第五話 そうある意味
沙穂が再び
「……仕事を受ける時に私のことはある程度知っていると思うけれど、怖くはないのかい」
「15年前の話ですか?それなら別に、何とも思いませんが」
眉ひとつ動かすことなく、沙穂はさらりと武槍からの遠回しの忠告を流してしまう。雪をかき分けながら進んでいく鈍行は、山の奥深くまでなかなか辿り着けない。
「年頃のお嬢さんがこんな男と一緒なのは不健全だと思うけど……まあ、こうしているのに考えがあるなら何も言わないさ」
諦めた武槍はそのまま雪を掻き分け、足元を踏み均し、沙穂が深みに足を取られないように手を引いた。
「最近毎日来ているけれど、他の仕事とか、学校はいいのかい?」
「さあ……学校はともかく、この仕事が終わらない限り他の仕事に手をつけることはありませんし、今もこうしているのはバメイの指示ですから」
「助手がポジション乗っ取ってない?」
沙穂は指示されて動いていると言ったものの、その真意は沙穂自身も理解していない様子だった。ただ言われるままに二人で外を歩く意味があるのかもわからない。
「バメイは、私の助手ですが、それ以前に父であり師でもあるのです。……親がいないもので」
話を濁す気配こそないものの、ずっと逸らさずにいたセレンディバイトは影の方向を見てしまっている。これには何か人には話せないもの、話し難いものがあるのだろうと、武槍はそれ以上の追求を止めた。
「じゃあ……なんで、こんな仕事をしているんだい?労力と報酬が到底見合っているなんて思えないけど。それに、君は奉仕の心でいるつもりでもないだろう?」
今度は目を逸らされなかった。真っ直ぐと上背のある方である武槍を見上げ、相対する心持ちでいるのだろう。
「探している人がいるのです。その男を、殺さなければいけないから」
嘘を暴くような心眼を持ってはいないが、それでもこの言葉が嘘ではないと断定できるほどの何かがあった。
「そうか。復讐か、義務かはわからないけれど、それが君のやるべきことなんだね」
それ以降も何度も沙穂は武槍の元を訪れ、その度に二人で雪深い山を歩いていた。何度も歩き、わずかな会話をして別れて1日を終える。それを繰り返して一ヶ月が経った頃には、雪を掻き分けてラッセルをする必要もないほど雪が減っていた。
「……前の質問に返すようですが、武槍様は何故このようなところで暮らしているのです」
「ああ、調べたのか」
「ええ。15年前の事件、あれは冤罪でしょう。少し調べれば簡単に誰でもわかるような話でした」
武槍という男は15年前、画家として活動していた頃にパトロンであった親友の妻と不貞を働いたと言われていた。顔をはじめとした全身の火傷跡はその時パトロンの親族から受けた制裁と言われ、社交界での立場を全て失っていたのだ。
「正直に言えば、嵌められたのが正解だ。だが、あの時の出来事は私にとっても渡りに船だった。それだけだ」
「不名誉な噂で財産を全て奪われたことがですか」
「まあ、事情というものがあった。と言うのが正解だったかな」
そう語る武槍の目は、視界に広がる雪景色より遥か遠くを見ているようだった。
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