第七話 畳の上を歩く

 一度濡れた頭巾とショールを囲炉裏の火を借りて乾かしている間、広い屋敷を二人は散策することにした。

 人がいる気配はしないのに、ついさっきまで人がいたかのような気配はする。あまりにも物が整頓されて長年人がいた痕跡はないのに、居間に上がる縁の一箇所だけが長年人がよく通っていたかのように滑らかにすり減っていた。

「異界と呼ばれる場所は多く行ってきましたが、迷い家は初めてです」

「そういう機会は仕事柄多そうだが」

「人殺しと変わりないですからね。私が入れる場所も限られているのです」

「私と同類だな」

 長く続く廊下を進んでいれば、花の彫刻の入ったガラスに隔てられて外の雪景色が見える。外には正面玄関にあった庭とは大きく違った造りになっており、奥の手に向かうほど傾斜が厳しく、季節さえ違えば野花が広がる池造りの庭園になるであろう有様が浮かぶ。

 廊下の突き当たりは広々とした茶室だった。雪国故の作りなのか、外履を履くための縁側までもが建物の中に作り込まれていた。

「せっかくなら、気に入ったものは一つ持って行ったらいい。二人でここに来られたというなら、持ち帰る資格があるはずだ」

「それは武槍様も同じでしょう」

 一言二言で終わる会話を何度か繰り返すと、やがて文机がいくつかと漆で塗られた黒い箪笥、木製の本棚に古今東西年代もまばらな装丁の本や巻物が並ぶ部屋に辿り着いた。

「どうやら目的の場所にたどり着けたようですね」

「……」

「お返しなさるのでしょう」

「そうだな」

 武槍は躊躇った様子で、筆を懐から出して文机の上に置く。その指先は名残惜しいのか、離れるまでに数秒の時間を要した。文机から離れても、武槍は視線を変えずに筆へと注いでいる。

「名残惜しいのですか」

「両親の顔を知らない私にとって、唯一の形見だからね」

「そうですか」

 そうしてまたしばらく迷い家の中を歩いていれば、庭に差し掛かる縁側へつながる廊下へ出る。庭は雪が積もり、柔らかな毛布のように輝いていた。

「そういえば、何故あの筆が迷い家のものであると何故お父様は知っていたのですか」

「手記には詳しい内容はなかったが、確か『教えてもらった』と」

「それは……」

 教えた人間が誰なのか、それを沙穂が問うことはできなかった。庭の整えられた草むらの中から何かが飛び出し、沙穂へと飛びかかってきたからである。

 咄嗟のことに寸でのところで沙穂が避け、更には武槍が沙穂を庇うようにして肩に手を回していたため、障子ごと吹き飛ばされただけで血は流れなかった。

「うぐっ、……一体何が、」

「武槍様!」

 体を起こして何があったか確認する前に、沙穂が武槍を押しのけて追撃を躱す。転がるように距離を取ってから二人を襲った影を確認すると、それは一人の子供だった。少年とも少女ともつかない幼い顔立ち、黒で統一された丈の長いカソック、何よりも撫で付けたように整えて黒髪を後ろで纏めているその頭には包帯が巻かれていた。

「一体あれは……」

 武槍がぽろりと疑問をこぼした時、その子供の顔を伺えた。二人を睨みつける瞳は一つしか見えす、その右目は包帯で覆われていたのだ。

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