第四話 迷い家のすみか

「これをどこかに隠すってのは無理か」

「迷い家のもたらしたものは必ず持ち主の元へと巡ってくる。迷い家のもたらしたものを手放した記録はないから、恐らくは」

 住職の厚意で寺の事務所の一室を借り、二人は筆と向かい合っていた。

「というより、多分これは私達が逆に危ないわ。迷い家の祝福は絶対だから。私達を排してでもこの筆は元の持ち主の元へと向かうはずよ」

「恐ろしい話だな……」

「人外の愛なんてそんなものでしょう」

 雪の降る季節のためか、時折年若い僧侶が様子を見に来ては湯呑みに温かいお茶を足して戻っていく。

 二人で机に向かい合い、万年筆で散らかった印刷用紙に何かを書き込んでは斜線で消すような作業が続いていた。

「一番は迷い家に戻すって手段だが……」

「行きたくても行ける場所ではないし、迷い家に辿り着けるのは本当に幸運な人だけよ。それに生涯に一度だけって言うし、迷い家に踏み込んだ人間の子孫でもない限り……あ」

 沙穂は何かを思いついた様子で、ペンを持っていた手が止まる。紙に滑らせていた万年筆の先端から、黒い滲みが白い紙に広がっていく。

「そうよ、依頼主本人に迷い家に行かせればいいのよ。バメイ、確かあなたの魔術にいくつか探し物の真言があったはずじゃない?」

「探そうと思って向かうのはできないんじゃないか?」

「そ、っか……」

「行きたくても行ける場所ではなく、探そうと思っても探せる場所でないなら、その穴を突けばいい」

 バメイの言葉に、沙穂は首を傾げるだけだった。


「それで……この筆は私が持てと?」

 それから一週間後の雪の降り頻る中、あばら屋に再び訪れた沙穂は手土産のコーヒーを武槍たちばなに飲んでもらいながら話をしていた。

「これが本当に迷い家のものであるなら、できるだけ持ち主が持っていた方がいいです。こちらに、迷い家の文献をまとめたものがありますので、一度目を通していただければと」

 湯呑みで慣れた様子でコーヒーを飲みながら、沙穂の説明を武槍は受け続けている。

「これはこれは……そういえば、ずいぶんいい香りのコーヒーですね。昔一度だけ飲んだコピ・ルアックのような……」

「まあそんなところですかね。用意したのはバメイなので、私もどのようなものかはよく知らないのですが」

 コピ・ルアックはジャコウネコの未消化の排泄物にあるコーヒー豆を利用したコーヒーであり、高級品として扱われる。その香りを知っていると言うことは、かつて画家として活動していた時に飲んだことがあったのだろう。

 どちらにしても、沙穂は嗜好品に対する真贋を区別する目を持っていない。目の前の男が言うのなら、に値するものなのだろうと武槍に出された自分の分のコーヒーを飲む。

『筆を一度返して、このコーヒーでも飲んでゆっくりしててくれ。その後は俺がどうにかする』

 バメイのこの言葉を信じるしかなかったのだ。

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