♰Chapter 16:賭け事

オレは東雲からの連絡を受け、屋敷を訪れていた。

何でも直接会って話したいのだという。

任務や修練以外では意図的に避けられている節があったので、今回もその件だろうか。


指定された道場に入ると剣道袴を身に付けた東雲が閉眼し、正座していた。

心なしか表情が昏く、雑念が払い切れていないようにも感じる。


「東雲」

「……ああ、あんたね。ここまで足を運んでもらって悪いわね」


やはり以前の任務から今にかけて、東雲の様子にはどこか違和感がある。

オレが彼女に抱く印象は高圧的で高飛車な側面を持ちつつ、根は誠実であるというものだ。

今の彼女からは前者が一切感じられない。


「それは構わないが……お前がオレを呼びつけるなんて珍しいな。用向きはなんだ?」

「あのさ、あたしと真剣勝負をしてくれない?」


そう言って竹刀立てから一本を手渡してくる。

その瞳は揺れている。

迷いか。不安か。それともまた別の。


「オレにメリットがない」

「メリット……メリットね。あるわよ? あたしが負けたらあんたの言うことを何でも一つ聞いてあげる」

「なんでも?」

「そうよ」


聞き返した言葉に偽りのない真っすぐな言葉が返る。

だがそれは危うい精神状態にあることを打ち明けているのと同義だ。

どこまで深刻なのかは次の質問をすれば分かるだろう。


「仮にオレが死ねと言えばお前は死ぬのか?」

「っ。あんたはあたしに死んでほしいの?」

「その反応が正しく返ってきたことに安心した。オレが本気でそう思うわけもない。やぶれかぶれになっていないのなら勝負を受けよう。それにオレだけが掛け金を出さないのも悪い。お前と同じ条件で構わない」

「でもそれじゃあんたに――」

「うじうじ言う必要はない。オレも適度に身体を動かしたいと思っていたところだ」


オレは竹刀の握りを確認すると片手で構える。

正式な剣道を身に付けていないオレの構えは常識からは外れているだろう。

だが今はただ打ち合いを望む東雲に応えられればいい。


「ありがと」


素直な感謝の言葉を皮切りに鋭い打撃音が道場に木霊するのだった。



――……



「はぁ……はぁ……」

「受け取れ」


オレは屋敷から取ってきたペットボトルとタオルを置く。

東雲は道場で大の字になって息を整えているとこだった。


熱気が籠っているのも気分が滅入ると窓を開け放つ。

気持ちのいい風が吹き抜け、動かしたあとの身体によく染みる。


「ん、助かる」


勢いよく水を飲み下す東雲の隣りに座る。


「結局勝負がつかなかったな」

「ほんとそれよそれ。三十分も本気で対峙してたのにね」


東雲の昏い表情は今は影も形もない。

屈託のない爽やかな笑みを浮かべ、楽しそうに笑う。


「東雲はそんな風に笑うのか」

「あたしが笑っちゃ悪い? このむっつり」


オレからさらに二、三人分の距離を取るとそっぽを向いてしまう。

純粋な反応に表裏など存在しない。

素直すぎる態度に拍子抜けするほどだ。


「気分は晴れたか?」

「まあ、ね。なんか色々もうどうでもいいやーって思ってたんだけど、こうしてあんたと剣を交えて楽しかった。一度は諦めた。でも諦めきれなくて。そして今、まだ諦めるには早いんだって、そう感じられたから」


東雲はゆっくりと立ち上がった。


「賭けは引き分け」


そして日差しの照り返しを受け、犬歯を見せて快活に微笑んだ。


「――ならさ、どっちのお願いも聞くってのはどう?」

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