さも当然の疑問だ。だが、降りられないから、俺は落ち着かなかったのだ。先ほどの現状説明だって、落ち着かないから止まらない思考なのだと考えていただければ、理解も進むと思う。


 じゃあ、どうして離れられなかったのかと言えば、天華の片腕が、まるでシートベルトにように、俺の腰に巻かれていたからだ。大好きなぬいぐるみでも抱えるように、大事そうに俺のことを離そうともしなかった。


 ホットミルクが差し出されても、妹は俺を抱くことをやめず、片手でコップを持ってミルクを飲んでいたわけだ。


 というわけで、ミルクを飲み終えた今、妹を止めるものは、再び何も無くなった。


「私の代わりだから、こんな姿になっちゃったんだよね〜。ごめんね〜」


「おわっ!」


 両手をシートベルト代わりにすることに飽き足らず、妹は俺を強く抱いてきた。後頭部、髪の中で呼吸音が聞こえてくるほど、妹は先ほどよりも密着してきた。


 風呂に加えてホットミルクも飲んだせいで、もう眠そうな様子だが、俺を抱く手には力が残っている。


 それに、密着したことで、先ほどよりもずっと天華の体温を感じる。風呂上がりにホットミルクを飲んだことで、だいぶあったまってきたらしい。それは、俺もか……。


「天華のせいじゃない。そもそも、その件は推測だろ?」


「……そうかもだけど……」


 天華の自己否定を止めるために、かばうようなことを言った形になったが、天華に責任を求めるほど俺も子どもじゃない。


「それじゃ、俺からの質問だ。やっぱり聞かせてくれないか? 俺がどうして、青山天成だってわかったのか」


「……」


 別に隠してたわけじゃないのだろう。さっきも核心に迫る俺を守ろうとしたと見ることもできるはずだ。


 そもそも、ここまで色々あって話す機会がなかっただけだ。


「…………」


 しかし、口が重いのか、天華は俺に抱きついたままの姿勢で震えている。


「まあ、無理にとは言わないさ。俺だって、今の状況に対して、わかってないことも多いからな」


「……」


「でも、一人で抱え込むことはないんじゃないか? もう、俺はここにいるんだからさ」


「…………」


 戦闘中でないと本はないのかとか、服の趣味が変わったのか、とか、魔法を身につけるまでにどんなことがあったのかとか、どうして俺をそこまで想ってくれるのかとか、聞きたいことはまだまだある。


 でも、話したくないなら、俺も無理に聞かない。この世界で生きていくだけなら、知らなくても間に合うことだろうからな。


「そうだな。じゃあ別の話題にしよう。今の俺の気になってることだ」


「なに?」


 黙ったままだった天華はここで返事をした。


 やはりもう眠そうだ。


 もしかしたら、整理がつかないということもあるのだろう。


 それなら、簡単に答えられそうなことから聞いていくだけだ。


「あのさ天華。ちょっとくっつきすぎじゃないか? 俺の背中に何してるんだ?」


 そう、気になっていることは天華のこと。天華の行動。


 彼女はまるで枕にするように、さっきから俺を抱きしめ顔を埋めたまま動かないのだ。ちょっと心配になる。


「べべ、べ、別に、なにもしてないよ? 小さいな。とか、あったかいな。とか、いい匂いだなとか、飼いたいなとか、全然、そんなことみじんこも思ってないから」


「微塵もだろ? みじんこはそんなこと思ってないだろうよ」


「そうそう、微塵も」


 そんな感じで早口で否定をしながら、天華は勢いよく離れたと思ったが、ドライヤーみたいな魔法では、髪も乾き切っていなかったらしい。天華の顔には、俺の髪がペターっとくっついていた。


「あんまりくっついてるから、俺の髪がついてるじゃんか」


「それは、ほら、ね? 兄妹だし」


「いや、兄妹は磁石じゃないぞ?」


「でも、惹かれ合うっていうかさ」


「まあな……?」


 でもたしかに、こうして天華は、俺一人しかいなかった異世界にやってきてくれたわけだし。やってきた天華に、俺も会いに行ったわけだし。理解はできる。


 しかし、鼻息荒いのは泣くの我慢してるからかな?


「疲れてるみたいだし、今日はもう寝ようぜ?」


「うん!」


 天華は俺の提案に元気よくうなずいた。眠そうだったのに、ちょっと目を覚ましかけてるみたいで申し訳ない。


 俺も初めはすぐに寝るつもりだったしな。


 幼女の体には色々ありすぎた。


 天華がいるから兄として我慢できたが、マジで眠い。


「ほっ……」


 ほ? と息を吐いた天華が見えた気がしたが、これは見間違いかな。

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