♰Chapter 7:夕暮れの眠り姫
「少し時間をかけすぎたか」
図書館に戻ると夕焼けの影が落ちた空間に動かない影が一つ。
それは黄昏の残光に照らされた水瀬だ。
改めて見ても硝子細工のように精巧な顔立ちだ。
長いまつ毛に今は閉ざされている切れ長な瞳。
小さな唇にうっすらと紅潮した頬。
濡れ羽色の髪の一房がはらりと流れ落ち、机上に波紋を広げる。
その全てが彼女の雰囲気に調和していた。
自身の腕を枕にして寝息を立てている様子も実に絵になるものだ。
「これは……どうするべきか」
人が近づいても気付かないほど深く眠っている水瀬を起こすのは気が引ける。
だが起こさなかったら起こさなかったで気まずい。
逆光の書架が影の住人のようにひっそりと佇み。
残照を受けて細かな塵がダイヤモンドのように輝き。
人の気配がない空間に明暗のコントラストが情緒に富む。
控えめに言ってもノスタルジックな感覚に囚われる。
そうこうしているうちに午後六時半の一歩手前だ。
いつまででも見ていられるのだが、それはオレのすべきことではない。
「起きろ水瀬。水瀬」
呼び掛けながら肩を揺するが起きる気配はない。
「ん……」
わずかに声を漏らすだけだ。
一人の同学年男子を前にして眠っているなんでまったく身持ちが甘い。
いやそもそもそれ以前の問題だ。
人間本来の警戒心は一体どこへやら。
「起きてくれ。長く待たせて悪い」
先程よりもやや声量を上げて呼び掛けるとゆっくりと碧眼が開かれる。
「ん、ここは――えっ⁉」
「え、はこっちのセリフだ。随分と気持ちよさそうに寝ていたな」
水瀬は一気に顔を紅潮させる。
その赤味、熟れた林檎のごとく。
「わ、私は――」
「オレが来る前はどうだったのか分からないが、最近は任務でも学校生活でも頑張っているんだろう? それなら無理はしなくていい。ただ――これに懲りたらオレを付き合わせない方がいいぞ」
羞恥のあまり目を背ける水瀬。
彼女の頭の回転の速さなら寝起きでもすぐに状況を理解したことだろう。
「っ……」
それから一度深く俯き。
再びこちらを向いた彼女は努めて冷静かつ爽やかな微笑みを湛えていて。
「今日見たことは忘れて」
「分かってる。無防備な眠り姫をしていたことは誰にも言わない」
「……忘れなさい」
「……忘れた」
柄にもなくからかいすぎてしまったようだ。
恥じらいを通り越して虚無顔――ともすると大鎌を顕現させる前段階のように周囲の気圧が下がる気配を感じ取る。
もちろんあくまで雰囲気だけだ。
すでに館内の人影はオレと水瀬だけだがまだ校内に生徒が多く残っている以上、どこかしらに人目があるかもしれないからな。
……いや人がいなくても大鎌を顕現させたら駄目だが。
「まあ冗談はさておいて……起こしてくれてありがとう。結局勉強会で分かったことと言えば、少なくとも古典は八神くんに問題はないことね」
「……まあな」
見るところはしっかりと見られていたらしい。
今回の勉強会は軽くオレの学力を見たかったというところだろうか。
奇しくもオレと同じ目的だったようだ。
水瀬は後れ毛を耳に掛けて体裁を整えると席を立つ。
「そろそろ帰りましょうか」
「ああ」
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