幕間

呪い

「さて、授業の前に基礎のおさらいだ」

 人気の無い廃屋、ほつれてボロボロになった敷物の上で沙穂とバメイは向かい合って座っていた。沙穂は金青こんじょうの着物に銀糸で蝶の刺繍が施された唐紅からくれないの帯姿であり、対するバメイはジャケットを一枚脱いでいつものキャップを外しただけのパーカー姿である。

「魔法、魔術における強さの基準は何だ」

「理論の矛盾の数です」

 バメイの言葉に澱みなく沙穂は答える。その回答に満足したのか、一つ頷くとパーカーのポケットの中からクリップ型の髪留めを取り出し、自身の前髪を掻き上げて固定する。

 いつも前髪と帽子に隠れていたその額の中央には、大きな傷跡が残っていた。傷ができてから満足に手当てをしなかったのか、楕円形の傷跡は凹凸ができており、見る者にかつての痛みを思わせる風貌だった。

「そうだ。では魔法や魔術の理論とは」

「……わかり、ません」

 苦虫を噛み潰したかのような顔で、膝の上に乗っていた紗穂の手は強く握り込まれた。

「まあ、あれの理論はかなり概念的なものだ。生まれながらにその世界にいなければ普通は知ることもないのだから無理はない。

簡単に言えば、文章の描写の矛盾、プログラミングにも近い。そもそも魔法と魔術は結果は同じなれど、そこに至るまでの出発点もプロセスも違う」

「私に扱えるとは到底思えません」

 握り込まれた拳から力は抜けたが、それでも険しい表情は変わらず、その姿にバメイは腕を組んで首を捻った。

「高度なものを使えるようになれとは言わん。だが、初歩の威力を上げるくらいはこなしてみせろ」

「無理です」

 沙穂の強固な姿勢に、バメイは一つため息を漏らした。

「全く……なら最低でももう少し知識を蓄えて対処できる幅を増やしておけ。

今日の授業は魔法と魔術の序列を説明する」

 そう言ってバメイは近くに置いてあったカバンを手繰り寄せて中に手を突っ込んだ。それから数十秒ほど中をまさぐっていると、何かを見つけたのか僅かにバメイの眉が動く。それから取り出された手に握られていたのは、二つの宝石だった。

「今のお前ならこの二つのうち、どちらの宝石を選ぶのが正解かわかるだろう」

 そうして沙穂の膝前に置かれたのは、二つのアメジストだった。大きさも形も全く同じもので、目で見ただけでは違いなどはない。

 差し出された宝石を眺めながら、いつもの感情を削ぎ落としたような表情で沙穂はしばらくの間逡巡していた。そうして何分かが過ぎた時、ゆっくりと手を持ち上げ、指で沙穂から見て右側を指差した。

「……前ならこっちを選んでました。でも、今ならこっちを選びます」

 そうしてゆっくりと左の宝石へと指を運ぶ。輝きも大きさも宝石としての質も同じ。誰が見ても明白なものであったが、答えを出した沙穂は迷うことはなかった。

「そうだな。なら、この二つの宝石の違いは?」

「宝石に貯められた魔力のなら右の方が圧倒的です。ですが、この二つを使って魔術を使うなら左の方が強い力を発揮できると思いました」

「正解だ。そこから先の解説はしてやろう」

 そうしてバメイは敷物の上に置かれた宝石を一つづつ沙穂の両手に握らせる。

「実際に触れてみれば違いがもっとわかる。大きさ、質、形全てが同じでも、お前が選んだ方は圧倒的に古い宝石だ。

いいか、どんな魔法や魔術であっても古いものには勝てない。あらゆる分野で年功序列がまかり通るのも、これが原因だ。

新しい技術が生まれ、どんな影響力を持とうと、古いものが培ってきた経験に勝るものはそうそう現れない」

 そうしてゆっくりと沙穂の手からバメイの手は離れていく。そうすると、沙穂の左手に握らされた宝石が輝き始めた。指の隙間から溢れる光に、表情こそ大きく変わらないものの、沙穂はじっと見つめて関心を寄せていた。

「古いものはそれだけで力がある。序列に従って若いものを呪うのは比較的容易だ。逆に序列に逆らって古いものを呪うのは相当の覚悟と対価が要る。

つまり、若さ故に呪われた時のリスクが大きい。

これはあらゆるものに適応される絶対的な条件だ。土地も、モノも、生き物も例外はない」

 左手をゆっくりと開いた沙穂は、輝きを徐々に失っていく宝石を眺めながらバメイの言葉を聞いていた。

「だがお前はこの序列において例外的な存在だ。この絶対の法則には抜け穴がある。

この抜け穴が例外として扱われるのが呪術の世界だ」

「……例外?」

 ようやく宝石から視線を動かした沙穂は、顔を上げてバメイを見上げた。

「そうだ。……ギリシャ哲学に『同じ川に二度は入れない』という言葉があるのを知ってるか?」

 そうして続けられる授業に、沙穂は首をかしげるだけだった。

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