♰Chapter 28:分析と流転
「二人とも少しぶりだね。おや、随分仲良くなったように見える」
水瀬の洋館に集合していた。
彼女は今回の任務には不参加ということでこの場にはいない。
代わりに東雲が不満げにソファにもたれている。
結城の言葉にも不満だろうが、昨夜全てが解決できなかったことも大きいだろう。
夜会での縁談決裂、とはならなかったのだから。
「別に。あたしはこいつと慣れ合うつもりはないし」
「だそうだ」
「ふむ、そういうところが打ち解けられたとみられるポイントなのだが……それはいい。実は数日前の任務で奪取した〔逆理の聖杯〕の解析が完了した」
結城は立方体の黒い箱を机に置いた。
それからそれに魔力が込められる。
するとまるでパズルのように箱の外殻だけが消失し、透明な箱が出現する。
そのなかに紅の宝石がはめ込まれた杯があった。
「これは以前にも話したが制約のもとで理を反転させることができる強力なアーティファクトだ。ここにあるものに限って言えば今までに使われた形跡はなく、使用できる回数もわずかに一度だけの消耗品だということが判明している」
「一度だけか?」
結城が最初に予測した段階では数回ほど使える可能性があるとのことだったはずだ。
聞き返したオレに彼は頷く。
「古代のアーティファクトを模造している以上、相当の緻密さで魔術的刻印がなされていることは推測通りではあった。しかしこれを見てほしい」
結城はあらかじめ黒手袋を装着していたその手で聖杯を取り出す。
金のように荘厳な煌めきのなかに強力な魔力の気配を感じる。
だが彼の示す箇所は外見的特徴ではなく、刻印の方だ。
「敷き詰められるように刻まれたこの文字。だが一部だけ意図的に消されている」
「へえ……ほんとね……。規則的に並んでたものが急に途切れてる」
東雲が納得の表情でうなずいている。
「つまりはその消失がたった一度しか使えない原因を作っているということか?」
「その通りだ。この模造品の作り手は古代アーティファクトのいわば“模造図”を持ちながらあえて精密なアーティファクトを製作しなかったということになる」
結城の言うことを鵜呑みにするなら模造アーティファクトの製作者は本物に近い質のものを創れる腕を持ちながら、あえて欠陥を残したということだろう。
名前も顔も知らない人物の、その意図は誰に読めるはずもない。
「アーティファクトの作り手が気になるのも分かるけど、それよりも〔約定〕がそれを手に入れて何がしたかったかの方が気になるんだけど」
「もっともな話だ。そうだね……先に私が掴んでいる情報を開示するとしよう」
結城は以前も展開したことのあるホログラムを持ち出す。
そこに表示されるのは東京二十三区内に点在する〔約定〕の拠点だ。
もちろん〔幻影〕が把握している場所のほかにも無数にあるのだろう。
これは氷山の一角に過ぎない。
「伊波遥斗という魔法使いの裏切りによって〔約定〕の周囲に散らばらせた諜報員が駆逐されていることは君達も知っているだろう。だが当然のことながら彼の権限では全ての情報を掌握することはできていない。だからこそ生き残った諜報員からこうした情報も手に入る」
一部の拠点がピックアップされ、赤い線で経路が示される。
「これは水瀬君と八神君が氷鉋と戦闘を繰り広げていたときに何かしらを移送していたと思われる記録だ。残念ながら途中から巻かれてしまっているが、それでも推測できることがある。すなわち新型アーティファクトである〔心喰の夜魔〕でさえ囮とし、別のアーティファクトを輸送中だったのではないか、とね」
「別の目的、ね。だとしたら随分と大盤振る舞いよね。アーティファクトを一つ構築するのだって莫大な魔力と労力がいるのに」
「はは、まったくだよ。だが愚痴を言っても仕方がない。今回も〔逆理の聖杯〕という強力なアーティファクトを得ようとしていた。これらの情報を総合して導いた結論はただ一つだ。〔約定〕は何かを周到に準備している。小競り合いではなく、〔幻影〕を――ともすると東京中を混乱に陥れるような壮大な計画を」
その規模の大きさを聞いて思い浮かべるのは最近では魔女だ。
魔法使いの成れの果て。
自らの願望に憑りつかれた末路。
表現は違えどいずれもネガティブな意味を持っている。
「とはいえだ。まだ敵の思惑の全体像が掴めていない以上、全てが机上の空論であることは理解しておいてほしい。あくまでも現状を鑑みた推察にすぎないのだと」
結城は一息入れると意味深に東雲を見る。
「……何よ?」
「このアーティファクトの出所は実はすでに判明しているんだ」
「ならなんで最初に言わないのよ? あたしは回りくどいのは嫌いよ」
「これでも配慮しているつもりではある。だがそれも東雲君には余計なお世話だったかな?」
東雲は気遣われる覚えが全く見当たらないとでも言いたげだ。
事実オレも思い当たる節がない。
だが彼の物言いには不穏な気配を感じずにはいられない。
「結論から言おう。模造アーティファクトの件で糸を引いているのは――“ネオテクノ”という企業だ」
「は……ちょっと待って……。どういうこと⁉」
ネオテクノ。
それは最近耳にした企業だ。
そう、東雲の婚約の話。
御法川伊織がCOOを務める企業こそがネオテクノである。
「模造アーティファクトの受取人をしていた男は自決したということだが、調査の結果幾つかの足取りを追うことができた。その一つにネオテクノへ出入りする彼の姿が目撃されていることがある。より詳細に調べてみればネオテクノは表では最新技術を駆使したAR製品を打ち出しつつも裏では最近になって〔約定〕のフロント企業として、稼いだ資金の一部を使った模造アーティファクトの研究をしていることが判明した」
ホログラム上に実際の証拠映像や実際に偽装された決算書などの書類データが並ぶ。
これだけの情報が揃えば模造アーティファクトの請負とやらはほぼ真実と思っていい。
「っ!」
東雲は通信アーティファクトで急いで誰か――恐らく父親との通信を試みる。
十秒が二十秒に、そして三十秒もそうしていただろう。
彼女は勢いよく立ち上がるとそのまま飛び出していこうとする。
「待て!」
強い口調で言葉を向けられると彼女は無視できない。
過去のトラウマを利用していることに良心の呵責がないわけではないが、こればかりは譲れない。
「何をするつもりだ?」
「……決まってる。御法川を潰す」
「いくら何でも無謀だ。相手は短期間で一企業の上層まで上り詰めている相手だぞ? 後ろめたいことをしている以上、魔法使いの護衛がいることも十分に考えられる。それにこうなった以上、御法川がお前との婚約を持ち込んできたのもただの偶然じゃない」
「っ……理詰めのあんたなんかにあたしの気持ちは分からないわよ!!」
「それでも待つべきだ」
彼女は肩を震わせている。
何がそうさせているのかは明白だ。
「だって……だって……っ! お父様が危ないのよ⁉ 待ってばっかりなのはもう嫌!」
彼女の過去は聞いた。
本当の両親がいつか迎えに来てくれるのを待ち。
――誰も迎えには来なかった。
冷たい監禁部屋で助けを待ち。
――誰も助けには来なかった。
そして義父に認められるように立派な魔法使いになろうと努力している。
これもある意味では待つことを指す。
これに加えて今は彼の危機を察知していながらそれを待てと言われているのだ。
もし、逆の立場だったなら。
大切な人が命の危機に瀕しているのだとしたら。
オレはその感情を知ることもできたのだろうか。
「〔盟主〕。オレはまだ〔幻影〕のほんの一端しか知りません。魔法使いという存在に触れるたびに新しいことを知っていく新人に過ぎない。だが東雲の父親の重要性は十分に理解していると考えています」
東雲父は〔幻影〕の資金面で大きな役割を担っていることは既知のこと。
そんな彼が善悪や損得を考えられないとは思えない。
御法川と東雲の婚約を結ぶまでにはきっと抗えない圧力があったと見るべきだ。
障害を取り除かなければ、魔法テロ組織の横暴を許すことになる。
「確かに東雲グループの総裁は以前にも言ったように、聡明で優秀な〔幻影〕の支柱だ。だがそれは支柱の一本であるに過ぎない。我々が組織である以上、身内に危機が迫っているかもしれないとはいえ、それですぐに救出に動けるかと言えば、それは別問題だ」
結城の言うことはよく理解できる。
組織とは時に非情に徹してでも切り捨てる覚悟が必要となるもの。
加えて現状では敵がどのくらいの規模で今回の件に関わっているのか、その全体像が掴み切れていない。
はっきり言ってしまえば即行動は悪手なのだ。
「ならオレに東雲と同行する許可をください」
その言葉は少なからず彼の予想に含まれていたものだろう。
特に驚く様子もなく、首を傾げた。
「分からないな。八神君は振り返る必要もないほど最近になって〔幻影〕に帰属した。私とて前線の魔法使いに任せきりでサボっているわけではないからね。君のこともある程度は把握しているつもりだ。だからこそ、問いたい。東雲君個人にそこまで手を貸そうとする理由はなんだい?」
やはり結城にはオレの過去が知られている。
少なくとも暗殺者であることは理解しているだろう。
その上でなぜ積極的に動こうとするのかを問い詰めている。
「オレは東雲の実力が確かなことを知っています。しかし何のバックアップも得られないまま単身敵地に乗り込めば捕虜、最悪の場合で命を落とすでしょう。オレはそんな無駄を許さない。〔幻影〕にとって彼女は必要な存在ですから」
言葉にしたことは全てオレの本意だ。
〔幻影〕は魔法という常識を逸脱した異能で各犯罪から人々を守護している。
これはオレの罪滅ぼしに合致する目的であり、いつかの少女を探すためにも有利なこと。
ならば組織も人も使えるものは全て利用し尽くす。
――戦局に捨て駒はなく、最終盤面により多くの優秀な駒を持ちこしている方が勝つ。
「ふむ、君らしいと言えば君らしい理由だ。いいだろう。八神君がここまで主張したんだ。これを尊重しないわけにはいかない。東雲君の私兵団に関しても任務を負っていない者については好きに使うといい――くれぐれも無理をしないように行っておいで」
結城の忠告が東雲自身にも浸透していることを祈るばかりだ。
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