♰Chapter 15:眠れぬ一夜
「もしもし」
“こんばんは、お嬢様”
柔らかく静かな声が鼓膜を揺らす。
定型から始まるつまらない通話の入りだった。
“その様子ですとなにやら不満でも溜まっていらっしゃいますか?”
「別に」
対するのは険のある声だ。
素っ気なさもこれほどとなると可愛げはない。
相手をする声はそれでも朗らかだった。
“そう言われるときは必ず何かを隠そうとするときですよ。それにかすかにぱたぱたと音が聞こえますね。鷹条の眼――いえ耳ですね。そう易々とは誤魔化せません”
通話は東雲と彼女の父の秘書で開始されていた。
東雲は和モダン調に統一された私室にて。
うつ伏せになって足でベッドのスプリングに弾みをつけていることも鷹条には見抜かれている。
彼女は素直に感心した。
「まだ全然曇らないのね。まあいいわ。その、お父様は近くにいる?」
“いいえ、御父上は今現在も執務中です。ですので私一人ですよ”
「そう。なら……あいつは?」
わずかな間は覚悟をするためのもの。
彼女にとって最も聞きたくない名前。
“と言われますと?”
「惚けないで。御法川伊織よ」
苦々しく言葉にするだけでも東雲の全身に寒気が走る。
あるいは怖気と呼ばれるものかもしれない。
“彼もいませんよ。彼も立場上、忙しくしていらっしゃるようです”
「立場上、ね。まあでもよかった。ここで悪口を言っても万が一にでも聞かれる心配はないってことね」
気持ちのストッパーが外れる音がする。
鷹条は察してか知らずか、短い冗談を交えてつつ会話を楽しんでいる様子。
“そうですね……わたしは聞くにやぶさかではないですが。しかし嫁入り前にお口の悪さは直された方がいいですよ”
「うるさいわよ。ならあたしに縁談なんて持ってこなければよかったじゃない。なんでお父様はあたしに何の相談もなく決めちゃったの? なんで、御法川なんて言うあたしに何の接点もない男を選んだの?」
握る小型端末に力が入る。
身体が硬直し、わずかに呼吸が浅く速くなる。
東雲が求めているのはそこにある答え。
嘘偽りではなく、真実を知りたがっている。
“なるほど。お嬢様がこの縁談に後ろ向きであることは改めて理解しました。それに御父上がどのようにこの話を決めたのか、それを知りたがっていることも。ですが私はそれについてお嬢様に話す許可を得ていません”
「そ……」
その言葉に東雲は落胆の吐息を漏らす。
彼女にとっては当たり前のこと。
父は決して必要以上の情報を与えたりしない。
分かり切っていたことなのだ。
――でも、納得できない。
霧がかった気持ちに整理が付かない彼女に対して。
だが相手の言葉は終わらなかった。
“お嬢様、あなたには御父上の決定を覆すだけの覚悟がありますか?”
真意を掴み兼ねる言葉。
ともすると父への反抗とも取れる背信行為。
「何よそれ……。お父様が決めたことは絶対。そんなのあんただってよく知ってるでしょ?」
“ええ、そうですね。お嬢様の御父上は究極のエゴイストです。だからこそご自身の中で付けられた優先順位に従って動かれます。でもそれが間違っていたとすればどうでしょう?”
「……そう言えばあんたも回りくどい言葉を使うタイプだったわね……」
東雲の脳裏に昼間、八神と遂行した任務のことが過る。
自分の様子がおかしいとやたら回りくどく探りを入れてきたものだ。
“どなたかにわたしのような人がいたのですね。ふむ……察するに最近〔幻影〕に仲間入りされた八神零くんですね?”
「……はあ。相変わらずの勘の良さね。それとも知ってたのかしら。そうよ、あいつもあたしがあたしらしくないって、そんなことを言ったのよ。あんたにあたしの何が分かるのかって言ってやったわ」
“気になりますか。その人が”
その言葉を聞いて再び動きかけていた足がぴたりと止まる。
それから勢いよくベッドから飛び降りる。
「はあ⁉ さすがの鷹条って思ってたけどやっぱり歳には勝てなかったみたいね! 耄碌したなら秘書なんてやめなさい!」
自分でもなぜこれほどムキになっているのかは分からない。
ただ冷静に『そんなことはない』の一言で終わるはずなのに。
東雲の思考は『人』が『嫌い』。
なかでも『男』が『嫌い』。
ただし『お父様』と『鷹条』を除いて。
こんなシンプルな公式で人を分別している。
八神零という『人』の『男』は当然『嫌い』に分類されるはずなのだ。
“なるほど。今日連絡を取ってきたのは彼とひと悶着あったからですね。お嬢様は本当に可愛らしい性格をしていらっしゃる”
「次会ったとき覚えてなさいよ」
“冗談、ということにしておいてください。それで何があったんです?”
「〔迅雷〕の守護者としての任務で――したのよ」
一番重要なところがくぐもっている。
東雲は枕に口を埋めているのだ。
”よく聞き取れませんね”
「だから失敗したのよ!」
やぶれかぶれに乱暴な言い放ち。
それは任務で失態を犯した羞恥から来る感情だ。
鷹条は彼女の激情に慣れているかのように自然に受け流す。
”ふむふむ”
「そしたら悩んでることがあるなら聞くって言われたのよ」
“はい、それで?”
「それだけよ。婚約話のせいで気が立ってたの。それをあいつに気付かれたみたい」
“本当にそれで終わりですか?”
「……そうだけど?」
“彼に何も話さなかったんですか?”
「しつこいわね。当然でしょ。あいつとは会ってからまだひと月ちょっとなのよ? 信頼関係も何もあったもんじゃないでしょ。ましてあたしのプライベートな話なんだから」
端末越しに鷹条は溜息を吐いた。
「ちょっと、人に分かるくらい大きな溜息なんて吐かないでよ⁉ 不幸がうつるでしょ! それともなに? あたしの言ってること、何か間違ってた?」
“いいえ、お嬢様がそう思うのならそうなのでしょう――少々お待ちを”
少しの間、鷹条が離れる気配を感じる。
“失礼しました。お仕事が入ったのでそろそろお暇しなければなりません”
「そう。色々言われっぱなしで釈然としないけど仕方ないわね」
“そう言わないでください。最後に一つだけお聞きします。先程もお嬢様が言われたように御父上の決定は重ねて絶対です。ですがその決定に対してお嬢様はわたしに不満を漏らしました。今のお嬢様はどう感じていますか?”
「どうって……」
明確な正解がなさそうな問いかけに、東雲は自身の胸に手を当てて言い淀む。
「少し、軽くなった?」
“それならよかったです。これで何も感じていないのなら相当に重症ですから。つまりはそれがお嬢様の答えなんですよ。お嬢様は誰か寄り添える人を探している。迷うことはないんです。信じて裏切られてもいいんです”
鷹条の言葉は東雲に彼女自身の過去を投影させる。
“まずは言葉を交わすところから始めてみませんか? と口上が長くなってしまいましたが、どう受け取るかはお嬢様次第です。それでは”
「あちょっ……!」
一方的に通信を切断された東雲は端末を放り投げようとして――踏みとどまった。
結果として中途半端な格好でベッドに倒れ込む形になる。
「なんなのよ……。あたしに誰かを頼れってこと? まさか八神に……? 悪い冗談でしょ?」
その夜、悶々と考え続ける東雲だった。
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