♰Chapter 27:ワルツとキス
「ちょっと八神? 顔色が悪いけど大丈夫なわけ?」
意識がはっきりすると正面に東雲がいた。
下から覗き込まれ、思わず一歩後退する。
「ああ、悪い。それよりも挨拶は終わったのか?」
「え? あ、うん。ほんの十分くらいだったわよ。その間にどこかの誰かさんは船を漕いでたみたいだけど?」
非難がましい視線が向けられる。
「……少し人酔いしたのかもな」
「人酔い、ね。まあそれならそれでいいわ。もし具合悪くなったらすぐに言いなさいよ?」
「看病でもしてくれるのか?」
「はあ……馬鹿言わないでよね」
それから御法川のもとへ向かおうとしたのだが、彼も人に囲まれていた。
主催者であるからこそ、一番人が集まっている。
「これじゃ仕方ないわね。もう少し待つしかない」
虎視眈々と御法川を見ている視線が一瞬の隙を見出そうとする剣士のそれだ。
そんな華やかなパーティーに相応しくない殺伐とした雰囲気に終止符を打ったのは楽団による演奏だ。
ヴァイオリンを主体に鮮やかなワルツが奏でられる。
自然と広間の中央付近が開けられ、男女のペアがいくつか出来上がっている。
そこまで来れば何が行われるのかは明白だった。
「東雲もワルツを踊るのか?」
「馬鹿じゃないの。あたしが踊るわけないでしょ。ここは上手くやり過ごして――やっぱりあんたでいいわ」
ぴったりと腕を組んでいるため傍からは分かりづらいが、かなりの力で引っ張られる。
彼女が気にする先には御法川がおり、その彼が見ていたのだ。
突然の行動の理由に納得する。
「おい……確かに協力するとは言ったが見世物は御免だぞ」
「あたしがあいつに誘われたら断る理由が思いつかないのよ。大丈夫。ワルツならごく一般的な舞踏よ。あたしに合わせてれば問題ない」
東雲はオレが踊れないことを気にしていると思っているらしいがそれは誤解だ。
だがそれを解く時間も労力もない。
「本当に今夜で蹴りを付けてくれよ」
「言われなくても」
それから無限とも思える時間が始まった。
ステップとターンを繰り返し、リズムを刻む。
「……あんたって本当に心配するだけ損な奴ね」
「オレは踊れないとは一言も言ってないぞ」
「そういうところよ」
「それよりも御法川のどこが嫌いなのか聞いていなかったな」
「全部よ全部」
「特に嫌いなところは?」
「取り繕った胡散臭い笑顔」
「なら逆に好きなタイプは?」
「それ何か関係あるの?」
「単なる興味本位だな」
「ムカつくから転ばせてやろうかな」
短いやり取りを交わしているうちに一曲目が終了した。
すぐに東雲はオレと手を離すと御法川に近づく。
「いいかしら?」
東雲が促す方向はこのホールを出た先を指していることは明らかだ。
「ああ、分かった。少し席を外しますね」
御法川は周囲に集まっていた人々に軽く会釈をすると東雲の隣りを歩く。
オレはその半歩後ろを進む形だ。
「この舞踏館には確か小部屋もあったはずよね?」
「そうだね。このホールを抜けるとすぐのところだ」
それから一室にオレと東雲と御法川の三人が向き合うことになる。
「ああそうそう。さっきのワルツも凄く完成度が高かったよ。思わず僕も踊りたくなったくらいさ」
「ふうん」
「はは……その様子だとだいぶ待たせた感じかな。悪いね。僕は婚約相手として不釣り合いかな」
「……そうね。とんだ迷惑よ」
東雲は少しの間を開けて厳しい言葉を投げつける。
それに御法川は面食らったようだった。
「へえ! 朱音はそんな言葉も使うんだね。それともこっちが素なのかな。ところで――」
それから先程から気になっていたであろうオレに向けて愛想のいい笑顔が向けられる。
「隣りの彼は?」
「あたしがお付き合いしてる人」
「でも嘘だよね?」
「う、嘘じゃないわよ! あたしと零は正真正銘付き合ってるんだから!」
東雲に嘘を吐けと言う方が難ありか。
反応が図星を突かれた人間そのものだ。
だがオレは彼女に同意して静かにうなずいた。
「参ったな……。八神くんでいいかな? 君は本当に彼女と?」
「ええ。御法川さんとの婚約が成立する前から付き合っています」
じっとオレの表情を見ているがそこから読みとれることはない。
ただ平然としている、というその一点だけだろう。
「そうは言っても僕は彼女の御父上とも話を通して正式な婚約関係を結んでいる。そう簡単に破棄はできないんだよ? 第一、あの時の朱音は誰かと付き合っているなんて言わなかったじゃないか」
至極まっとうな指摘に東雲は弱いながらも堂々と主張する。
「それは話が急だったからよ。だから戸惑って何を話す間もなかったのよ」
「なるほどね。なら朱音は証明できる? 彼と付き合っているっていうことの」
嗜虐性はないが、面白がっているような雰囲気を感じる。
それもただそう思っているのではなく、どこか一歩引いた場所からこちらを試すような気配。
「何をしろって言うのよ?」
「そうだな……キスができればそれは事実なんだろうね」
「き、きす……?」
「別に付き合っているなら恥ずかしがることもないだろう?」
「……っ」
東雲はオレの顔を見る。
親の仇でも見るような目だ。
それから音が出そうなほどに頬を紅潮させた。
いつもならすぐにでも暴発しているところだが、今回は羞恥心の方が勝っているらしい。
「キスなら今更だろう? 人前は初めてだがオレたちの仲を見せてやればいい」
「わ、ちょっ……!」
オレは東雲の顔に自分の顔を近づける。
そして彼女の頬に手を添え、親指で彼女の唇に栓をして――。
「ん~⁉⁉ ……っはあ!」
「どうですか? これで信じてもらえましたか?」
「あ、ああ。まさか本当にキスするとは思わなかったな」
御法川はオレたちの意外な行動を前にして戸惑いもあるだろう。
拙い嘘だと思っていたはずだからな。
「それにしても本当に君たちが恋仲なのか。こちらが後釜だったってことか」
「そういうことです。だから朱音のことは諦めてくれませんか?」
オレの言葉に御法川は少し考えるそぶりを見せたのち、方針を固めたようだ。
「それはできない。政略的な婚約とはいえ、僕にも対外的な面子がある。それに僕自身も今の強気な彼女に興味が出てきたところだ。また改めて会おう。そうそう、パーティーもぜひとも楽しんでいってくれ」
それだけ言うと彼は先に出て行った。
「あれはなかなか諦めてくれないタイプの人間だな。東雲?」
ずっと黙ったままの東雲は自分の口元を抑えている。
その様子から何が彼女を硬直させているのかに気付いた。
「あの時はああするしかなかった。それに実際にキスをしたわけでもないだろう?」
あの時の御法川からはオレと東雲の口元は見えていなかった。
視覚的にオレの後頭部と東雲の押し殺した声だけだったはずだ。
実際には彼女の唇を自身の親指で抑え、そこに軽く口を触れさせただけ。
「あ、あんたねえっ……! さすがにどうかと思うわよ!! 振りとはいえこんな、こんな……っ!」
彼女の髪の毛が怒髪天を突くように見える。
殴られるかと覚悟もしたが強く握られた拳が何とか耐えたことを示した。
「でもさっきは助かった。あんたがリードしてくれなかったら嘘がバレてたかもしれないし。でも……こんな関係、早く終わらせないとね」
「そうしてくれ。オレとしても好きでお前とこの関係を偽っているわけじゃない」
「分かってるわよ。少し落ち着いてから行くわ。先にパーティーに戻って」
オレは軽く手を振って了解の旨を示してから会場に戻るのだった。
「――平然として、ムカつく」
東雲が最後に吐き捨てた言葉は誰にも届かずに。
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