第五話 蠱毒
久々にお腹が膨れて苦しくなるほどの食事に、束の間の幸福を感じながら敦はその日眠りについた。
「このアザは恐らく蠱術によるものです。呪術の中では昔から広く知られており、かつ比較的容易なために誰でも手をつけることができます。
恐らくですが、既に敦様の体も蠱毒に蝕まれています」
別れ際に言われた言葉に、自分の死を悟るも、敦は恐怖を感じなかった。それは彼女が味方である安心感だからか、それはわからない。
「おい!朝メシ!」
「は、はい!」
昨晩は隠れる様子もなく二人がいたのに、それをお父様は気がついていないようだった。いつもよりも少し早く起きた彼が敦を今日も召使の如く扱うが、いつも感じていた絶望感はなく、ほんの少しだけ敦の足取りは軽かった。
朝食を出し終えれば、お父様はまだ眠いのか、戻って牛のように布団に横たわって寝てしまった。
その間に洗濯を済ませ、久しぶりに自分の着ていた服も洗ってしまう。まだ着られる服を選んで着替えれば、音を立てないように気を遣いながら外へ出た。
「確か、森に、いる、はず……!」
そうして少し前に走って行った川へ向かえば、そこに彼女はいた。
「お待ちしておりました」
一際大きな岩に腰掛け、雑木林から流れる涼しい風に白銀の髪が揺れる様は、雪の精が川辺で休んでいるようだった。
「それでは、まずは敦様に宿る蠱を祓いましょう。どうぞ、こちらへ」
ふわりとまるで柔らかな羽が落ちるように岩肌から降りると、沙穂は敦の手を引いて川の上流を目指して進んでいった。
「蠱毒に侵された者がどうなるか、というのは一概には語れません。しかし、すべからくは瞬く間に死を迎えたと聞きます。比較的容易に扱えますが、その分仕掛けた側である術者にもリスクはあります。
しかし、仕掛けられた側は知識がなければ対処し辛いというのもあるでしょう」
足元の小石に躓くこともなく、軽い足取りで沙穂は進んでいく。恐ろしい話を聞いているはずなのに、かつて友達と怪談で笑い合っていた頃よりも穏やかな心地である。
「蠱術というのは、容易な方法だけが世間に知られておりますが、実際は誰でもできるものではありません。手を出しやすい、という点のみで容易に扱えるとしか言えませんが」
時折大きな段差に敦は躓くも、しっかりと手を引きながら沙穂が支えるため、一度も転ぶことなく進むことができた。
「基本的に呪術というものは閉鎖的な環境で受け継がれるもので、外部に露出することはありません。ただ、蠱術ほど有名になるとどうしても方法が漏洩することもあります」
だんだんと敦の体力が削られていく。息はあがり、肩を大きく動かして肺に酸素を送るようになっていた。一方の沙穂は涼しい顔をしたままである。
「大昔から人間は人間以外の生き物を使役する方法を編み出していました。蠱術もその一つなのです。
さて、そろそろですね」
沙穂のその言葉に、息も絶え絶えになって敦が足元に向けていた視線を上げると、その先には何もなかった。
ただ、沙穂と二人で変わらない光景を歩いていた。振り返れば、二人で歩き始めた場所からそう離れていない。たった十数メートルほどしか歩いていないのに、異様に疲れているのだ。
「これで、一つ目の依頼は完了といたしましょう」
そうしてするりと沙穂は手を離す。すると今まで意識を保っていたのもやっとだったのか、それとも沙穂の手を握ることで意識の命綱が繋がっていたのか、敦の体は膝から崩れ落ちた。
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